5月11日の日記

2018年5月11日 日常
 妹の息子の誕生日が近づいてきたので、兄がグループLINEに三つほど電車のおもちゃの画像を流してきて、「もってる?この中から贈ろうかと思いますが」という。車体に引かれた線の色が違うとだけわかり、電車好きの甥っ子のなかなかのコレクションの中にこれがあったかどうかわからないのだが、妹は「全部もってないね…」と返事をすぐに寄越していて今更ながら感心した。鉄道ファンでもないのによくそんなに識別できるようになるのねと。妹がすごい、そうさせてしまう甥っ子がすごい。ちなみに妹的には「車体ではなく、線路が欲しい」そうで、そのあと「曲線レール」「地下直線レール」「1/4曲線レール」「外側曲線レール」「交差ポイントレール」と列挙していき兄に「細かい」と突っ込まれていた。
 一緒にいるなら相手の好みなどを自然と覚えるのかと言えばそうでもなく、夫は私がよく料理につかうひよこ豆の名称をなかなか正確に言えなかったし、私は夫がよく動向を追いかけている日本のヒップホップの人々のことを全然覚えられない…いやいや実は割と覚えた気もする。


 私の実家はリフォーム中で来月か再来月には終わる予定。食洗機でもつけたら、いくらかお金出す…と今更提案したらもうつける手はずなんだそうで、出遅れている感が悲しい。私は朝鮮半島情勢におけるアベ首相くらい兄弟の間では蚊帳の外。文学的に言えばみそっかす。

5月3日の日記

2018年5月3日 日常
自分がいい家に住んでいて幸せだと見せたくてしょうがないんだろうなあと思う。

4月5日の日記

2018年4月5日 日常
こちらが要望を伝えて、うん、と返事したにもかかわらずその通りにしてくれなかった相手に怒ったら、「あなたは自分の思い通りにならないとすぐ怒りますね」と返されて、どんなルールのゲームなんだろうか。
そんな人と付き合うのって時間と労力の無駄だよな。

もう笑わない

2018年1月9日 日常
 2017年という年のことは、私的には忘れられないと思う。2011年が忘れられないのと同じように。郷里に水害があったし、祖母が亡くなった。実のところ父が死んだ年なんかは思いだそうとしないと思いだせないのだけれど、水害のあった年に祖母が死んでしまったので、忘れがたくなると思う。

 いろどりや陰影が薄いんじゃないかと思うけど、まあいいか、なんて思っていた私の人生のなかの、2017年12月という短い期間にいろいろあって、年が明けたきょうはそのどん詰まりに感情が行き着いた。仕事や家族や親族や友人関係にいろんなことが起こったナアなんて思うけれど、いうまでもなくこの一ヶ月のことを他人に話したら、ふーん、そ、そう、という生ぬるい返事だろうけれど、この一ヶ月でいろんなことがクリアになった。どういう人のことを信じればいいのかというのがわかった。

 もう私は誰かが仕立てた勝手な筋書きでの、都合のいい存在にはならない。どうとでも使える人になるのは嫌なので付き合わない。いいところもあるのよね、なんて言って許しはしない。私にばかり寛大さを要求してほしくない。
 
 なんていろいろ考えていたけれど要するにこれからの目標は誇り高く生きることです、がんばります。

12月21日の日記

2017年12月21日 日常
 母方の祖母が亡くなった。祖母は92、3だと思っていたら、享年96歳だった。ずいぶん長生きしてくれた。最後の13年くらいは寝たきりで、最後の最後の5年くらいは喋れなくなって胃ろうして、そのせいか会いに行くといつも浮かない顔で、私が来たことをわかってるのかどうかも判別しがたいくらい表情が硬くて、でもなんとか話しかけていた。話しかけるだけでは不安で、なぜかいつも目脂が溜まっているのをとってあげていた。私は孫だから、顔を見せに行かなければと思って会いに行ったりしていたけれど、いつもたいしたことができなくて、ごめんね。

 とても長い人生だったでしょう。結婚とかしたくないなあと思っていた私に、「お医者さんのような立派な人と結婚しなさいね」と言ってくれて、結婚しなさいという言葉は嫌だったけれど、心配してくれてありがとう。おばあちゃんは長女で、口減らしのために小さなころから商家や寺に奉公にでていたから、農業しか産業がないような田舎だったのに、畑仕事を本格的にはじめたのは結婚してからだったってね。子どもを5人も育てるのは大変だったでしょう。自分が口減らしにあったから、子どもたちは飢えさせないようにと頑張ったんでしょう。頑固な夫に口数少なく寄り添っていて、だから私はおばあちゃんの思い出というと、実はそんなにないの。煮干し出汁のお雑煮にお菓子くらいたっぷりの砂糖と醤油を加えていて、だからお雑煮はいつも不思議な味で、おばあちゃんからお母さんへと伝わってきた卵焼きは、とうていご飯のおかずに合わないくらい甘くて、いつもかごを編んでいて、家には竹林の間から虎がにらみを利かしながら出てくる場面を描いた毛布があって、家の中には段差が多くて、じいちゃんの戦死した弟のモノクロ写真はお化けになって出てきそうな感じで怖くて。おばあちゃんのことを思いだすと、いつのまにか家の記憶になってしまう。おばあちゃんのことはよく知らなかったのね。おばあちゃんからおばあちゃんの話を聞いたことはないから。奉公の話をきいたのは2、3年くらい前で、よしみ伯母から聞いた。

 よしみ伯母は、ばあちゃんは苦労のし通しで、最後は寝たきりだし、なんもいいことがなかった、あの人の人生は何だったんだろうね、と言っていたよ。私はおばあちゃんが不幸かなんて考えたことがなくて、子どもも孫もひ孫もたくさんいて、幸せだろうなと思っていた。私自身はまったく「ふつうの人」ではないくせに、「ふつうの人」の考える幸せに則ってそう考えていたので、よしみ伯母はそんなふうにとらえていなくて驚いた。まだ驚いていて、うまく考えられないけれど、よしみ伯母の言うことはたぶんほんとうなのでしょう。

 私もだいぶいい大人なので、よしみ伯母のようにばあちゃんのことを考えられればいいんだけれど、うまくできない。私は故郷や自分の家にいるのが嫌だったから無理やり上京してきたけれど、それでもいくらか自分を壊しつくさずに済んだのは、ばあちゃんが安心できる場所をつくっていてくれたから。私は自分のことがとても不安だったからばあちゃんの場所の安心でも足りなかったけれど、それでも少しはしのげたのは、ばあちゃんがいたから。もうばあちゃんのことを一人の人間として考えるべきだけど、まだできない。もういい大人なのだけれどばあちゃんがいなくなった事実に毅然とできなくて泣いている。ごめんなさい。いい加減人生に疲れたよねえ。心からは言えないけど、かろうじて大人だから言うね。おやすみなさい。安らかに。さようなら。

7月22日の日記

2017年7月22日 日常
毎日暑いし、くだらない。

6月8日の日記

2017年6月8日 日常
 とりあえず入る日数を減らしてもらい、いずれ辞めることも伝えた。辞めると伝えたら少し楽になった。

6月7日の日記

2017年6月6日 日常
 いま二つ仕事をしているのだけれど、一つのほうを、辞めようと思っている。半年くらい前から仕事がきついなあと思っていた。こないだ、もういいかげん辞めよう!と決めて、せめて忙しい時期が終わるまで、三か月後くらいかな、と思っていた。決めた後に仕事に出たら、やっぱり一か月後に辞めようかなと思い始めた。一ヶ月後の月末まで、つまり七月末まで。いろいろ引継ぎなどがいるだろうし、とすこし余裕をみて。(私の後釜がすんなり入るとも思えないけれども…)。きょうは出勤日ではなかったが、電話があった。前日に私のやった仕事のなかに確認したいことがあるという。それについてはリストのようなものをつくるべきだったのだけれど、他の仕事に押されてできなかったので、うやむやになっていたことだった。そして次のときにやろうと思っていたけれど、その前に別の人が出勤してそのリストが必要になってしまった。それでたいへんお叱りを受けた。Mさんが困るではないですか、自分のやったことはちゃんとメモに残して! とかなりイライラした口調で言われ、それは確かに迷惑をかけており、反省すべき事柄ではあるのだが、正直、迷惑だと認識するのも反省をするのも学習をするのももう無理だと思った。メモリーがいっぱいで突然へんな警告ウィンドウがでたりフリーズしたりするパソコンのようになっている。
 とにかく業務が多いわりに人手不足な職場なので、出勤日を減らしたり、辞めたりするとその人の仕事が大変になると思っていたけれど、もうどうでもよくなってしまった。今度の出勤日を終えたらもう金輪際行きたくない。いやしかし行かねばならないかな、しかしどうしても行きたくない、しかし…と日がな一日ずっと考えていて何も手につかないくらい。

 きついと思いながら働いていきなり辞めるよりは、適度に休みをとったりこれはできませんと言ったりコントロールできたら一番よかったのだろうけれど、職場の人はその一考を許さないくらい自分は忙しいとか大変だとか自分の事情をぐいぐい押し付けてくる人であったし、私もそこまで自分がなかったのだった。いまある自分は「辞めたい」の一言だけ。
 
 母と妹と三人でつくっているLINEグループに、いきなり母から画像が送信されて、LINEを開いて確認すると、若い女性がピースサインしている写真だった。ちょっと考えたけれど会ったことのない女性。その後に「滝本洋二くんのお相手」とメッセージがつく。
 なぜまた、同じ町内に住んでたけど中学校くらいからあんまりしゃべったことがなくて今何をしているかも(私は)しらない洋二くんの情報なんかを…と思って訊いてみると、「鱒ちゃんが送ってと言ったの」と返事が来た。「かわいくない」と妹がメッセージを送ってきた。送ってと頼むくらいだから品定めするつもりだったらしい。本当に失礼な子ね、と怒った顔付きで返してやる。
 どうやら私の母の紹介で会うのらしい。くだんの女性は母の職場の人の親戚らしい。私の郷里からは車で2時間はかかるところに住んでいるらしい。
 洋二くんは私の父の同級生の息子で、中学校のときは悪い友達の影響で非行に走っていて、あんまりしゃべったことはないけどそんなに怖い感じもしなかった。今何をしているか知らないし結婚しているかどうかも知らなかったけれど、未婚であるということだけは今わかった。
母「それで、相談」
妹「わたし義母のコーラスの発表会なう」
私「どこのマダムでも一度はコーラスやるんですね」(昔うちの母もしていた)
私「相談は何」
母「いま洋ちゃんからメールがあって、会って何するのと」
母「どう返事すれば」
 洋二くん、会って何するのって、訊いてくるのか! もてなすんだよ! それだけだよ! と思いながらとりあえず、「ボーリングでも」と返してみる。「初めての会合は明るい場所で…」と付け加えてみたら
母「それはまだでしょう」
母「はじめて会うのに」
母「ボーリングはまだでしょう」
 お母さんのくせに私のアイデアをあっさり否定した!と私はエアー地団駄を踏む。とはいえいきなり会うのにボーリングというのはアクロバティックかも知れない。
 H市なんてパチンコとコンビニとディスカウントストアしかないから遊ぶところなんてわかんないし私がH市にいたときは彼氏とかいないしそんな紹介もなかったもん!
私「ひろきくん(=兄)かメイさん(=兄嫁)に訊いてみたら」
私「初デートはどこだったか」
母「おかんがきいても駄目でしょう」
母「初めて会うんだから」
母「デートじゃないでしょう」
私「お母さんは初めて会ったときなにしたの」(と訊いたのは母は見合い婚だったからだ)
母「お父さんに??」
私「そう」
母「ジュースのんだ」
母「ことしか覚えてない」
私「ほほう」
私「そのジュースは甘酸っぱい味がしたと」
母「そう」
私「たいへん参考になりました」
妹「ジュース…」
母「返事どうしたらいい?」
 訊かれたところで、昨日から観ようと思っていた「マイノリティ・リポート」がはじまって夢中になってしまい、返事を忘れてしまったことを寝る前になって思いだした。妹も「ジュース…」と寄越して以来何も返事していなかった。
 何するのかわからないなんて地獄だ、これだから田舎者は! 若者は! 男は! 地獄だ! と思ってしまったけど、いきなり二人で会うのか、母やほかの人が最初のうちだけでも一緒にいるのかどうかわかんないし、洋二くんをののしるのはお門違いかも知れない。
 兄夫婦は友達の紹介から関係がはじまって付き合いだしだし、年長者が紹介するようなお見合い的な顔合わせについては、母以外に経験者はいない。てゆうかお茶でもしてとりあえず会話するしかなくない? 友達が一緒にいるわけでもないし、それ以外に何かやることある? 昔のお見合いって身元確認的なことをのぞけばシステマティックでよかったね…。

5月29日の日記

2017年5月29日 日常
 きょうは知らない人と打ち合わせしに行かねばならず、私がしゃべる義務はほとんどなかったのだけれど、話を振られたときにぐっと詰まってしまって、自分はほんとうに話ができなくてヤバいなあ、と思い知らされた。ほんとうにいつか話ができないせいで死ぬのではないかと思うほど話ができない。(しかし慣れてる相手だったら申し訳ないけどほんとうに失礼なほど適当にしゃべる)。話ができないせいで死ぬのならば、話ができない苦しみを味わい続ける前にいっそ今死んでしまいたい。
 ああいやだいやだ、と思いながらその近くにあったブ〇クオフに入ったら、ずっと気になっていた本が五冊くらいあって、ああ生きててよかった…と思った。久しぶりに本をみつけてとてもうれしくなった。というか見つける前と見つけた瞬間の気持ちの高低差がとてもすごかった。そのときの私の顔を知り合いにみられなくてよかったです。…いなかったよね…たぶん。

 読みたい本が古本屋で見つかってとてもうれしい、なんて、私はどんだけ幸せ者なのだろうか。
 でもこの幸せと引き換えに話ができる対人スキルをあげるよ、と言われたら、すごく考えちゃうわ。

5月21日の日記

2017年5月21日 日常
 寝ていたら帰ってきた人に起こされる。寝ていたのは寝たかったからではなく疲れがたまって眠気に負けたからなのだけど…まあつまり寝たかったからなのだけれど、寝たいというのをいやいや寝たくはないのだけれど疲れてしまって眠気に勝てないのです、というのもなんだか、そんなに説明をしなければいけない事柄でしょうか、と言いたくなる。

 私が昨日やっと溜まってしまっていた支払いをすることができて報告もしたのだが、その督促状が来ていたと言って怒られる。払いましたよと改めて報告したが、君が払うのが遅かったのが悪い、月曜日に電話するようにと言われる。僕はこのような督促状を受け取るのは非常に不快なのだと言われる。僕がお金を用意したのだから君は早く払いに行くべきだったと言われる。それは今週は私はとりわけ疲れていたし仕事の空き時間もあまりなかったのだと言うのだが(それは今週2回くらい言ったのだが)、早起きして行けばよかったじゃないかと言われる。君はへんな言い訳ばかりすると言われる。だからさ、疲れてたって言ってんじゃん!と言うと、君はそんな大声を出すなんて本当に乱暴な人だなと言われる。

 疲れていた、ということはまったく言い訳にならないらしいし何の理由にもならないらしい。私が疲れて何にもできなかったというのは許されないらしい。しかし疲れていて本当に、何もできない。ごはんの跡片付けが翌日に持ち越しになったり掃除の頻度も減ったり洗濯の頻度も減ったりするのである。私がそういうなるのは許されないそうである。私は疲れていて何もできない自分が嫌なのだが、疲れているので、できないことはできない。
 とりあえず、なんやかやの支払いのお金を頼るのは辞めようと思った。家賃は出してもらっていて、ぐだぐだで国保も年金も払ってもらったりしているが、国保も年金も自分で払おう。年金ははやく口座振替の申し込みをしよう。何でも半分だした方がいいのかな。それが理想ですよね。もっと働いた方がいいのだろか。そしたら疲れてるって言っても許されるかな。

5月16日の日記

2017年5月16日 日常
 いろんな仕事が進まないうえにやたら疲れている、というか疲れているから進まないのであろーか。
 髪の毛をまた、みじかく切っても、乾かす時間はそんなに変わらない。長かったときは適当に乾かしてもわりとおさまりがよかったりしたナア。みじかくすると、逆に風呂から上がったらすぐ乾かさないといまいちだったりする。髪の毛になやまないような人生を送りたい。

4月4日の日記

2017年4月4日 日常
 僕はいろいろな音楽を聴いてきたんですよ、君たちがレディオヘッドを聴いている間にいろんなものをね。と、最近新しい音楽に疎くなってる人に言われた。 貯金がまだ潰えないのはいいですよね。(棒)
 結婚をしたら「結婚は?」と言われなくなって、何かなかなか終わらなかった宿題がいきなりなくなったようで、そういうことを気にされるあたりの社会生活では快適に過ごしていた。結婚して2年経つと、今度は「子どもは?」という人がぼちぼち出てきたのであった。おお新たな宿題。
 私がたとえば相手に話を振るほうだとしたら、結婚だとか出産だとかは、相手からその語がでないかぎり、なるべく慎重にしたいなと思っているけれど(しかし阿呆なので軽々しく振ってしまう可能性もないではないのよ)、私をだいじにしてくれたおばたちなどがそういう予定や希望についてきいてきたら仕方なく丁重に返答したいしもし生まれたりしたならばよろこんで顔をみせちゃうよ、と思ってもいる。
 こないだ所用があって帰郷したら4人くらいに「子どもはどんな具合?」「子どもはまだ?」「まだできないのか?」と訊かれた。「まだできないのか?」と訊いてきたおっさんは糞みたいな九州男児だったのでとっとと死ねばいいのだけれど、祖母が「子どもは?」と訊いてきて私が「まあそのうちね」と答えると、祖母が「子どもひとりくらいつくらなきゃ」と言って寄越してきて、私はもう死ねばいいのにという呪詛のことばすら出なくなりそうになった。

 私は産むことはともかく、育てることを考えるととても気が遠くなったりする。まだ孕んでもいないし産んでもいないのに、私は自分が取り返しのつかないことをして、子どもを死なせたりするのではないかと考えてしまう。私がみていない間に池に落ちる。私が子どもについて想像をめぐらすとたいていゲームオーバーで暗転する。気分が落ち込んでるときにそういう想像をするとたまらない。ああ、ほらだめだったじゃない。だめになるのになんで産む必要があるのかしらね。私の想像と過去と未来が入り乱れて、失われた子に、というより私の過失に泣く。

9月1日の日記

2016年9月1日 日常

 昨日今日といろんな人の人生の話を聞いた(その本人からではないのだが)。わりとドラマティックだった。


 来月には新しい町で生活してる予定。決定したあとに地盤が緩いとか、もしかしたら一年以内に日当たり悪くなるかもとか、いろんなことを知った。引っ越しが無事済むとよいのだが。

6月22日の日記

2016年6月22日 日常
 玉ねぎが高くなっていることに悲鳴を上げている庶民の皆さんを尻目に、うちにはたくさん玉ねぎがありましてよ! というわけで私は別の悲鳴を上げている。こないだ妹が用事で帰郷したときに伯母たちと玉ねぎ狩りに行ってきたのだそうで、その成果が私のところへやってきたのである。10個ちょっとくらい。ちなみに妹は玉ねぎがあまり好きではなく、玉ねぎのあの独特の臭いも好きではないため、イベントに参加したにも拘らず「要らない」ときっぱり言い放ったそうで、そうすると私も「要らない」とは言いにくかったのであるるる…
 と、現在玉ねぎ価格の高騰に喘いでいる人たちには何の役にも立たないが玉ねぎの活用法を書いてみる。
①酢玉ねぎをつくる。焼いた肉に添える。そこからポテトサラダをつくってもよいかも。
②スライスして水にさらした玉ねぎに柑橘酢をぶっかけて、サバやサケなど脂の多めな焼き魚に添える。大根おろしの代わりにいいですが、新玉ねぎ限定かも…
③とりあえず玉ねぎ多めのカレーにしてみる。
④スライスして冷凍。甘味が増すので、そのまま炒めると飴色玉ねぎをつくりやすくなる。(←きょう雑誌で仕入れたばかりの知識。まだ試していない)
⑤とりあえず玉ねぎのみで味噌汁をつくる。
⑥とりあえず豚のポットローストをつくるとき、豚の下にたくさん敷いてみる。(←まだやってない)
⑦みじん切りにしてくったりするまで炒める。焼き色をつけた鶏手羽といっしょに蒸し焼きにしてみる。(昔人に教えてもらってやってみたけどおいしかったよ)


6月2日の日記

2016年6月2日 日常
 職場の大ボスが川端康成の話をしていたので興味を惹かれてひさびさに読んでみたけれど、全然わかんないのねーん。大ボスに「『伊豆の踊子』わかりませんでした…全然ピンときませんでした…どう楽しむものなんですか?」と訊いたら目をひんむいて驚かれて、「ええっ!…そうねー。とりあえず青春小説だと思えばいいんじゃないかな」と言われた。そう言われて、私そういえば青春小説って苦手だった気がする…とおもった。あるいは川端康成が苦手なのかもしれない。鬼門なのかもしれない。教えて、だれか何か、私に。
 単に今は川端の気分ではない、ということかもしれないが、一生川端の気分になることなんてない気もしている。あるいは日本語や日本文化のネイティブじゃなかったら、面白くなったりするのかしら。

 そういえばカミュもサリンジャーも、苦手なんであるる。

5月24日の日記

2016年5月24日 日常
*
 友人の赤ん坊を見に行った。私が抱いてみたらギャーと泣くのであった。実のところ甥っ子も首が座るか座らないかくらいのときはおそるおそる抱っこしてたので、あんまりそのへん練習していないのよね…。たぶんあなたが1歳になるころ私のこと友達だと思えるようになるでよう。ヨロ。

*
 働く日数が増えたら夫とけんかすることが少なくなった。というか4月後半には結婚のお食事会したので、その前は喧嘩をさかんにしていたのであった、今思えば。重大事が終わったので今は落ち着いたというかんじなのかも……。
 そして働く日数が増えたら家事がおろそかになって、よく部屋の隅っこのある椅子に取り込んだ洗濯物の山がわさっとできているありがちな風景になっている。
 こないだ、何人かの人とおしゃべりしてて、自分の家族ってどうよ?どうだった? という話になった。いっしょに嘆きたくなるようなひどい親の話とかがあり、そうでない親の話もあり、私も手短に話をして、いろんな家族がありますよね、となったけど、そのときとある人から「不二さんは結婚してるのに、たとえば今の自分の夫についての話にはならないんだね」と指摘された。そのときは「確かに! 自分の家族にも問題がありすぎたので、この話の流れで、ウエイトがそっちのほうに行ってしまったんですね」と答えた。しかし後から考えると、私が私たち夫婦のことだけをさす場合は家族と呼ぶのにためらいがあったので、夫の話にならなかったのだな、と思った。
 家族は何人ですか?と訊かれれば、夫一人です、と答えるし、そのときの話題によっては家族と呼ぶときもあるけれど、私たちふたりのことは基本家族とは言わないで夫婦と言う。それは他の人も結構そうで、私たち夫婦に「連休はご夫婦で出かけましたか?」と訊く人はいるだろうけど、「ご家族で…」とは言わないだろうな。
 そして私たち夫婦が家族になるとすれば、それは子どもが加わったときなんだなあ。私たち夫婦の子が生まれるか、もしかして養子をもらったりするかも知れないけど。あるいは親と同居したとき。血のつながり、と言い切るのも正確ではないので、世代の違う人と一緒に暮らし、その人をお客さんでなくメンバーとみなすときなんだなあ。
 もちろん、〈親1人と子1人〉は家族だろうし、兄弟/姉妹2人で住んでます、という人たちも家族だろうし。そのときは婚姻以外のつながりによる家族だよね。などと思った。

 自民党の改正憲法案24条1項で、「家族とは…」みたいな定義が出てきたけど、私ら夫婦は家族ではないのだ! そのくせ次の項では婚姻に関する規定がくるんだね…変なのねえ。

 家族って逃れがたいものだと言う。たしかに婚姻は自分の意志で選択・決定したものだけど、後から加わった子どもにとっては、ほとんど選べないものだし、そこに偶然あったものなのね…家族って変なの。とおもったところで眠いので昼寝します。さよなら。

5月8日の日記

2016年5月8日 日常
 パソコンを新しく買ったので、音楽CDのデータをせっせと取り込んでいるわけだけれど、スロットにCDを入れてインポートして取り出して、というのを延々と繰り返しながら、この行為には全く色気というものがないね、と萎えた。そのCDがどんな傑作であってもまったく関係ない、色気も情緒も粋もくそもない営み。
 ぎじゅつが発達して便利になると色気というものがなくなるのかもしれないなんてことはとっくに誰かが言っているのでしょう。
 CDをカセットにダビングしていたころでも、一度は全部かけなければいけないので、一応全部を一度は聞く機会があるわけである。MDを使っていたころも、はじめのころは全部流す必要があったような。今はあっという間なので、全部どころか一曲も聞かないときだって、あるわけで。

 とはいえこれでiphoneに入れることができる、携帯できるのでよかったです。そしてDVDも観れるので映画もちゃんと観ようと思った。いや映画館に行くのがいちばんいいのですけど。

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