シェルタリング・スカイ (新潮文庫)
2017年6月2日 読書
友達と「恋愛小説が読みたいなあ」と言い合っていた。そしたらこれを見つけたので、レンアイだー!と思って借りてきた。
借りてきたものの読めなかった間に、昔みたこの映画版のことを考えていたのだが、あれ、レンアイじゃなかった、ちょっと違う気がしてきたナア…ともやもや思いだしてきて、全き恋愛小説はどこにあるんだろう、どこ?? 意外とない気がする…そしてページが10ページくらいで止まったままです。
借りてきたものの読めなかった間に、昔みたこの映画版のことを考えていたのだが、あれ、レンアイじゃなかった、ちょっと違う気がしてきたナア…ともやもや思いだしてきて、全き恋愛小説はどこにあるんだろう、どこ?? 意外とない気がする…そしてページが10ページくらいで止まったままです。
のろのろひつじとせかせかひつじ (おはなしルネッサンス)
2017年5月28日 読書夜になるまえに―ある亡命者の回想 (文学の冒険シリーズ)
2017年2月28日 読書
肩の上下を行き来しているだけの髪形に飽きたのでばさりと切った。
それまで通っていた美容室を止めて、新しいところへ行った、などと書くと、槇原敬之みたいな歌がはじまるかも知れないけれど、やはり槇原敬之はそんなに好きではない。
こんな髪形のこんな人を昔よく鏡の前でみたけれど、あのころと違ってシャンプーを変えたりしてやや髪を労わるようになったせいか、髪は懸念したほどには量的に爆発してない。でも変な癖っ毛はなかなか治らない。左の耳の前に来る髪が、なぜか後ろに流れたがるところとかが。
新しく会った美容師さんは、私が初回なのに髪を短くしたがるのにいくらか及び腰だった。私変なのかなあ、と不安になって、実は金髪にしたいんですよねえ、とジャブを入れてみるつもりだったのだが言えなかった。
と、金髪にしそこねたので、金髪の夢がなかなか抜けない。
それまで通っていた美容室を止めて、新しいところへ行った、などと書くと、槇原敬之みたいな歌がはじまるかも知れないけれど、やはり槇原敬之はそんなに好きではない。
こんな髪形のこんな人を昔よく鏡の前でみたけれど、あのころと違ってシャンプーを変えたりしてやや髪を労わるようになったせいか、髪は懸念したほどには量的に爆発してない。でも変な癖っ毛はなかなか治らない。左の耳の前に来る髪が、なぜか後ろに流れたがるところとかが。
新しく会った美容師さんは、私が初回なのに髪を短くしたがるのにいくらか及び腰だった。私変なのかなあ、と不安になって、実は金髪にしたいんですよねえ、とジャブを入れてみるつもりだったのだが言えなかった。
と、金髪にしそこねたので、金髪の夢がなかなか抜けない。
これはとても面白く読んで、あまり好きではなかった川上未映子のことを超見直した。
こういうのを面白く読めることとか、子どもと遊ぶのが好きであることとか、すべての子どもに平等な機会があってほしい、自分は生きているだけで価値があるって骨の髄からわかっててほしいと思うことと、産めと言われることは全く違っているのだ。子どもは大事だと思ってるから、私も産みます!とならない。
昔から、人生を左右するような事柄に関しての、命令のような助言に対しては、あなたの言うとおりになんかしませんよ!と拒否してきた。と思いだすと、ちょっと自分の反抗ぶりに——というより言うこと聞かなさすぎに笑いふるえる。
こういうのを面白く読めることとか、子どもと遊ぶのが好きであることとか、すべての子どもに平等な機会があってほしい、自分は生きているだけで価値があるって骨の髄からわかっててほしいと思うことと、産めと言われることは全く違っているのだ。子どもは大事だと思ってるから、私も産みます!とならない。
昔から、人生を左右するような事柄に関しての、命令のような助言に対しては、あなたの言うとおりになんかしませんよ!と拒否してきた。と思いだすと、ちょっと自分の反抗ぶりに——というより言うこと聞かなさすぎに笑いふるえる。
フローベール ポケットマスターピース07 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
2017年1月12日 読書
抄訳ならば読む意義がないかなあとおもいつつ手に取ってみたら、二回くらい読んだボヴァリー夫人が相変わらず面白くて、フローベールはやっぱりすごいんだね。「彼女は彼を墓の中から堕落させた」という文句にグッときた。みんな俗物で空っぽで、フローベールが容赦ないのにもシビれた。
食卓の文化誌 (岩波現代文庫)
2016年2月5日 読書
*
この本はまだ読んでないけど石毛直道はおもしろい。こういう歴史と地理の合わさったような本を読むと、自分がちまちま家のなかでやってる、1回こっきりの、〈残らない〉くせに悩ましい料理というものが、世界という空間の縦や横に広がっているものの一部であるとたしかにわかり、自分だけのものではないように思われて、私にはよいんだぜ。
*
スキレットを買った。(軟派!)。ちょうどふたり分かなあというサイズと、ふたり分にはすこし小さいかなというサイズで迷っていたら、「あんまり重たいと、使うのが億劫になってしまってお蔵入りになったりするので、物足りないかなというサイズのほうがいいと思いますよ」とお店の人に言われたので、小さいほうにした。お店の人、心得てるアドバイスだった。やっぱり小さいなあと思う時もあるのだけれど、たとえば卵2個分の卵焼きにはちょうどよいサイズで、熱の籠り具合がテフロンの卵焼きパン(母が余っていたのを送ってくれた)より断然良いので、おいしい卵焼きができて、銅の卵焼き器買おうかしらとときたま悩んでいたのがとりあえずぱっと晴れた気分。
実家では10代の早いころくらい?に、母親に鉄のフライパンの心得を教わった。鉄は中華鍋だけになって、フライパンに関しては、テフロンは空焚き厳禁だという教えが取って代わった。そしてなかなか頭を切り替えられない祖母が洗ったあと乾かすためにガンガン空焚きしてダメにして母が怒りまくり、はなから話を聞かない父が蓋をしたテフロンフライパンの中で銀杏を煎るので母にとってはまた別の怒りの種であった。何度注意されてもフライパンで煎るので、母がテレビで聞きかじってきた電子レンジで銀杏を煎る方法を父に伝授したのであったが、母がいないときにまたフライパンを使い、またダメにしていた。
スキレットを使うにあたり、がんがん熱して油を多めにひき、洗剤で洗わず、またがんがん空焚きして乾かし、思い出したときには油を塗布して、しばらくやったことない作業が新鮮でおもしろい。それにつけても、調理しているときはあまり動かさないので気にならないのだけれど、洗うときは片手で持ったり斜めに傾けたりするためか重みがとても堪え、お店の人の正しさをしみじみ噛み締めている。
*
ご飯の鍋炊き、おいしいときもあれば、きょうはそうでもないね炊飯器でもいいんじゃないかなという時もあり。しばらく続けてみようと思うけれど、私のいまの無水鍋はでかいので、ちいさめの文化鍋でも買おうかしらと物欲がもたげてきている、あかん。
小林カツ代が、炊飯は鍋でも炊飯器でもぎりぎりの容量でやったほうがおいしいのよ!と断言していたのが、私の背中を押すのである。
しかしまた、大橋歩が「アルネ」で土鍋やふつうの鍋や炊飯器で炊き比べしたのち、〈とくにどれが、とか、優越なかったっす〉というような身も蓋もない結論を出していたのも頭にひっかかっているのであった。
まあ私は自分でやってみるという行為が好きなんだと思う。
この本はまだ読んでないけど石毛直道はおもしろい。こういう歴史と地理の合わさったような本を読むと、自分がちまちま家のなかでやってる、1回こっきりの、〈残らない〉くせに悩ましい料理というものが、世界という空間の縦や横に広がっているものの一部であるとたしかにわかり、自分だけのものではないように思われて、私にはよいんだぜ。
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スキレットを買った。(軟派!)。ちょうどふたり分かなあというサイズと、ふたり分にはすこし小さいかなというサイズで迷っていたら、「あんまり重たいと、使うのが億劫になってしまってお蔵入りになったりするので、物足りないかなというサイズのほうがいいと思いますよ」とお店の人に言われたので、小さいほうにした。お店の人、心得てるアドバイスだった。やっぱり小さいなあと思う時もあるのだけれど、たとえば卵2個分の卵焼きにはちょうどよいサイズで、熱の籠り具合がテフロンの卵焼きパン(母が余っていたのを送ってくれた)より断然良いので、おいしい卵焼きができて、銅の卵焼き器買おうかしらとときたま悩んでいたのがとりあえずぱっと晴れた気分。
実家では10代の早いころくらい?に、母親に鉄のフライパンの心得を教わった。鉄は中華鍋だけになって、フライパンに関しては、テフロンは空焚き厳禁だという教えが取って代わった。そしてなかなか頭を切り替えられない祖母が洗ったあと乾かすためにガンガン空焚きしてダメにして母が怒りまくり、はなから話を聞かない父が蓋をしたテフロンフライパンの中で銀杏を煎るので母にとってはまた別の怒りの種であった。何度注意されてもフライパンで煎るので、母がテレビで聞きかじってきた電子レンジで銀杏を煎る方法を父に伝授したのであったが、母がいないときにまたフライパンを使い、またダメにしていた。
スキレットを使うにあたり、がんがん熱して油を多めにひき、洗剤で洗わず、またがんがん空焚きして乾かし、思い出したときには油を塗布して、しばらくやったことない作業が新鮮でおもしろい。それにつけても、調理しているときはあまり動かさないので気にならないのだけれど、洗うときは片手で持ったり斜めに傾けたりするためか重みがとても堪え、お店の人の正しさをしみじみ噛み締めている。
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ご飯の鍋炊き、おいしいときもあれば、きょうはそうでもないね炊飯器でもいいんじゃないかなという時もあり。しばらく続けてみようと思うけれど、私のいまの無水鍋はでかいので、ちいさめの文化鍋でも買おうかしらと物欲がもたげてきている、あかん。
小林カツ代が、炊飯は鍋でも炊飯器でもぎりぎりの容量でやったほうがおいしいのよ!と断言していたのが、私の背中を押すのである。
しかしまた、大橋歩が「アルネ」で土鍋やふつうの鍋や炊飯器で炊き比べしたのち、〈とくにどれが、とか、優越なかったっす〉というような身も蓋もない結論を出していたのも頭にひっかかっているのであった。
まあ私は自分でやってみるという行為が好きなんだと思う。
クレバスに心せよ!―アメリカ文学、翻訳と誤読
2016年1月29日 読書【ポケット版】すてきなあなたに10 ~たのしいクックブック~
2016年1月29日 読書
*
きょうはほとほと疲れてしまったので、ふらふらと入った本屋で、これを買ってしまった。ふたつくらいエッセイを読んだら、著者がエプロンを自作したというお話がでてきた。エプロンは私みたいな手芸初心者にとっては取りかかりやすいもののひとつではあるかもなあ、と思いつつ、やっぱエプロンつけるのがピンと来ない。週3回働く以外はほぼ主婦なのに、エプロンをつけよう、という気にならない。
以前結婚した友人の家にお邪魔してイタリアンみたいなフレンチみたいなお手製のお料理をごちそうになった時、友人はエプロンをつけていた。そのエプロンがいかにも、その友人らしく、たとえばクウネルや天然生活や、暮しの手帖の通販ページに出てくるような、リネンをつかった(あるいは一部リネンをつかってる)ような生成り色のエプロンとか、黒いギャルソン風とかではなくて、婦人画報にでてきそうな大ぶりの花がまぶしい柄であったなあ。
*
2回ほど、ご飯を無水鍋で炊く練習をした。(2回目はわりとおいしく炊けました)。練習しているとこれまでさんざんお世話になってきた電気炊飯器が疎ましくなってきて、鍋炊きをマスターしたら用なんかないね!おさらばする!と鼻息荒く言っていたら、連れ合いに「でもね、まだ使えるんだからね、使ってあげようね」と釘を刺された。しかし私はいまほんとに鼻息が荒くて、いまの無水鍋より一回りちいさい無水鍋を買って炊飯用にして、おひつも買ってそれで保存して、いや無水鍋じゃないほうがいいのかなあ・・・と妄想しているのであった。
新しい鍋とかおひつとか、しばらく実現の見込みはないけれど、炊飯器要らないんだなあという発見はこころに刻まれた。電子オーブンレンジはオーブン料理が好きなので手放せないけど、炊飯器はやっぱり、いずれ、卒業したい。
きょうはほとほと疲れてしまったので、ふらふらと入った本屋で、これを買ってしまった。ふたつくらいエッセイを読んだら、著者がエプロンを自作したというお話がでてきた。エプロンは私みたいな手芸初心者にとっては取りかかりやすいもののひとつではあるかもなあ、と思いつつ、やっぱエプロンつけるのがピンと来ない。週3回働く以外はほぼ主婦なのに、エプロンをつけよう、という気にならない。
以前結婚した友人の家にお邪魔してイタリアンみたいなフレンチみたいなお手製のお料理をごちそうになった時、友人はエプロンをつけていた。そのエプロンがいかにも、その友人らしく、たとえばクウネルや天然生活や、暮しの手帖の通販ページに出てくるような、リネンをつかった(あるいは一部リネンをつかってる)ような生成り色のエプロンとか、黒いギャルソン風とかではなくて、婦人画報にでてきそうな大ぶりの花がまぶしい柄であったなあ。
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2回ほど、ご飯を無水鍋で炊く練習をした。(2回目はわりとおいしく炊けました)。練習しているとこれまでさんざんお世話になってきた電気炊飯器が疎ましくなってきて、鍋炊きをマスターしたら用なんかないね!おさらばする!と鼻息荒く言っていたら、連れ合いに「でもね、まだ使えるんだからね、使ってあげようね」と釘を刺された。しかし私はいまほんとに鼻息が荒くて、いまの無水鍋より一回りちいさい無水鍋を買って炊飯用にして、おひつも買ってそれで保存して、いや無水鍋じゃないほうがいいのかなあ・・・と妄想しているのであった。
新しい鍋とかおひつとか、しばらく実現の見込みはないけれど、炊飯器要らないんだなあという発見はこころに刻まれた。電子オーブンレンジはオーブン料理が好きなので手放せないけど、炊飯器はやっぱり、いずれ、卒業したい。
スイミー―ちいさなかしこいさかなのはなし
2015年9月14日 読書リバーズ・エッジ オリジナル復刻版
2015年7月19日 読書
スマホにしたついでにTwitterをはじめて半年以上たって、デモや抗議の情報や、気になる人の発言をすぐに追えるのはいいけれど、情報量の多さに疲れる....情報処理能力があんまりないせいだけれど。そしてネトウヨやあほな保守の意見を目にすることも多くなりやっぱり疲れる......ってそういう輩をフォローしてるわけではなく、フォローしてる人がそういうのを批判してるのを読むからだけど。
90年代やゼロ年代初期に活躍したり感性ができあがったりした人の物言いに勝手にガッカリしたりしてるけど、なんか、平坦な戦場観に毒されすぎてない?って思ったりする。
リバーズエッジには影響を受けたほうだとおもうけど、イマイチ自分の本!になってなかった、いま思えば。
90年代やゼロ年代初期に活躍したり感性ができあがったりした人の物言いに勝手にガッカリしたりしてるけど、なんか、平坦な戦場観に毒されすぎてない?って思ったりする。
リバーズエッジには影響を受けたほうだとおもうけど、イマイチ自分の本!になってなかった、いま思えば。
伯父がなくなったので従姉や妹と帰郷。私は一週間休みをもらってほとんど伯母の家に滞在していた。何かしら役に立たなければ! という気持ちを抱いて動き回り、たいして役に立ってないし機敏に動いたわけでもないのだけれど、疲れた。とはいえ仲のよい母方の親戚なので、たとえば昨年や一昨年自分の父方の家族が亡くなった時よりは、ひとりでやきもきすることもなく過ごした。従姉や妹が子どもの世話のためにそれほど手伝えなくてもまったく気にしていなかった。そしたら私が動き回っているのをみて、大叔母が「鮎ちゃんもね、子どもができたら、そんなに働かなくて済むよ」と言ったのに、なにそれ意味わかんねえ、と思ったけれど、「そうなのー? まー、早く欲しいわあ」と適当に返しておいた。大叔母には、そう言われる前にも、「鮎ちゃんは、つくるつもりあるの?」と訊かれたりして、とっさに「あー.........具体的な行動には、うつしていない......かなあ」とよくわからない答えをしてしまい、その場に居合わせた兄に「下ネタかよ」と指摘された。
大叔母は私の実家のある同じ市に住んでいたこともあり、小さな頃からよく面倒をみてもらったりして仲がよいのだけれど、この物言いや質問にすんなり反応することができなかったので、いくぶん濃密な愛と親切の空間からはみ出している繊細な自分をあらためて意識してしまった。微妙な感情を抱いても大叔母に対する感謝や親愛の念が揺らいだりしたわけではなかったし、伯母の家でも実家よりはたいへんリラックスして過ごしたのだけれど、東京に帰ってきてしまうと、ほっとした。電車の中などで、そこに居合わせているひとがそれぞれまったく関係なくあるような、濃密さがないことに。なんていうのは、私の願望のような幻想で、みなさんどろどろした濃密さが、家に帰ればあるのだろうが、とりあえず東京は、熱帯のような湿っぽい田舎よりは、空気の感じは砂漠のイメージなので。
昔読んだSonsを読み返してみたら、読書のアタリを引いたようだ。読みたいと思って読んだ本でも、感動したり感激したり感銘を受けたりした名作でも、その時分に胸の詰まるようなアタリってそうそうないような気がするけれど、アタラれた自分がいやしく恥ずかしく感じるほど、アタった。
私には愛情や親切というものが、天性で欠けているような、と思ってしまうのは、愛情をあらわさなければ、という義務に押さえつけられているような気が、ときどきしてしまって、とりわけそれはある女性たちにとってはとても重たい生の要請のようなものだけれど、私の場合は恥ずかしいほど軽い気がしている。単なる八方美人の延長のような。
って、このマンガはそれとは関係なく、すごくいいマンガですだよ。
大叔母は私の実家のある同じ市に住んでいたこともあり、小さな頃からよく面倒をみてもらったりして仲がよいのだけれど、この物言いや質問にすんなり反応することができなかったので、いくぶん濃密な愛と親切の空間からはみ出している繊細な自分をあらためて意識してしまった。微妙な感情を抱いても大叔母に対する感謝や親愛の念が揺らいだりしたわけではなかったし、伯母の家でも実家よりはたいへんリラックスして過ごしたのだけれど、東京に帰ってきてしまうと、ほっとした。電車の中などで、そこに居合わせているひとがそれぞれまったく関係なくあるような、濃密さがないことに。なんていうのは、私の願望のような幻想で、みなさんどろどろした濃密さが、家に帰ればあるのだろうが、とりあえず東京は、熱帯のような湿っぽい田舎よりは、空気の感じは砂漠のイメージなので。
昔読んだSonsを読み返してみたら、読書のアタリを引いたようだ。読みたいと思って読んだ本でも、感動したり感激したり感銘を受けたりした名作でも、その時分に胸の詰まるようなアタリってそうそうないような気がするけれど、アタラれた自分がいやしく恥ずかしく感じるほど、アタった。
私には愛情や親切というものが、天性で欠けているような、と思ってしまうのは、愛情をあらわさなければ、という義務に押さえつけられているような気が、ときどきしてしまって、とりわけそれはある女性たちにとってはとても重たい生の要請のようなものだけれど、私の場合は恥ずかしいほど軽い気がしている。単なる八方美人の延長のような。
って、このマンガはそれとは関係なく、すごくいいマンガですだよ。
妹が私のマンションから歩いて40分くらいのところに引っ越してきて、産休から仕事に復帰した。今週は妹の代理で、保育園へ何度か甥をお迎えに行った。都心のビルの一室に、子どもがわんさかいるのがシュールだった。小さいくせに生命力にあふれており、満員電車にわんさか大人がいるのとは、断然ちがう群れ。
子どもというのは不意に現れた大人を凝視してきたりするので、ナンダコノヤロー、などと言ってみたりするけれど、たぶんそんなお愛想のようなことをしているのは親ではない私だけのようで、たいていのおかあさんは先生に挨拶しつつ自分の子どものもとへまっしぐらに進んでいっているような気がする。私はちいさな子どもに色目を使うのに夢中で、帰り道によく先生にちゃんと挨拶できてない気がする!お世話になってますとか、言ってなかった気がする!などと思ったりして、妙に疲れる。そしてなんだか保育園の先生の安定感が落ち着かないなあと思ったりする、のは、私がやはり親ではないせいかしらん。
甥とは大分仲良しになったけれど、それって私自身が遊ぶときに全く子どもだからであって、なんか大人の余裕とはちがうのであるる。甥とあうあうあ、ぎゃはぎゃはぎゃはと意味のない会話をしていると、仕事中にもあうあうあ、などと言うようになりそう、私は笹舟よりも流されやすい。
子どもというのは不意に現れた大人を凝視してきたりするので、ナンダコノヤロー、などと言ってみたりするけれど、たぶんそんなお愛想のようなことをしているのは親ではない私だけのようで、たいていのおかあさんは先生に挨拶しつつ自分の子どものもとへまっしぐらに進んでいっているような気がする。私はちいさな子どもに色目を使うのに夢中で、帰り道によく先生にちゃんと挨拶できてない気がする!お世話になってますとか、言ってなかった気がする!などと思ったりして、妙に疲れる。そしてなんだか保育園の先生の安定感が落ち着かないなあと思ったりする、のは、私がやはり親ではないせいかしらん。
甥とは大分仲良しになったけれど、それって私自身が遊ぶときに全く子どもだからであって、なんか大人の余裕とはちがうのであるる。甥とあうあうあ、ぎゃはぎゃはぎゃはと意味のない会話をしていると、仕事中にもあうあうあ、などと言うようになりそう、私は笹舟よりも流されやすい。
愛の妖精 (岩波文庫)
2015年4月1日 読書
私、愛情が足りなかったのじゃないかしら、と思ったりする、というのは、与えるほう。ただ、幼い頃、もしくは子どもが家庭の年長者にあげられる愛情なんて、けっきょく、お返しでしかないのじゃないかしら。
私が子ども生むかどうかそれは神のみぞ知るだけど、子どもに、お前のくれる愛情はこれっぽっちなのかい?などとは、死んでも言わない。
死んだひとのことをおもいだすとき、私はあのようには生きるものか! と何回もおもった。それもひとつの親子のあり方として正しいのだろうが、やはり他の美しいことがないかなあ、と踏ん切りが悪い。
私が子ども生むかどうかそれは神のみぞ知るだけど、子どもに、お前のくれる愛情はこれっぽっちなのかい?などとは、死んでも言わない。
死んだひとのことをおもいだすとき、私はあのようには生きるものか! と何回もおもった。それもひとつの親子のあり方として正しいのだろうが、やはり他の美しいことがないかなあ、と踏ん切りが悪い。
こういう文章は好きではないぜ! などと思いながら頁をめくっていたけど、なんとか、ノってきましたよ。
小学生くらいのときだったか、エンターテイメントものや大衆文学しか読まなかった私の母が、「本はね、つまらなくても我慢して50頁くらい読んだらね、おもしろくなるのよ」と言っていた。それを聞いていたおかげで、私は本を読むのに慣れたようだ。そういうことを、読書の好きだった父からは教わらなかったと記憶している。
大岡昇平はクリスチャンだったのだろうか。時折はさまれる聖書の引用と、神の存在が、なんか不思議です。この小説を書くために、神の存在が必要だったのではないか、と思ってしまった。でも、まだ途中でーす。なはははは。
小学生くらいのときだったか、エンターテイメントものや大衆文学しか読まなかった私の母が、「本はね、つまらなくても我慢して50頁くらい読んだらね、おもしろくなるのよ」と言っていた。それを聞いていたおかげで、私は本を読むのに慣れたようだ。そういうことを、読書の好きだった父からは教わらなかったと記憶している。
大岡昇平はクリスチャンだったのだろうか。時折はさまれる聖書の引用と、神の存在が、なんか不思議です。この小説を書くために、神の存在が必要だったのではないか、と思ってしまった。でも、まだ途中でーす。なはははは。
世の中にそんなに悪いひとはいないのではないでしょうか、と私があることを報告すると、そう反応される方がいて、私はなるほどそれも、あるでしょう、とは思うのだけれど、私は、では悪とは何なのであろうか、と戸惑いもする。悪にいろいろ場面のあるうちに、すくなくともひとつは人を苦しめるのは端的に悪と言って、差し支えないではないかと思うのだけれども、では苦しみとは何なのであろうか。不愉快なこと、というのは生きていれば当然あるので、それは差し引くとして、苦しみとは、長い間続く悪夢のようなもの—―しばしば、覚醒しているはずの時にまざまざと体験する悪夢や疼痛のようなもの——それが自分や他人や世間にたいする信頼を失わせた結果、幸福を損なわせるもの、といったところだろうか。その苦しみを妄想であるとして封じ込めるひともいて、そういう場合もあろうけれども、そ言う行為が単なる方便になってしまったら、わたくしは信じないね。断じて。
事が家庭の、ひとつの家のなかで起きると、家庭内にはいろいろなベクトルがあるので、それがぶつかり合い、うまく行かないのでしょう、という人がおり、人の家のことを簡単に断定するのを避けるのは礼儀として正しいのかも知れないし、そもそも言ってしまう自分が、愚か者なのだとおもう。
事が家庭の、ひとつの家のなかで起きると、家庭内にはいろいろなベクトルがあるので、それがぶつかり合い、うまく行かないのでしょう、という人がおり、人の家のことを簡単に断定するのを避けるのは礼儀として正しいのかも知れないし、そもそも言ってしまう自分が、愚か者なのだとおもう。
この表紙、パソコンの画面でみるぶんにはなんか可愛いですね。
誕生日祝いに植物を買った。先祖は熱帯アメリカから来たのさ。名前はモンステラさ。
買ってみるまでは、観葉植物なんて金持ちぶった趣味で、なんだかおどろおどろしい形のものが多いな、という認識しかなかった。
園芸屋さんに行ってみるといろんなものがあって面白かった。私ははじめての種類のお店ではキンチョーしてしまってお店の人にすすんで何か尋ねるということができないのだけれど、お客さんが他にいなかったので、話しかけてくださって、助かった。だけど初心者ですとは最初に白状できなかった。どんだけチキンなのか。
いざ家に連れてきてみると、緑がうれしかった。そしていざ育て方などを調べてみると、ケミカルな感じ...いや肥料や土が百パー自然由来のものではないだろうとか、そういうことではないんだけど、やっぱりこういうのって、農業もそうだろうけど、ケミカルというか、人工的なんですね。枯らさないようにして、できれば大きく育てて、人工的とはどのようなものか、という勉強をしようとおもう。
行ってみた園芸やさんはデパートの屋上階にあったのだけれど、店員さんのひとりが宮崎アニメにでてきそうな、穏やかなのに腹黒そうな、なんかあんまり「自然」な臭いのしないおじさんだった。そのおじさんの流れるようなトークに魅せられて、というか負けて、栄養液を買ってしまった。(もうひとつ激オシされた霧吹きボトルだけはなんとかするっと辞退した)。
誕生日祝いに植物を買った。先祖は熱帯アメリカから来たのさ。名前はモンステラさ。
買ってみるまでは、観葉植物なんて金持ちぶった趣味で、なんだかおどろおどろしい形のものが多いな、という認識しかなかった。
園芸屋さんに行ってみるといろんなものがあって面白かった。私ははじめての種類のお店ではキンチョーしてしまってお店の人にすすんで何か尋ねるということができないのだけれど、お客さんが他にいなかったので、話しかけてくださって、助かった。だけど初心者ですとは最初に白状できなかった。どんだけチキンなのか。
いざ家に連れてきてみると、緑がうれしかった。そしていざ育て方などを調べてみると、ケミカルな感じ...いや肥料や土が百パー自然由来のものではないだろうとか、そういうことではないんだけど、やっぱりこういうのって、農業もそうだろうけど、ケミカルというか、人工的なんですね。枯らさないようにして、できれば大きく育てて、人工的とはどのようなものか、という勉強をしようとおもう。
行ってみた園芸やさんはデパートの屋上階にあったのだけれど、店員さんのひとりが宮崎アニメにでてきそうな、穏やかなのに腹黒そうな、なんかあんまり「自然」な臭いのしないおじさんだった。そのおじさんの流れるようなトークに魅せられて、というか負けて、栄養液を買ってしまった。(もうひとつ激オシされた霧吹きボトルだけはなんとかするっと辞退した)。
さいごの食べもの、飲みもの
2015年1月9日 読書
父が年の瀬に亡くなった。亡くなる1カ月前くらいは、のどを切開したために、点滴で栄養を摂取していた。
夏頃からのどが痛んで刺激のあるものが沁みるというので、辛いものや酸っぱいものを敬遠しだした。妹の姑が気をきかせて、添加物のないレトルトのスープの詰め合わせを送ってくれたのだが、胡椒が使われているものが多く、とくに病のない私たちからすればたいした量の胡椒ではないけれど、父ののどにはこたえるようで、せっかくのスープも一口のんでは要らないと言った。刺激がなくてそれほど咀嚼を要するものでなければわりと何でもよいというので、私がトマトと卵の炒め物をつくったりすると、全部平らげていた。では、とそれを翌日も出すと、「また同じものか」と言いつつ、食べていた。
10月に帰ったときは、パンをよく牛乳にひたして食べていた。もともとパンと牛乳が好きだったので、米よりもそれをよく食べていた。私が東京にもどり、病状が悪化すると、パンを飲み込むのもつらくなったらしい。しばらくして母から何にも食べない、と嘆かれたので、ゼリー飲料のようなものはどうなの?と提案してみたところ、もう与えてみた後でダメだったと言った。ゼリーも飲み込めないなんて、と言っている間にどんどん悪化していき、母が焦りで震えるような声で電話してきたときには、のどを切開して点滴で栄養をとるしかないということになった。
初夏のころ、病が再発してすぐに、のどを切開するという提案はあった。何にも食べられなくなったらかわいそうだし、死期が早まるのではないかと家族のなかで意見が一致して、担当医もたいそう消極的だったので、見送られたのだった。亡くなった後からすると、あ、結局のどはいずれ切らなきゃいけなかったんだ、とおもい至った。いずれ、食べられなくなったのだ。それが遅いか早いかというだけの話だった。のどの切開を見送ったことが、そのときはすこし後ろめたいような気もしたのだけれど、とどのつまり、遅いか早いかという話だったのだ。そしてそれは、死というものの話ではないだろうか。遅いか早いか、いずれ訪れてしまうという話。
のどを切開したあとは食べることも飲むこともできず、話すこともできない。父が何か言いたいとき、用事があるときのために、ホワイトボードとマーカー、スケッチブックと太いマジックが用意された。切開のあと2週間ほどすると、母が「お父さんはきょう、コーヒーが飲みたい、コーラが飲みたい、と書いてたよ」と明るい声で報告してきた。もうコーヒーやコーラが飲めなくなったのがかわいそうというより、言いたいことを父が書いて寄越したのが楽しかったらしい。私も、かわいそうというよりは、うれしいとか楽しいとか、むしろポジティブな気分だった。いろんなことがままならなくなった父が、自分の欲望を書いた、というのは、たとえば赤ん坊がハイハイしたとか立ったとか歩いたとか、それを目の当たりにした喜びに似ていた。歩き回っていた父は私にとっては、ときに忌々しいほどの存在だったけれど、何もできなくなった父がこちらに反応してみせたりするだけで、赤ん坊の初々しい生態に触れることができたような素朴な喜びを覚えた。と同時に、父が所望したのが、あれほど飲んでいた酒ではなかったことに、驚かない。亡くなってから祭壇に一升瓶が供えられているのをみると、父は、もうたくさん! と言っているのじゃないかと思った。
父と言えば、とうに中年太りが板についてもよい年だったのに、痩せているほうだった。それは酒のせいだったのか煙草のせいだったのか、あるいは意外に労働で体を動かすのが好きで、摂取したエネルギーをほとんど使ってしまうからだったのか、あるいは太りにくい性質だったのかも知れない。のどを切開する直前は虐待された囚人みたいにやせ細っていたそうだが、点滴をはじめると福の神のようにふっくらした、というのはうそで、血の巡りが悪くなって顔がむくんでいて、あまりみたことがない顔だわね、と私はぼんやりした頭で思っていた。
夏頃からのどが痛んで刺激のあるものが沁みるというので、辛いものや酸っぱいものを敬遠しだした。妹の姑が気をきかせて、添加物のないレトルトのスープの詰め合わせを送ってくれたのだが、胡椒が使われているものが多く、とくに病のない私たちからすればたいした量の胡椒ではないけれど、父ののどにはこたえるようで、せっかくのスープも一口のんでは要らないと言った。刺激がなくてそれほど咀嚼を要するものでなければわりと何でもよいというので、私がトマトと卵の炒め物をつくったりすると、全部平らげていた。では、とそれを翌日も出すと、「また同じものか」と言いつつ、食べていた。
10月に帰ったときは、パンをよく牛乳にひたして食べていた。もともとパンと牛乳が好きだったので、米よりもそれをよく食べていた。私が東京にもどり、病状が悪化すると、パンを飲み込むのもつらくなったらしい。しばらくして母から何にも食べない、と嘆かれたので、ゼリー飲料のようなものはどうなの?と提案してみたところ、もう与えてみた後でダメだったと言った。ゼリーも飲み込めないなんて、と言っている間にどんどん悪化していき、母が焦りで震えるような声で電話してきたときには、のどを切開して点滴で栄養をとるしかないということになった。
初夏のころ、病が再発してすぐに、のどを切開するという提案はあった。何にも食べられなくなったらかわいそうだし、死期が早まるのではないかと家族のなかで意見が一致して、担当医もたいそう消極的だったので、見送られたのだった。亡くなった後からすると、あ、結局のどはいずれ切らなきゃいけなかったんだ、とおもい至った。いずれ、食べられなくなったのだ。それが遅いか早いかというだけの話だった。のどの切開を見送ったことが、そのときはすこし後ろめたいような気もしたのだけれど、とどのつまり、遅いか早いかという話だったのだ。そしてそれは、死というものの話ではないだろうか。遅いか早いか、いずれ訪れてしまうという話。
のどを切開したあとは食べることも飲むこともできず、話すこともできない。父が何か言いたいとき、用事があるときのために、ホワイトボードとマーカー、スケッチブックと太いマジックが用意された。切開のあと2週間ほどすると、母が「お父さんはきょう、コーヒーが飲みたい、コーラが飲みたい、と書いてたよ」と明るい声で報告してきた。もうコーヒーやコーラが飲めなくなったのがかわいそうというより、言いたいことを父が書いて寄越したのが楽しかったらしい。私も、かわいそうというよりは、うれしいとか楽しいとか、むしろポジティブな気分だった。いろんなことがままならなくなった父が、自分の欲望を書いた、というのは、たとえば赤ん坊がハイハイしたとか立ったとか歩いたとか、それを目の当たりにした喜びに似ていた。歩き回っていた父は私にとっては、ときに忌々しいほどの存在だったけれど、何もできなくなった父がこちらに反応してみせたりするだけで、赤ん坊の初々しい生態に触れることができたような素朴な喜びを覚えた。と同時に、父が所望したのが、あれほど飲んでいた酒ではなかったことに、驚かない。亡くなってから祭壇に一升瓶が供えられているのをみると、父は、もうたくさん! と言っているのじゃないかと思った。
父と言えば、とうに中年太りが板についてもよい年だったのに、痩せているほうだった。それは酒のせいだったのか煙草のせいだったのか、あるいは意外に労働で体を動かすのが好きで、摂取したエネルギーをほとんど使ってしまうからだったのか、あるいは太りにくい性質だったのかも知れない。のどを切開する直前は虐待された囚人みたいにやせ細っていたそうだが、点滴をはじめると福の神のようにふっくらした、というのはうそで、血の巡りが悪くなって顔がむくんでいて、あまりみたことがない顔だわね、と私はぼんやりした頭で思っていた。
クリスマスってなあに?
2014年12月22日 読書
クリスマス礼拝に参加してきた。
キリストは神と人との和解のために遣わされたんです、と牧師さんが言ってた、わかってるつもりでいたけど、そうなんだ! 和解のためなんだ!とそもそものところに、驚いた。
和解ってなあに?
キリストは神と人との和解のために遣わされたんです、と牧師さんが言ってた、わかってるつもりでいたけど、そうなんだ! 和解のためなんだ!とそもそものところに、驚いた。
和解ってなあに?