これ買いに行かなきゃあ。

The Velvet underground - What Goes on
http://www.youtube.com/watch?v=KPd-QXyGVIo

こないだ教えてもらった。気持ちよい。空っぽになるわ。


貝垣くんは私にアタリを焼いておくれ。
ギャラクシー500あげるから。(忘れてた)。

2月1日の日記

2012年2月1日

 自分がいい歳であるのをよく忘れている。若くないので、そういうのを忘れて振舞うのって、面倒なことになったりする。女だけに尚更。


 寒くなると鬱々としてきて、毎年、嫌ー。
 今年の冬は、こないだまで用事やら遊びやらで休日も出歩くことが多かったので、それが避けられた気がする。(2月がどうなることだろう)。
 去年は年明けから、自分に近いけれど、自分の外というしかない出来事たちに心が騒いで疲れて、自分の人生って薄いなあとすごく寒々しい気持ちになっていた。
 思考も心も働かないで、心の表面だけ忙しい、みたいな感じがしていた。そんなときに地震が来たんだった。地震までの2ヶ月は今でも思い出すとしんどい味。個々の事件はともかく、シークエンスとしてはもう二度と味わいたくないとおもう。

 自発的に出歩くのって大事ですな。


 デモで手を叩きすぎたんでしょうか、左手が痛い。リュックがあればよかった。

でも参加

2012年1月31日
 見学ってどうするの、と困ったので、(マラソンの応援で歩道を併走、なイメージ)、結局最初から参加してきました。

 リズム隊が打楽器を打ち鳴らし、それに合わせておそらく自前のタンバリンをたたいているひと、またサックスを吹いている人がいた。サックスを吹いている人が掛け声や周囲のノリに合わせながら、合いの手を入れるみたいに演奏してたのが印象的だった。
 最初はすごく緊張して、デモの外にいる人たちをみれなかった。慣れてきて歩道に目をやると、そんなに冷たい視線は感じなかった。(何度も参加している人の談によれば、街行く人の視線は今回は比較的温かいものであったけれど、何回か前のデモのときはほんとうに冷たかった、と言っていた)。
 列からひょいと抜けたり入り直したり、新しく入ってくるひとがいたり、雰囲気もゆるいものだった。掛け声も疲れてきたら小休止入れたりするけど、それで周りについて行けてないと感じることもなかった。追い越されたり追い越したり、ペースも個人個人で調整という感じで、いつの間にか友人たち(とその日に紹介された人たち)とバラバラになっていたけど、そこまで気にならなかった。
 私たちの周りを固めるようにいる警察のひとも、お疲れ様ですと言いたくなるくらい紳士的な対応のようにみえた。(でもそれも、大規模なデモになると手荒どころじゃないくらいの扱いを受けると聞いた)

 私はあんまり掛け声は出さなかったのだけれど、その代わりにできる限りはずっと手をたたいていた。
 誘ってくれた友人が、別れたあとメールで、不治さんがずっと手をたたいててくれて勇気付けられました、と言ってくれた。みててくれたのね、いやーん。

デモ

2012年1月29日
 きょう、渋谷・みやしたこうえん発(13h30集合、14h00発)の反原発デモを見学してきます。デモの見学ってどうするんやろうね。
 もともととある友人からデモのお誘いを受けたのがきっかけで、いろいろ考えることあったのですが、まとまらないまま。
 私は反原発かと言われるとびみょうなのですが、何かしら声を上げる必要がでたときにデモを参照することがあるかも知れないというので行ってきます。

 それにしてもまじめなひと(特に男性)はトーデン悪いとかセイフ悪いとか言いたがらないのは、なぜなのか。まじめで頭がいいなら、むしろ言って、敵を名指すことも必要ではないかな。敵を名指すけど、人は憎まない、って感じならば。
 てゆうか敵を名指すのって、まじめにやるならはるかに面倒な仕事とおもう、自分のせいだと言ったり原罪を云々したりするのより。


 友人がお誘いをしてきたとき、私と何度かやりとりしたときの正直さは、誠実さとイコールではないとおもっている。ってこれはまたあとで。

1月25日の日記

2012年1月25日

 ハロー東京、大都会、帰ってきた。東京は好きさ。見知らぬ人がいっぱいいるわ。あたしここにいてもいいかしら、なんて、考えなくてすむ。ヴァルザーのベルリン。


 最近は、おいしそうとおもったみやげ物が、たいがい日持ちしないものor要冷蔵or要冷凍なので困る。羽田空港も福岡空港も、みるのは楽しいけれど。
 羽田の第一ターミナルの資生堂パーラーのコーナーはどこへ行ってしまったのか。私が気がつかなかっただけか。みるだけで楽しいのに。あのクッキー缶を、どうぞつまらないものですが、と言われて人からもらうのが、夢。


 うまかっちゃんの高菜味買うの忘れた。なんてこと。

 兄嫁の実家からいただいた甥へのお祝いのお返しに、餅を差し上げようと、餅つきした。餅つきは3年ぶり。たいてい年末にやるので私はやらないことが多かった。
 もち米3升分なのでたいした量ではないけれど。このときばかりは母も仲の悪い祖母に協力を頼まざるを得ない、母は餅つき機から餅を取り出すのが苦手なので。久しぶりなのできれいに丸くならない。餡子を包んでも片寄ったり。よもぎ混ぜたかった。よもぎ餅がいちばん好き。

 餃子包んでお餅丸めて、いい休暇。



 母と祖母が仲悪い、のは、母が不平を言うのを我慢できないほど祖母を嫌っていて、祖母のほうは、私は仲良くしてやらんことも無い、という態度。
 不平を口うるさく言わない人がいつも偉い、とは限らない、というのは大人になって知った。できれば言わないに越したことはないかも知れないが。

 祖母はどんどん小さくなっていく。白髪は増えるが髪の量はそんなに変わらない。笑うと金ぴかの笑み。

 私、あなたがいろいろひどいこと言ったの、忘れませんおばあちゃん。とくに赤ちゃんのときに亡くなった兄に関してあなたが言ったこと。あれは忘れてはいけないね。
 何が食べたい、と母に訊かれたので、土曜日の夕ご飯は餃子。中にいれる具の味付けはあまり得意ではないので、とにかく包む係。別に住んでいる兄夫婦のぶんまで入れて、80枚は包んだ。妹はだいたいこんなときも10枚も包まない。スマートフォンで少女時代を流しながら踊っていた。(OH!って曲いいね)。
 枚数が多いほど楽しいのではなかろうか。自分で食べきれない分まで包んで、だけどその日のうちにほとんどなくなってしまうのが。とにかく餃子をたくさん包みたかった、家に帰ったら。
 母の方法でなく、私たち姉妹がテレビで習ってそうしているやり方で焼く。軽く焼いたあと水を足して蒸し焼きにし、水分を飛ばしてごま油で皮を香ばしく焼く、カロリーの高いやり方。酢を切らしていたのでカボスをしぼって食べる。(もちろん酢のほうが、黒酢のほうがだいぶ美味しい)。兄の家に行くというのでバタバタしていて、ご飯もよそわないままに焼いたそばから食べる。立ったまま食べたり、行儀悪い。
 私たちきょうだいがいなくなって母も餃子をつくらなくなったので、中の具の味がきまっていなかった。調味料を計ったりしないで勘に頼る人なので、勘がにぶるとだめな人。

 兄の家に行って私が焼いて、おなかいっぱいだと言うのに高いアイス(ハーゲンダッツ)を買い出しに行き、それもきれいに平らげる。甥はあやされ疲れで眠ってしまう。
 テレビがつまらないので、ハトコだけれどイトコくらい血の濃い親戚の結婚式のビデオをみる。ところどころ黒い縁取りのある綿菓子みたいなピンクの新婦のドレスに「なにこのピンクのドレス、下着みたい」と駄目だしをしたら、「この人(兄嫁)もピンクだったけど…」と兄に突っ込まれ、急いで、「いやいやいや! おねえさんのドレスはこんなピンクじゃなかったよ!」と返すと、兄嫁から「そうねー、私はサーモンピンクだった、オレンジが強い感じの」とフォローをいただいた。やさしいおねえさん(母と同じB型)。今年はこういう不用意な発言をなくしたい。
 あの、ほんとに、おねえさんのドレスはきれいな色でよくお似合いでしたよ。
 

Landslide

2012年1月23日 音楽
 きょう私の田舎は雪が降りそうなくらい寒い。甥に会い、幸固叔母の家と容子伯母の家に行き、母方の祖母に会う。猫を愛でて、酔うと説教しかしない伯父が酔っ払って話すのを半分以上聞き流す。みんなテレビが薄くてデカい。歩くことをせず車でしか移動しないので、体重計に乗ったらここ2年みたことのない大台を突破。
 甥はかわいい、みんなに可愛がられて、大変よろしい。人の顔をじっと検分するみたいにみる。もう顔ができているような顔をしている。母が甥をあやすときは本当に阿呆まるだし。写真を撮る、たまに撮られるほうになると、ひどい顔なので画像を削除する。好光伯母は祖母の介護をお休み中で代わりに介護施設で割りのいいバイトをし、疲れてはいるけれど楽しそう。好光伯母の家に泊まりに行ければよかったけれどバイトのため都合が合わなかったので見送り。3時間くらいしか会わなかった、もっと長くいっしょにすごせればよかったのに。寝たきりの祖母にプリンを食べさせる。私鮎美ですけどわかります?と訊ねると、結婚はまだか?と訊き返される。おばあちゃん私のこと、わかってる!

 ベイルートのライブに行ってきた。
 遅れて入った初めてのクアトロはぎゅうぎゅう。前座のトクマルシューゴは15分くらいしか聴けなかったけどよかった。いっしょにいた貝垣くんと白田ちゃんは、悪くないけど…と歯切れ悪い反応。貝垣くんは(ベイルートを見た後に)トクマルシューゴはグルーヴが足りないよね、と格好いいことを言っていた。グルーヴとかいう言葉、私、口が裂けても言えないわ。おもちゃっぽいサウンドが好み分かれるところかなと思った。
 ベイルートは踊る感じではないから、おとなしくゆらゆら聴くのかなと思っていた。始まってみると、おお、音が跳ねている、跳ねているなら踊ってしまう。途中ゆらゆら聴く箇所もあったけれど、ぴょんぴょん跳ねて踊った。CDで聴くときは踊らないのに、不思議。管楽器は跳ねるのかな。縦に横に踊らざるを得ない。
 って、踊っているのは私と貝垣くんだけであった。他の人はゆらゆらするけど概して腕組みして聴いていた。会場が満員のせいもあったけれど。あの会場にいた誰よりも私たちは踊ったけど、ちょうどでかい柱のかげあたりにいたのでザック・コンドンに私たちの踊り振りはみせつけられなかった。コンドンがみたら私たちをほめてくれたと思う。でもでかい柱のかげというマイナーな場所だから、私たちの踊るスペースがあったのであるが。
 どうしてみんな、踊らないの? 終わった後に独善的に貝垣くんとぶりぶり怒ったけど(日本人にはああいうビートだかリズムだかで踊るの無理なのね、などとのたまって)、思い出してみると、きいているみんなとの一体感みたいな熱狂とは遠いライブであって、それがベイルートらしいのかなと思った。ベイルートはやっぱり、ひとりのお祭りの音楽なのかも。私たちのすぐそばででかい声出していた酔っ払いのお兄さんも、すごく迷惑だとおもったけれど、あれもベイルートらしいのかも知らない(でもまじで耳障りだったけど)。

 終わった後は3人でご飯を食べ、きゃあきゃあ言っているうちに終電を逃し、いろいろな人たちを心配させた後結局妹のアパートに行くことになり、電車でひとりになってみると、私踊りすぎちゃった恥ずかしい…と酔いから醒めた。お酒は呑めないけれど雰囲気に呑まれるのは得意。

1月17日の日記

2012年1月17日

 今週帰郷しまうす。甥の顔をはじめてじかに見る、初正月のお食事会に行く。山国のばあちゃんに久しぶりにご飯を食べさせる。母親の機嫌をとる。好光伯母の機嫌をとる。幸固叔母の機嫌をとる。ほとけさまにお参りする。金光様にはお参りしない(祖母の誘いを断ることになるのでその機嫌をとる)。兄嫁への対し方をさぐる。忙しい、いやん。

 職場のひとに、今度帰郷しまうす九州に、と言うと、へえ九州なんだ、九州人いいよね! みたいな好意的な反応が2件ほどあった、期待を裏切るようだけど私は九州人のよさとは縁遠いのですが。毒舌でならす年上の女性は、九州人ぽくないねー、ふん、と正しいことを言った。

 制服のむきだしの膝をこするような、あの盆地の寒さ、いやん、寒いなら雪が降れば、さいこうなのに。



 髪を切った。長いの飽きてきたけど、どうすればいいのか、ホワイトアウト。いままででいちばんなマイナーチェンジなので、誰も気づかなかった。ひひひ。

1月12日の日記

2012年1月12日
 原発とかデモとかについて考えなければいけないところにカラオケのお誘いがあってほいほい出かけてしまった。差し向かいのカラオケであったので、刺し違える覚悟で、腹筋を使うような歌ばかりうたった。わりと思い入れのある歌をうたったせいか、カラオケ屋から出た後も口から歌が抜けないで、スキップして歩いていたら携帯を落とし、画面にへんな線が表示されて、それがみるたびにわずかずつ太くなっていく。
 カラオケでYUKIの「恋人よ」をうたったら、私の歌になりました。歌詞はまったく私のことではなかったけれど。君だけがぼくのこと知っている、という歌詞、怖くて、歌いながらぞくぞくした。

1月11日の日記

2012年1月11日 音楽
 友人に子が生まれていた。
 出産予定のあることは知っていたのだけれど、生まれましたか、と訊くのは躊躇われていて、先日年賀メールを送ってみたところ、その知らせが届いたのだった。男の子が1ヶ月前に誕生していた。

 口のはしに指ぬきの光っているような彼女が、うたっていたアラニス・モリセットの歌は、私もうたってみたんだけれど、彼女のようにはうたえなくて、私の歌にならなかった。

Party in the 宇佐

2012年1月9日 音楽
あんた文学青年やないん? 文学したいち言よったやん。文学青年が世界を変えてえなら、文学やないん?

1月7日の日記

2012年1月7日

 音楽の先生へ。なんか、すいません! どうぞ寛容な精神で私のお城を観光してください。



Mariah Carey - Up Out My Face ft. Nicki Minaj
http://www.youtube.com/watch?v=5i7GEMQC2IY
 このナースのコスプレがかわいい。そして美脚。



 タツノオトシゴのお便りいただいてます。ほんとうに字が、惚れ惚れするほどお上手ですね(ずるい)。あほみたいな字で返事が来てもどうぞ許してください。

1月7日の日記

2012年1月7日
ハルカリ - 浪漫飛行
http://www.youtube.com/watch?v=PDFt69qjgio

何度か聴いているうちに超いい歌のような気がしてきた。

てゆうかこのように踊れたら。トランクを引っ張る感じのところとか好き。

1月6日の日記

2012年1月5日
 友人たちの写真のついでに、3年ほど前に祖母とコスモス畑でとった写メを現像した。ワンセグかどうかさえ怪しい古い携帯電話で撮ったものだから、画質がとても荒い。とても荒いのだが、私が不美人なのは一目瞭然。不美人な、邪魔なものが映っているけれど、お守りにします。(ちなみに、手紙をくれたほうの祖母ではない)。

 その写メを3年ほど前も、現像しようとしたのだが、妹に「遺影みたいに、呪いみたいになるからやめときなよ」と言われ、それもそうだと思って断念したのだった。だけど、私が写真で呪いをかけなくたって、祖母はいつかいなくなってしまうのだ。そして祖母が亡くなるより先に私の携帯電話が死ぬかもしれない。そのくらい、古くて傷だらけなのだった。
 若干ぼけていたので、写真のなかの祖母はカメラをみてはいない。明後日の、というよりは一昨日のほうを向いてるみたいに、斜め下をみやっている。

 最近友人たちとの楽しい写真をいっぱい現像したので、現像したくなってしまったのだった。去年はそういえば、写真に対する変なコンプレックスがなくなった。歳をとったということかしら。今年もたのしい思い出がふえるとよい。
 友人と新年会をした。

 会が後半になると、みんな写真を撮りあったり、かと思うとイヤフォンをして他の人のIpodの音楽をチェックしたりしていて、てんでばらばらだなあと思ったけれど、それでも居心地のよい一つのまとまりになっていた…なんていうか、恒星じゃなくて、惑星の集まりみたいな。その惑星の中心って何かしらん。友人たちのマイペースさから派生した寛容さによるものだろうか。でも、俺のダチはサイコーだぜ、みたいな話がしたいわけではないけど。
 Kくんはオシャレって言葉を20回くらい言ってて、言うたびにオシャレじゃなくなってて、NくんはKくんの写真を私のデジカメで撮りまくってその日の思い出の写真の半数をKくんのイケメン風な面が占めていて、なんか夢にでてきそう(ちょっと気持ち悪い)。YちゃんとTちゃんは写真うつりよい、うらやましい。Sは酔っ払いつつ最近ないほどの抑制がきいた振る舞い。

 Kくんが、ようやく居心地よい友だちに会えたような気がする、と会の後言っていた、よかったですね。

*追伸
 Kくん、このひとあんたに似とる。
Bruno Mars - The Lazy Song
http://www.youtube.com/watch?v=fLexgOxsZu0&ob=av3e

1月2日の日記

2012年1月2日
 これ男子に歌ってもらったらぐっと来るわぁ。

Glee Cast(Cory Monteith)-Girls Just Wanna Have Fun
http://www.youtube.com/watch?v=vk_NN_YvCtw
 あけましておめでとうございます。

 去年、前半は地震でびっくりし、後半はわりかしよく遊んだ。

 年末になると軸がブレているなと思った。ブレているのは自分がいろんなことから逃げているせいだけど。

 自由ってどんなものだか知りたいと思う。というニーナ・シモンの歌を聞きました。




 母がマルチ商法で扱っているサプリを送ってきて、「だまされたと思ってのみなさい!」と電話で言う。だまされたと思って、という言葉が痛い。噛んで飲むと舌にある器官から約三十秒で体に吸収される、と言う。こんなに端正な張りぼてみたいな文章もない。
 毒が出る、って母が二言目には言うけど、毒が出るっていう言葉、こういう商売においてはものすごいキーワードですね。
 毒が出る、毒が出る、だまされたと思って、飲みなさい。
 


 祖母が手紙をくれる。私のことが心配だと言う。
 
 おばあちゃんは、不幸じゃん、ドキュンな旦那と糞みたいな息子、気が合わない嫁(唯一の救いはチャーミングな孫とひ孫だけど、私たち兄弟以外の孫は、みんな糞、独断でごめんなさいね)。おばあちゃんはすごく信心深いけど、神を疑ったことのない人、ていうのが言いすぎなら、この世のことに戸惑ったことがないひと、自分が不幸だと思わないひとが信心深いのって、ほとんど嘘だとおもってしまう。
 おばあちゃんの肌がきれいなのと、常にケロリとしているような世の渡り方、同じ根があるね。
 私はじじいと親父はどうでもいいけど、おばあちゃんはたまにかわいそうと思う。それっておばあちゃん自身のせいもある。でもかわいそう。誰にも愛されていない。

12月31日の日記

2011年12月31日
 悪い夢のなかでおもいきり叫んで目が覚める。口のなかで虫を噛んでしまったようにへんな味の残る1日になってしまう。しょっちゅうそういう夢をみるわけではない、ただ忘れかけたころにみる。トラウマというほど日常に支障をきたすものではないし、その辺についての私の意識も見解もおそらく〈異常ナシ〉で、医者を呼ぶほどではない、他人に語るほどのこともない。ただ自分が気持ち悪くなってしまう。
 人に話せば嘘っぽくなってしまう、嘘っぽくなるのに完全に嘘にはならない。面倒くさくなってあまり考えないようにし、忘れたのに等しい状態になることもできる。だけどまたその夢がやって来る、督促のように。

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