この表紙、パソコンの画面でみるぶんにはなんか可愛いですね。
誕生日祝いに植物を買った。先祖は熱帯アメリカから来たのさ。名前はモンステラさ。
買ってみるまでは、観葉植物なんて金持ちぶった趣味で、なんだかおどろおどろしい形のものが多いな、という認識しかなかった。
園芸屋さんに行ってみるといろんなものがあって面白かった。私ははじめての種類のお店ではキンチョーしてしまってお店の人にすすんで何か尋ねるということができないのだけれど、お客さんが他にいなかったので、話しかけてくださって、助かった。だけど初心者ですとは最初に白状できなかった。どんだけチキンなのか。
いざ家に連れてきてみると、緑がうれしかった。そしていざ育て方などを調べてみると、ケミカルな感じ...いや肥料や土が百パー自然由来のものではないだろうとか、そういうことではないんだけど、やっぱりこういうのって、農業もそうだろうけど、ケミカルというか、人工的なんですね。枯らさないようにして、できれば大きく育てて、人工的とはどのようなものか、という勉強をしようとおもう。
行ってみた園芸やさんはデパートの屋上階にあったのだけれど、店員さんのひとりが宮崎アニメにでてきそうな、穏やかなのに腹黒そうな、なんかあんまり「自然」な臭いのしないおじさんだった。そのおじさんの流れるようなトークに魅せられて、というか負けて、栄養液を買ってしまった。(もうひとつ激オシされた霧吹きボトルだけはなんとかするっと辞退した)。
誕生日祝いに植物を買った。先祖は熱帯アメリカから来たのさ。名前はモンステラさ。
買ってみるまでは、観葉植物なんて金持ちぶった趣味で、なんだかおどろおどろしい形のものが多いな、という認識しかなかった。
園芸屋さんに行ってみるといろんなものがあって面白かった。私ははじめての種類のお店ではキンチョーしてしまってお店の人にすすんで何か尋ねるということができないのだけれど、お客さんが他にいなかったので、話しかけてくださって、助かった。だけど初心者ですとは最初に白状できなかった。どんだけチキンなのか。
いざ家に連れてきてみると、緑がうれしかった。そしていざ育て方などを調べてみると、ケミカルな感じ...いや肥料や土が百パー自然由来のものではないだろうとか、そういうことではないんだけど、やっぱりこういうのって、農業もそうだろうけど、ケミカルというか、人工的なんですね。枯らさないようにして、できれば大きく育てて、人工的とはどのようなものか、という勉強をしようとおもう。
行ってみた園芸やさんはデパートの屋上階にあったのだけれど、店員さんのひとりが宮崎アニメにでてきそうな、穏やかなのに腹黒そうな、なんかあんまり「自然」な臭いのしないおじさんだった。そのおじさんの流れるようなトークに魅せられて、というか負けて、栄養液を買ってしまった。(もうひとつ激オシされた霧吹きボトルだけはなんとかするっと辞退した)。
暴発おばさん
2015年3月16日ひとりの人間のなかには、何人もの人間が住んでいる、という。と言い切ってしまって、実際あまり聞いたことないなあ、と思ったので、まあ、いろんな面があるよね、と申し上げておきましょうか。私にもいろんな面があり、もしくは何人か住んでいるようなのだが、成分表をつくれば大部分はおばさんで、ひとり間違って少年がいて、女もいくらかいるような気もするが、とにかく大部分はおばさんなのであった。このおばさんが複数いるのかおおきな単数なのかは、日本語の妙なので、よくわからない。
おばさんはとにかくよく笑ってしまうひとで、自分が話しているそばから自分の話していることが面白くて仕方ない、というような滑稽なひとなのだが、きょうそのおばさんが暴発して、わはは!とひとりで笑ってしまって、いっしょに話していたひとは、ああそうですよね、という愛想笑いくらいだったという差が、間違って存在している少年にとってはものすごく恥ずかしいものだった。だからおばさんは嫌なんだ! 死んじゃえばいいのに! と少年はとかく恥ずかしがりなので、少年らしい激しい物言いをするかわりに、そのくらいの強さをこめたまなざしでおばさんをにらんだのであった。おばさんは慌てて、びっくりさせてごめんねえ、天気悪いとさあ、湿気籠っちゃっうとさあ、頭がぼうっとして、空気読めないっていうかさあ、と少年に言った。おばさんはよく笑うのと同じくらい言い訳をする。少年もわりかし言い訳をする性質なので、むしろ嫌悪感が増す。おばさんは言い訳と同じくらい開き直りもするので、そんなに恥ずかしがっちゃって、ばっかみたい、と言い捨てた。少年はもう嫌だ嫌だ、と花粉症もひどいので不貞寝する。寝てしまえばおばさんの行動にうんざりすることもないので。おばさんは誰も相手してくれないので、ああ、誰も私のことをわかってくれないんだから、と孤独をあじわう。
何もかも雨と花粉と季節の移り変わりのせい、とおばさんは言うが、おばさんは季節にも天気にも関係なく不意に暴発する。とにかくみんな笑ってくれればいいだけなのに、と反省もしないので、少年はますます恥じいるしかない。
おばさんはとにかくよく笑ってしまうひとで、自分が話しているそばから自分の話していることが面白くて仕方ない、というような滑稽なひとなのだが、きょうそのおばさんが暴発して、わはは!とひとりで笑ってしまって、いっしょに話していたひとは、ああそうですよね、という愛想笑いくらいだったという差が、間違って存在している少年にとってはものすごく恥ずかしいものだった。だからおばさんは嫌なんだ! 死んじゃえばいいのに! と少年はとかく恥ずかしがりなので、少年らしい激しい物言いをするかわりに、そのくらいの強さをこめたまなざしでおばさんをにらんだのであった。おばさんは慌てて、びっくりさせてごめんねえ、天気悪いとさあ、湿気籠っちゃっうとさあ、頭がぼうっとして、空気読めないっていうかさあ、と少年に言った。おばさんはよく笑うのと同じくらい言い訳をする。少年もわりかし言い訳をする性質なので、むしろ嫌悪感が増す。おばさんは言い訳と同じくらい開き直りもするので、そんなに恥ずかしがっちゃって、ばっかみたい、と言い捨てた。少年はもう嫌だ嫌だ、と花粉症もひどいので不貞寝する。寝てしまえばおばさんの行動にうんざりすることもないので。おばさんは誰も相手してくれないので、ああ、誰も私のことをわかってくれないんだから、と孤独をあじわう。
何もかも雨と花粉と季節の移り変わりのせい、とおばさんは言うが、おばさんは季節にも天気にも関係なく不意に暴発する。とにかくみんな笑ってくれればいいだけなのに、と反省もしないので、少年はますます恥じいるしかない。
ふきん その2
2015年3月10日妹の家には食器拭き用のふきんがない。たまに訪問して食器を洗うときは、それが妹でも私でも、ちいさい水切り籠にセンスを駆使して、小高い丘をつくりあげることになる。そして次の食事の用意時や翌日の朝までほったらかすしかなく、それで全部乾燥できるのならいいのだけれど、どこかしら濡れているので棚にしまったりするのに抵抗を覚え、もったいないけれどキッチンペーパーで拭いたり...するのは私で、妹のほうは乾かなければ乾かないで仕方なく、少なくとも自分のやることはもうない!と思っているようで、そのまま元の場所へ戻していく。妹が、そんなもんだと思っているのは、だって、うちの母がそうだったからである。うちにあるふきんは台拭きだけだった。
ふきんで拭き上げれば、次に使うときに皿にへんな水の痕がついていることもないし、せめてしまう直前に拭いたらいいし、たとえば全部拭きあげなくても、小高い丘をすこしは崩したら他のものが乾きやすくなるし、とにかく食器用のふきんを用意しろ、と言ってみると、「だってふきんは汚いんだもん」と答える。「濡れたまま戻すほうが衛生的によくない」「いやいやふきんで拭いた方が衛生的によくない。濡れたふきん汚い」。濡れたふきんが汚いであろうのはそうであろうが、新しいのに取り替え、濡れたものは洗って乾かせばいいのだが、実家にあった台拭きがとくに洗剤など使わず水洗いだけで、干すというよりは流しに置かれたまま、なんだか臭いかも知れないけど臭いを嗅ぎたくない...という扱いだったためか、妹も母のやり口と感覚を踏襲しているのであり、こんな瑣末なことは逆にやすやすとは改訂しがたいものなんだな。新しい料理に挑戦するとかいうよりは、喜びもときめきもだいぶ薄いことだし。
案外、食器用ふきんを常備していない家って多いのかな、と思い、帰宅してエネさんに話をしたら、「そんな、ふきんがないなんて信じられない! 君のおうちだけじゃないかな!」と言う。「いやいや、意外に日本の家庭は用意してないんじゃないかな」と返しても、もともときれい好きなエネさんはシンジラレナイを連発するだけだった。
数日後に会った友人のご夫婦に食器用ふきんの有無を尋ねたら、持っている、と言う。とりあえずは水切り籠に入れておいて、翌朝とか、しばらく経っても乾いていない部分だけ拭いたりします、と女性が答えていたら、男性の方が「実はそのやり方、最初のほうは僕はいやだったんだよね、慣れたけど」と口をはさむ。その理由は「濡れたふきんで拭く方が汚いと思っていた」ということで、私の妹と同じだった。拭くときにはさすがに乾いたものを用いているとおもうけれど、だんだん濡れていくのがとても嫌なものらしい。
職場の先輩に訊いたら「冬はなかなか乾きにくいので、拭く。夏はあまり拭かない」という、新しいパターンだった。
一般論にはできないけれど、たぶん日本の何割かの家庭は、乾き切っていない皿より濡れていくふきんを嫌がるのかな。
ちなみに私は2、3日で2枚つかうくらいのペースで、できれば自然乾燥のほうが手間がかからなくていいけど、全部乾くわけではないし、拭いた方が手っ取り早くしまえるのでほとんど拭いている。
ふきんで拭き上げれば、次に使うときに皿にへんな水の痕がついていることもないし、せめてしまう直前に拭いたらいいし、たとえば全部拭きあげなくても、小高い丘をすこしは崩したら他のものが乾きやすくなるし、とにかく食器用のふきんを用意しろ、と言ってみると、「だってふきんは汚いんだもん」と答える。「濡れたまま戻すほうが衛生的によくない」「いやいやふきんで拭いた方が衛生的によくない。濡れたふきん汚い」。濡れたふきんが汚いであろうのはそうであろうが、新しいのに取り替え、濡れたものは洗って乾かせばいいのだが、実家にあった台拭きがとくに洗剤など使わず水洗いだけで、干すというよりは流しに置かれたまま、なんだか臭いかも知れないけど臭いを嗅ぎたくない...という扱いだったためか、妹も母のやり口と感覚を踏襲しているのであり、こんな瑣末なことは逆にやすやすとは改訂しがたいものなんだな。新しい料理に挑戦するとかいうよりは、喜びもときめきもだいぶ薄いことだし。
案外、食器用ふきんを常備していない家って多いのかな、と思い、帰宅してエネさんに話をしたら、「そんな、ふきんがないなんて信じられない! 君のおうちだけじゃないかな!」と言う。「いやいや、意外に日本の家庭は用意してないんじゃないかな」と返しても、もともときれい好きなエネさんはシンジラレナイを連発するだけだった。
数日後に会った友人のご夫婦に食器用ふきんの有無を尋ねたら、持っている、と言う。とりあえずは水切り籠に入れておいて、翌朝とか、しばらく経っても乾いていない部分だけ拭いたりします、と女性が答えていたら、男性の方が「実はそのやり方、最初のほうは僕はいやだったんだよね、慣れたけど」と口をはさむ。その理由は「濡れたふきんで拭く方が汚いと思っていた」ということで、私の妹と同じだった。拭くときにはさすがに乾いたものを用いているとおもうけれど、だんだん濡れていくのがとても嫌なものらしい。
職場の先輩に訊いたら「冬はなかなか乾きにくいので、拭く。夏はあまり拭かない」という、新しいパターンだった。
一般論にはできないけれど、たぶん日本の何割かの家庭は、乾き切っていない皿より濡れていくふきんを嫌がるのかな。
ちなみに私は2、3日で2枚つかうくらいのペースで、できれば自然乾燥のほうが手間がかからなくていいけど、全部乾くわけではないし、拭いた方が手っ取り早くしまえるのでほとんど拭いている。
ふきんについて、どうでもいい話。
2015年3月8日 最近ふきんの洗い方を変えた。ごめんなさい、どうでもいい話です。
ふきんというのは食器を拭く用のふきんなのだけれど、塩素系の漂白剤を使っていたのを、なんだか環境によろしくない気がするので替えたくなり、ネットでいろいろと検索したのであった。
環境負荷があまりないとされている石鹼で手洗いして、あまり余計なものの入っていない(やや割高の)酸素系の漂白剤を使えばよい、と書いてあったので、いままで塩素系漂白剤+ふつうの洗剤で洗濯機をまわす、というのを変えることにした。さらに読んでいたら、私の今まで使っていた〈ふつうの洗剤=蛍光増白剤入り〉は、口に触れるものや肌にふれるものに使用することはよくないので、たとえば市販のふきんの仕上げに使用したりすることは禁止されている...と知り、ぎゃっふーん! となった。
蛍光増白剤入り洗剤は母親がなぜかたまに送ってくる詰め替え用のもので、私は何年か前から、蛍光増白剤は色柄ものにはよろしくない、とぼんやり聞きかじった知識でもって、そういうものは自ら買わないようにしていた。せっかく送ってくるので、なにか使うものないかなと考えていて、ふきんやぞうきんの洗濯なら色あせなぞどうでもいいので使うことにしていた。蛍光増白剤入りの洗剤は洗濯機でいったん回せば何遍洗っても落ちません! などと末代まで祟るようなことさえ書いてあって、萎えた。かと言ってふきんや洗濯機を棄てるわけにはいかないので、これからはその洗剤をいっさい使わないことしかできないのだが、まだその洗剤が2つ半は残っています。どうしたらいいのか。
ふきんというのは食器を拭く用のふきんなのだけれど、塩素系の漂白剤を使っていたのを、なんだか環境によろしくない気がするので替えたくなり、ネットでいろいろと検索したのであった。
環境負荷があまりないとされている石鹼で手洗いして、あまり余計なものの入っていない(やや割高の)酸素系の漂白剤を使えばよい、と書いてあったので、いままで塩素系漂白剤+ふつうの洗剤で洗濯機をまわす、というのを変えることにした。さらに読んでいたら、私の今まで使っていた〈ふつうの洗剤=蛍光増白剤入り〉は、口に触れるものや肌にふれるものに使用することはよくないので、たとえば市販のふきんの仕上げに使用したりすることは禁止されている...と知り、ぎゃっふーん! となった。
蛍光増白剤入り洗剤は母親がなぜかたまに送ってくる詰め替え用のもので、私は何年か前から、蛍光増白剤は色柄ものにはよろしくない、とぼんやり聞きかじった知識でもって、そういうものは自ら買わないようにしていた。せっかく送ってくるので、なにか使うものないかなと考えていて、ふきんやぞうきんの洗濯なら色あせなぞどうでもいいので使うことにしていた。蛍光増白剤入りの洗剤は洗濯機でいったん回せば何遍洗っても落ちません! などと末代まで祟るようなことさえ書いてあって、萎えた。かと言ってふきんや洗濯機を棄てるわけにはいかないので、これからはその洗剤をいっさい使わないことしかできないのだが、まだその洗剤が2つ半は残っています。どうしたらいいのか。
さいごの食べもの、飲みもの
2015年1月9日 読書
父が年の瀬に亡くなった。亡くなる1カ月前くらいは、のどを切開したために、点滴で栄養を摂取していた。
夏頃からのどが痛んで刺激のあるものが沁みるというので、辛いものや酸っぱいものを敬遠しだした。妹の姑が気をきかせて、添加物のないレトルトのスープの詰め合わせを送ってくれたのだが、胡椒が使われているものが多く、とくに病のない私たちからすればたいした量の胡椒ではないけれど、父ののどにはこたえるようで、せっかくのスープも一口のんでは要らないと言った。刺激がなくてそれほど咀嚼を要するものでなければわりと何でもよいというので、私がトマトと卵の炒め物をつくったりすると、全部平らげていた。では、とそれを翌日も出すと、「また同じものか」と言いつつ、食べていた。
10月に帰ったときは、パンをよく牛乳にひたして食べていた。もともとパンと牛乳が好きだったので、米よりもそれをよく食べていた。私が東京にもどり、病状が悪化すると、パンを飲み込むのもつらくなったらしい。しばらくして母から何にも食べない、と嘆かれたので、ゼリー飲料のようなものはどうなの?と提案してみたところ、もう与えてみた後でダメだったと言った。ゼリーも飲み込めないなんて、と言っている間にどんどん悪化していき、母が焦りで震えるような声で電話してきたときには、のどを切開して点滴で栄養をとるしかないということになった。
初夏のころ、病が再発してすぐに、のどを切開するという提案はあった。何にも食べられなくなったらかわいそうだし、死期が早まるのではないかと家族のなかで意見が一致して、担当医もたいそう消極的だったので、見送られたのだった。亡くなった後からすると、あ、結局のどはいずれ切らなきゃいけなかったんだ、とおもい至った。いずれ、食べられなくなったのだ。それが遅いか早いかというだけの話だった。のどの切開を見送ったことが、そのときはすこし後ろめたいような気もしたのだけれど、とどのつまり、遅いか早いかという話だったのだ。そしてそれは、死というものの話ではないだろうか。遅いか早いか、いずれ訪れてしまうという話。
のどを切開したあとは食べることも飲むこともできず、話すこともできない。父が何か言いたいとき、用事があるときのために、ホワイトボードとマーカー、スケッチブックと太いマジックが用意された。切開のあと2週間ほどすると、母が「お父さんはきょう、コーヒーが飲みたい、コーラが飲みたい、と書いてたよ」と明るい声で報告してきた。もうコーヒーやコーラが飲めなくなったのがかわいそうというより、言いたいことを父が書いて寄越したのが楽しかったらしい。私も、かわいそうというよりは、うれしいとか楽しいとか、むしろポジティブな気分だった。いろんなことがままならなくなった父が、自分の欲望を書いた、というのは、たとえば赤ん坊がハイハイしたとか立ったとか歩いたとか、それを目の当たりにした喜びに似ていた。歩き回っていた父は私にとっては、ときに忌々しいほどの存在だったけれど、何もできなくなった父がこちらに反応してみせたりするだけで、赤ん坊の初々しい生態に触れることができたような素朴な喜びを覚えた。と同時に、父が所望したのが、あれほど飲んでいた酒ではなかったことに、驚かない。亡くなってから祭壇に一升瓶が供えられているのをみると、父は、もうたくさん! と言っているのじゃないかと思った。
父と言えば、とうに中年太りが板についてもよい年だったのに、痩せているほうだった。それは酒のせいだったのか煙草のせいだったのか、あるいは意外に労働で体を動かすのが好きで、摂取したエネルギーをほとんど使ってしまうからだったのか、あるいは太りにくい性質だったのかも知れない。のどを切開する直前は虐待された囚人みたいにやせ細っていたそうだが、点滴をはじめると福の神のようにふっくらした、というのはうそで、血の巡りが悪くなって顔がむくんでいて、あまりみたことがない顔だわね、と私はぼんやりした頭で思っていた。
夏頃からのどが痛んで刺激のあるものが沁みるというので、辛いものや酸っぱいものを敬遠しだした。妹の姑が気をきかせて、添加物のないレトルトのスープの詰め合わせを送ってくれたのだが、胡椒が使われているものが多く、とくに病のない私たちからすればたいした量の胡椒ではないけれど、父ののどにはこたえるようで、せっかくのスープも一口のんでは要らないと言った。刺激がなくてそれほど咀嚼を要するものでなければわりと何でもよいというので、私がトマトと卵の炒め物をつくったりすると、全部平らげていた。では、とそれを翌日も出すと、「また同じものか」と言いつつ、食べていた。
10月に帰ったときは、パンをよく牛乳にひたして食べていた。もともとパンと牛乳が好きだったので、米よりもそれをよく食べていた。私が東京にもどり、病状が悪化すると、パンを飲み込むのもつらくなったらしい。しばらくして母から何にも食べない、と嘆かれたので、ゼリー飲料のようなものはどうなの?と提案してみたところ、もう与えてみた後でダメだったと言った。ゼリーも飲み込めないなんて、と言っている間にどんどん悪化していき、母が焦りで震えるような声で電話してきたときには、のどを切開して点滴で栄養をとるしかないということになった。
初夏のころ、病が再発してすぐに、のどを切開するという提案はあった。何にも食べられなくなったらかわいそうだし、死期が早まるのではないかと家族のなかで意見が一致して、担当医もたいそう消極的だったので、見送られたのだった。亡くなった後からすると、あ、結局のどはいずれ切らなきゃいけなかったんだ、とおもい至った。いずれ、食べられなくなったのだ。それが遅いか早いかというだけの話だった。のどの切開を見送ったことが、そのときはすこし後ろめたいような気もしたのだけれど、とどのつまり、遅いか早いかという話だったのだ。そしてそれは、死というものの話ではないだろうか。遅いか早いか、いずれ訪れてしまうという話。
のどを切開したあとは食べることも飲むこともできず、話すこともできない。父が何か言いたいとき、用事があるときのために、ホワイトボードとマーカー、スケッチブックと太いマジックが用意された。切開のあと2週間ほどすると、母が「お父さんはきょう、コーヒーが飲みたい、コーラが飲みたい、と書いてたよ」と明るい声で報告してきた。もうコーヒーやコーラが飲めなくなったのがかわいそうというより、言いたいことを父が書いて寄越したのが楽しかったらしい。私も、かわいそうというよりは、うれしいとか楽しいとか、むしろポジティブな気分だった。いろんなことがままならなくなった父が、自分の欲望を書いた、というのは、たとえば赤ん坊がハイハイしたとか立ったとか歩いたとか、それを目の当たりにした喜びに似ていた。歩き回っていた父は私にとっては、ときに忌々しいほどの存在だったけれど、何もできなくなった父がこちらに反応してみせたりするだけで、赤ん坊の初々しい生態に触れることができたような素朴な喜びを覚えた。と同時に、父が所望したのが、あれほど飲んでいた酒ではなかったことに、驚かない。亡くなってから祭壇に一升瓶が供えられているのをみると、父は、もうたくさん! と言っているのじゃないかと思った。
父と言えば、とうに中年太りが板についてもよい年だったのに、痩せているほうだった。それは酒のせいだったのか煙草のせいだったのか、あるいは意外に労働で体を動かすのが好きで、摂取したエネルギーをほとんど使ってしまうからだったのか、あるいは太りにくい性質だったのかも知れない。のどを切開する直前は虐待された囚人みたいにやせ細っていたそうだが、点滴をはじめると福の神のようにふっくらした、というのはうそで、血の巡りが悪くなって顔がむくんでいて、あまりみたことがない顔だわね、と私はぼんやりした頭で思っていた。
クリスマスってなあに?
2014年12月22日 読書
クリスマス礼拝に参加してきた。
キリストは神と人との和解のために遣わされたんです、と牧師さんが言ってた、わかってるつもりでいたけど、そうなんだ! 和解のためなんだ!とそもそものところに、驚いた。
和解ってなあに?
キリストは神と人との和解のために遣わされたんです、と牧師さんが言ってた、わかってるつもりでいたけど、そうなんだ! 和解のためなんだ!とそもそものところに、驚いた。
和解ってなあに?
音楽は何のためにーなりひびきゃいいのうー
フィッシュマンズすごく聴いているほうではないけれど、なんかあったときにほわっと浮かんでくるのはすごいなあ。
あ、別に政治のために鳴ってろとか、そういうことを言いたいのではないです。
フィッシュマンズすごく聴いているほうではないけれど、なんかあったときにほわっと浮かんでくるのはすごいなあ。
あ、別に政治のために鳴ってろとか、そういうことを言いたいのではないです。
小型聖書 - 新共同訳
2014年12月16日 読書
聖書が読みたい。持ってはいるのだけれど、引っ越しのとき実家に送って以来、行方不明。
同僚の方に敬虔なクリスチャンの方がいらっしゃって、ミサに誘われて完全にミーハー気分で参列させていただくつもりなのだが、「祈りはどこででもできるものですが、不二さんといっしょにお父様のことをお祈りできるのはうれしいです」とメールで言っていただいた。そもそも私は父のことを祈ったことがないということに気づいて、恐縮した。
祈りがなければ、そこから行いが生まれるわけがないのであった。だから私はなにも父にしていない。
でも、聖書が読みたいのは、お祈りのためではなく、聖書のなかのなんだか不条理におもわれる話を読みたいからである。たしかキリストが、果実を落としてくれない木に、枯れてしまえ!と言ってほんとに枯れた話があったような気がするのだが。なにか意味があるのかも知れないがひどい話にしか思えない。
同僚の方に敬虔なクリスチャンの方がいらっしゃって、ミサに誘われて完全にミーハー気分で参列させていただくつもりなのだが、「祈りはどこででもできるものですが、不二さんといっしょにお父様のことをお祈りできるのはうれしいです」とメールで言っていただいた。そもそも私は父のことを祈ったことがないということに気づいて、恐縮した。
祈りがなければ、そこから行いが生まれるわけがないのであった。だから私はなにも父にしていない。
でも、聖書が読みたいのは、お祈りのためではなく、聖書のなかのなんだか不条理におもわれる話を読みたいからである。たしかキリストが、果実を落としてくれない木に、枯れてしまえ!と言ってほんとに枯れた話があったような気がするのだが。なにか意味があるのかも知れないがひどい話にしか思えない。
12月16日の日記
2014年12月16日選挙では共産党に入れました。共産党が伸びてよかった。
くるりの岸田がポリタスで「忙しくて行けなかったし、行っても白票にするつもりだった」と書いていたのが、萎えた。行けなかったことは仕方ないのだが、白票の理由が自分に合致する政党がない、ということだったので、萎えた。変わるべきは国民の方だ、と言っていた。よくわからない。
私も選挙には、ぜんぜん行っていなかった。たぶん岸田のほうが、回数的には行っているんじゃないだろうか。
白票を投じるひとは、たぶんすごく理想が高いのかも知れないし、すごく潔癖なのかも知れない。私もたぶんそういうタイプであった。そういうひとの頭のなかのビジョンは、ほんとうにすばらしいのだろうとおもう。
ただ頭の中ではなく、現実世界で、まったく同じではなくても、自分と似たような理想をもってがんばっているひとがいるし、立場がちがっても、自分と同じものに反対しているひとはいる。そういうひとに賭けたり、つながったり応援したりすることは、ひとりで頭のなかで考えているよりも、世界を変えやすいとおもうのですが、どうだろう。そもそも世界を変えたいとおもってもいなさそうだけれど。
国民のほうが変わるーー自分のほうが変わる、ということ。それは、変わらなければならないだろうとおもう。自分を変えるのはたぶん世界を変えるより易しい、ということを言うひとがいる。世界を変えるより自分のほうが変われ、って、高校のときの先生にも言われた。自分のコーナーを明るくしろ、と言われた。それは正しい。
ただ、自分が変われ、と言う行為自体はわりと容易である。それは、おおきな世界のほうに変われと求めるよりは易しいとおもう。でも、自分が変わっても、それがひどい世界の変化に生かされないなら、意味があるのだろうか。
といろいろもやもやしたのだけれど、なんでこんなに岸田にイライラしてるのか、自分でも不思議。もうファンじゃないし。
岸田の潔癖さのようなものって、音楽家であることから来るのか、それとも青二才だからなのか、それともこの年代特有のものなのか。
集団的自衛権とかヘイトスピーチとかありえない、とおもっているのだけれど、岸田はそこにも触れていなかった。そういうひとにイライラすること自体かなり不毛ではある。
私はビミョーな人間なので、変わりたい。でも同時に、ひどい世界も変わってほしい。とりあえず対象もあいまいにただ変われと言う人は、疑ってかかることにする。
くるりの岸田がポリタスで「忙しくて行けなかったし、行っても白票にするつもりだった」と書いていたのが、萎えた。行けなかったことは仕方ないのだが、白票の理由が自分に合致する政党がない、ということだったので、萎えた。変わるべきは国民の方だ、と言っていた。よくわからない。
私も選挙には、ぜんぜん行っていなかった。たぶん岸田のほうが、回数的には行っているんじゃないだろうか。
白票を投じるひとは、たぶんすごく理想が高いのかも知れないし、すごく潔癖なのかも知れない。私もたぶんそういうタイプであった。そういうひとの頭のなかのビジョンは、ほんとうにすばらしいのだろうとおもう。
ただ頭の中ではなく、現実世界で、まったく同じではなくても、自分と似たような理想をもってがんばっているひとがいるし、立場がちがっても、自分と同じものに反対しているひとはいる。そういうひとに賭けたり、つながったり応援したりすることは、ひとりで頭のなかで考えているよりも、世界を変えやすいとおもうのですが、どうだろう。そもそも世界を変えたいとおもってもいなさそうだけれど。
国民のほうが変わるーー自分のほうが変わる、ということ。それは、変わらなければならないだろうとおもう。自分を変えるのはたぶん世界を変えるより易しい、ということを言うひとがいる。世界を変えるより自分のほうが変われ、って、高校のときの先生にも言われた。自分のコーナーを明るくしろ、と言われた。それは正しい。
ただ、自分が変われ、と言う行為自体はわりと容易である。それは、おおきな世界のほうに変われと求めるよりは易しいとおもう。でも、自分が変わっても、それがひどい世界の変化に生かされないなら、意味があるのだろうか。
といろいろもやもやしたのだけれど、なんでこんなに岸田にイライラしてるのか、自分でも不思議。もうファンじゃないし。
岸田の潔癖さのようなものって、音楽家であることから来るのか、それとも青二才だからなのか、それともこの年代特有のものなのか。
集団的自衛権とかヘイトスピーチとかありえない、とおもっているのだけれど、岸田はそこにも触れていなかった。そういうひとにイライラすること自体かなり不毛ではある。
私はビミョーな人間なので、変わりたい。でも同時に、ひどい世界も変わってほしい。とりあえず対象もあいまいにただ変われと言う人は、疑ってかかることにする。
一生の、パートナーができました、わっ。
なのに今私の髪型は、ここ8年くらいでいちばんイマイチなのであった。
休日窓口で婚姻届をだすと、実感がわきにくい、ということを発見した。みなさまご参考までにー。友人にもこの発見を伝播したいと思います。
なのに今私の髪型は、ここ8年くらいでいちばんイマイチなのであった。
休日窓口で婚姻届をだすと、実感がわきにくい、ということを発見した。みなさまご参考までにー。友人にもこの発見を伝播したいと思います。
神さまの話 (新潮文庫)
2014年10月31日 読書 コメント (4)
顔合わせのためにエネさんといっしょに帰郷した。エネさんのご両親に関西から田舎に出向いていただいた。母はそんな顔合わせの席でさえ祖母への敵意を包み隠せないので、すこしヒヤヒヤした。祖母はノンシャランとつまらない話をし、しかもそれがへんな自慢話のようだし、誇張があるし、私の話っていうより、自分の話だし!――そのつまらない話に顔を背けて苦笑をかみ殺している兄に救われたような気もする。それを妹にみせて笑い転げたかった。祖母はなぜか自分の嫁いだときの話をしだして、しかも自分が遠方から来たるように話すので、兄が「まあ、すぐそこの歩いて2、3分くらいの家から嫁に来たんですけどね、祖母は」とさすがに注釈を入れていた。顔合わせのあとのお食事会では、父はハブられるようにして来ず(最初は行かないと言ったのに、お食事会の店に行く直前に「やっぱりおれも言った方がいいんじゃないか」などと言い出したけれど、私たちは車に乗っていて、「そんなーおそいよー料理がないよーー」と窓から身を乗り出して言い捨てて出かけていった)、代理を兄がつとめた。私は父もしいて連れて行けばよかったとおもった。なんてったって、老い先みじかい病人なのだし。料理なんて行ってからむりやり頼めばいいんだし。病気のせいで食べ方が汚いから、それをみせるのもね、と母は言っていたけれど、なんだって言うの。でも、父は健康なときから、ぜつぼう的に食べ方が汚かった。じぶんの食べ方が汚いなんて自覚できないくらい。兄はエネさんのご両親相手によくしゃべって、お兄ちゃん頼りになるなあと私は感心してしまったけれど、やや詐欺師っぽかったかも知れない。
帰郷はやはり、そんなに楽しくないのであった。帰るときにはなにか後悔を感じたり、実家のこれからについての不安をまざまざと思い知らされたり、すっきりした気分で帰ったことがない、のは、私だけではなく、妹もそうだと前に言っていた。でも兄の子どもたちにドヤ!と言わんばかりのお土産をあげたり、いっしょに遊んだりして、楽しかったし、エネさんが犬の散歩をほとんど毎日してくれて、犬にもよかった。でも私が結婚すると言ったってやはり母は祖母を許せない—―許せないにしても、なにかしらの心のよゆうが生まれないものか、憎んでもいっこうに甲斐のないことからすこしでも目をそらすことはできないか。とおもいつつ、ほらやっぱり、私の人生と母の人生は別個なものだった! 母がいくら子どもらの幸せでじぶんの籠を満たしたいっておもっても、私には私じしんの籠があるのよ! とさけびたい。
私はじぶんの人生をつくらなくては。そのついでに、祖母の神さまともちがう、神さまの話をしなくては。
私や母や祖母との関係性と、母方の元気なおばたちに振り回されたエネさんは、九州みやげに風邪を引いた。って、6月の妹の結婚式後の観光ツアーでも、エネさんは風邪を引いたのである。私たち、ちょっとした疫病神なんだわー。
帰郷はやはり、そんなに楽しくないのであった。帰るときにはなにか後悔を感じたり、実家のこれからについての不安をまざまざと思い知らされたり、すっきりした気分で帰ったことがない、のは、私だけではなく、妹もそうだと前に言っていた。でも兄の子どもたちにドヤ!と言わんばかりのお土産をあげたり、いっしょに遊んだりして、楽しかったし、エネさんが犬の散歩をほとんど毎日してくれて、犬にもよかった。でも私が結婚すると言ったってやはり母は祖母を許せない—―許せないにしても、なにかしらの心のよゆうが生まれないものか、憎んでもいっこうに甲斐のないことからすこしでも目をそらすことはできないか。とおもいつつ、ほらやっぱり、私の人生と母の人生は別個なものだった! 母がいくら子どもらの幸せでじぶんの籠を満たしたいっておもっても、私には私じしんの籠があるのよ! とさけびたい。
私はじぶんの人生をつくらなくては。そのついでに、祖母の神さまともちがう、神さまの話をしなくては。
私や母や祖母との関係性と、母方の元気なおばたちに振り回されたエネさんは、九州みやげに風邪を引いた。って、6月の妹の結婚式後の観光ツアーでも、エネさんは風邪を引いたのである。私たち、ちょっとした疫病神なんだわー。
ゼクシィ首都圏 2014年 12月号
2014年10月29日 読書
おみぃーよ。
水2リットル三個買って、持って帰ったりするのに慣れてるのに、なぜこの雑誌がそれよりおみぃーのか。密度の違いかな。
いま、ふと思いついて、重さをはかってみました。とはいえ調理用のはかりでは、最大重量をオーバーしてしまうおそれがあるので、ゼクシィを抱えて体重計に乗りました。先にはかった自分の体重を差し引いたところ、3.7キロありました、ひどい。
水2リットル三個買って、持って帰ったりするのに慣れてるのに、なぜこの雑誌がそれよりおみぃーのか。密度の違いかな。
いま、ふと思いついて、重さをはかってみました。とはいえ調理用のはかりでは、最大重量をオーバーしてしまうおそれがあるので、ゼクシィを抱えて体重計に乗りました。先にはかった自分の体重を差し引いたところ、3.7キロありました、ひどい。
English EX―Grammar & Usage
2014年10月2日 読書
最近、なんかことばが出ない、というか、文章を組み立てるのに、非常な苦労を覚える。ただ質問に対する答えを言えばいいだけの場合でも、この答えをどういうふうに言えば、納得してもらえるだろうか、などと考えて、ことばに詰まる。
というのは、英語の話でもなくて、こういうふうに文章を書く場合でもなくて、ひとと話す場合に、そのような困難をひどく意識してしまう。こないだ友人と話したときも、きのう妹と長電話したときでも感じて、言語中枢がへんなことになったのか、それとも話す元気がないだけなのか、何なんだこれは。
と、英語の勉強を少しはじめて、日記などを付けてみはじめると、最初はあほみたいな文章しか書けなかったんだが、エンジンがかかったようで、そこそこいろんなことが書けるようになった。頭が固くなってたのかな。
この本はわりとよいです。中級以上向き。
でも、なんだか自分がふよふよ定まらないのにも、原因があるように思う。私のことを話すのに、私って何なんかなあ、などと考えてしまい、「私は、」と言い出しにくくなる、ようなー。
というのは、英語の話でもなくて、こういうふうに文章を書く場合でもなくて、ひとと話す場合に、そのような困難をひどく意識してしまう。こないだ友人と話したときも、きのう妹と長電話したときでも感じて、言語中枢がへんなことになったのか、それとも話す元気がないだけなのか、何なんだこれは。
と、英語の勉強を少しはじめて、日記などを付けてみはじめると、最初はあほみたいな文章しか書けなかったんだが、エンジンがかかったようで、そこそこいろんなことが書けるようになった。頭が固くなってたのかな。
この本はわりとよいです。中級以上向き。
でも、なんだか自分がふよふよ定まらないのにも、原因があるように思う。私のことを話すのに、私って何なんかなあ、などと考えてしまい、「私は、」と言い出しにくくなる、ようなー。
愚痴も積もるとお城になる
2014年9月20日妹が先月末帰郷していたのだけれど、「おかあさんの愚痴がひど過ぎて、あたしドン引きしちゃった、こいつほんとにないわと思った」と言っていて、その愚痴は、近所に住む、うちと血縁関係にある女性についてのものだった。その女性は悪気はないのだが、ここ数年母の気に触るようなことをしばしば言うらしい。それについては直に母から聴いていて、たとえば、仲の良い友人や兄弟が、近すぎるからこそ何の気も使わず発したことばに気を悪くするのにも似ていて、(私はそういうことをたぶんよくやって友人の気を悪くさせているのかも知れないが!)、しかもすこし〈上から目線〉だったので、腹を立てるのもしょうがないけれど、その家の状況について「いい気味だ」というようなことを言うので、妹はドン引きしてしまったらしい。
私は母の愚痴をなるべく聴いて苦労を労うようにしていたのだが、それっていいことなのかなあ。母を嘆かせる状況は一向に解消されなかったし好転もしなかった。愚痴を聴くこと自体は、母の気が一時的に収まったり気楽になったりすれば、と思って聴いていたけれど、愚痴を言い続けることで逆に自己暗示的なものに陥ったりしないのかな、と思う。自らの愚痴でお城をつくりあげそこに閉じこもるというような・・・愚痴が護符のようになるような・・・。話を聴くと母にとってこの家がほんとうにシビアだったことがわかり、気の毒なので、聴きつづけるしかないのかなとおもい、諫言をしてもそれが〈上から目線〉のように感じられたら逆効果だしなあとおもいながら、どうしようかな。むんっ。
私は母の愚痴をなるべく聴いて苦労を労うようにしていたのだが、それっていいことなのかなあ。母を嘆かせる状況は一向に解消されなかったし好転もしなかった。愚痴を聴くこと自体は、母の気が一時的に収まったり気楽になったりすれば、と思って聴いていたけれど、愚痴を言い続けることで逆に自己暗示的なものに陥ったりしないのかな、と思う。自らの愚痴でお城をつくりあげそこに閉じこもるというような・・・愚痴が護符のようになるような・・・。話を聴くと母にとってこの家がほんとうにシビアだったことがわかり、気の毒なので、聴きつづけるしかないのかなとおもい、諫言をしてもそれが〈上から目線〉のように感じられたら逆効果だしなあとおもいながら、どうしようかな。むんっ。
バージニア・ウルフなんかこわくない [DVD]
2014年9月16日 映画
関西のほうへでかけました。
目的はエネさんのおばあさまたちにお会いするためで、足腰が弱っていたりなさっているけれど、すごくいろんなお話をしてくださって、お元気だった。おばあさまたちとほぼ同い年なのに、どんどん元気のなくなってゆく母方の祖母をおもいだすとなんだか切なかった。でもお会いできてうれしかった。
京都でいろんな買い物をしたり、エネさんのおかあさんといろんなお話をしたり、エネさんのおかあさん経由でたいそうなものを戴いたりした。そのたいそうなものをびくびくしながら抱えて二泊三日で帰京した。
エネさんのおかあさんとお話ししていると、とある詩人の話がでてきて、おかあさんが本を出してきてくださった。読んでみたら、ちょっと腹の立つ箇所があったのだが、私はその詩人が以前から苦手なのであった。おかあさん自身からは大事なお友達の話やエネさんの話や、(エネさんはそのとき昼寝していた)、すごくいいお話をしていただいて、これからももっといろいろなお話をしたいなあと心底おもったのだけれど、それとは関係なく、その偉大とうたわれる女性詩人のビミョーな文章が忘れがたく、私はきのうから、〈イバラ木のり子なんかこわくない〉っていう作品があったら、ぜひ読みたい、と夢想している・・・自分より前の世代に、ベルンハルト並みに文句申し立てる、という。
目的はエネさんのおばあさまたちにお会いするためで、足腰が弱っていたりなさっているけれど、すごくいろんなお話をしてくださって、お元気だった。おばあさまたちとほぼ同い年なのに、どんどん元気のなくなってゆく母方の祖母をおもいだすとなんだか切なかった。でもお会いできてうれしかった。
京都でいろんな買い物をしたり、エネさんのおかあさんといろんなお話をしたり、エネさんのおかあさん経由でたいそうなものを戴いたりした。そのたいそうなものをびくびくしながら抱えて二泊三日で帰京した。
エネさんのおかあさんとお話ししていると、とある詩人の話がでてきて、おかあさんが本を出してきてくださった。読んでみたら、ちょっと腹の立つ箇所があったのだが、私はその詩人が以前から苦手なのであった。おかあさん自身からは大事なお友達の話やエネさんの話や、(エネさんはそのとき昼寝していた)、すごくいいお話をしていただいて、これからももっといろいろなお話をしたいなあと心底おもったのだけれど、それとは関係なく、その偉大とうたわれる女性詩人のビミョーな文章が忘れがたく、私はきのうから、〈イバラ木のり子なんかこわくない〉っていう作品があったら、ぜひ読みたい、と夢想している・・・自分より前の世代に、ベルンハルト並みに文句申し立てる、という。
Lovestrong.
2014年9月8日 音楽ハーレム・スクエア・クラブ1963
2014年9月8日 音楽
今年はサム・クックが死んで、50年なんだねえ、とこないだ気づいた。
33で死んだひとはサムクックと、ダニハサですね。と死んだ人の年齢になにかを託すのはよくないのだが、しかもサムクックは他殺のような事故死なのだが、エイミーは27だったのは、それだけロケンロー寄りだったのかな。
私はわざわざ言うまでもなく、怠け者なので、本の奥付に作者の年表なんかが載っていたりすると真面目に読んで、この歳でこのひとはこんなことをやっているのか!と打ちのめされたり、このひとは遅咲きなのだなあ、と安心を覚えたりしてしまうのだが、遅咲きのひとでも、若い頃から着実に積み上げたことがあるのであるのであるので・・・
最近はわりと息の長いひとのものを読むことが多いので、あたくしもまだまだまだ!とおもえる。
33で死んだひとはサムクックと、ダニハサですね。と死んだ人の年齢になにかを託すのはよくないのだが、しかもサムクックは他殺のような事故死なのだが、エイミーは27だったのは、それだけロケンロー寄りだったのかな。
私はわざわざ言うまでもなく、怠け者なので、本の奥付に作者の年表なんかが載っていたりすると真面目に読んで、この歳でこのひとはこんなことをやっているのか!と打ちのめされたり、このひとは遅咲きなのだなあ、と安心を覚えたりしてしまうのだが、遅咲きのひとでも、若い頃から着実に積み上げたことがあるのであるのであるので・・・
最近はわりと息の長いひとのものを読むことが多いので、あたくしもまだまだまだ!とおもえる。
チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫)
2014年9月5日 読書
こないだ、私は、すごい発見をしたので、エネさんに息巻いて言ったのです。「エネさん、今年ってさあ、第一次世界大戦の開戦からね、ちょうど百年なんだよ!」そしたらエネさんは「知ってるよ、だから本がいっぱい出てるんでしょ」と答えたのでした。私はそれでやっと、岩波からなぜ分厚い第一次世界大戦についての研究本がでていたのか、合点がいったのでした。私ってアホなんだー。
そんな会話の手前に、第一次大戦がタイムリーというのとは関係なく、藤原辰史の「カブラの冬」を読んだ。第一次世界大戦中ドイツは、著しい食料不足に見舞われ、76万人もの餓死者を出した。政府中枢の戦況と食料事情の見通しの甘さ(短期決戦だとおもっていた)、ジャガイモの不作、イギリスによる海上封鎖などが重なってそんな大変なことになったらしい。敗戦後、帝政は崩壊したものの資本主義体制は温存され、食べ物の恨み/飢餓への恐怖は解消されず煮詰まってナチス繁栄の下支えになる。イギリスの海上封鎖を、ユダヤ人を究極的に効率のいい=食べ物/燃料の要らない労働者として扱ったともいえるホロコーストにつながる「食糧テロリズム」である、と捉えているのが興味深い示唆だった。そして第一次世界大戦というものの、〈総力戦〉という性質や、ヨーロッパにおける衝撃というのが、なんとなく話に聴いていただけなのが、なんかすっごく大ごとだったのね、というのだけは、わかった。
「死ねばいい」という、暴力なのかもしらん。
第一次世界大戦といえばー、文学ではー、何なのかなー、とぼんやり考えていて、「チャタレイ夫人の恋人」に行き当たる。昔読んだときに、コニー(=チャタレイ夫人)でもなく、森番でもなく、クリフォードは(=ミスターチャタレイ)のほうが、不気味過ぎて気になった。教養もあって文学もたしなむ俗物なのですが、クリフォードはほんとうにリアルな存在に感じられて、コニーや森番よりも、私にはブンガク的であった。そのクリフォードは冒頭第一次大戦で負傷して障害を負ったと示されるのであった(ややうろおぼえ)。そこから読んでみてもいいのかも知れないニャー、いまいっぱい借りてきた本を読み終えたら。(ちなみにウィキペディアのこの作品の項目はわりと間違っている)。ウルフのダロウェイ夫人も、そうなのだろうか。
と、まじめに考えていたけど、昔私が熱心にこの本を薦めた際に、コニーと森番のいちゃつき場面を読み上げて、「あっはっは、お前のけつはよう、だって! あっはっは」と笑っていたタネコさんばかりがおもい浮かんでしまう。
そんな会話の手前に、第一次大戦がタイムリーというのとは関係なく、藤原辰史の「カブラの冬」を読んだ。第一次世界大戦中ドイツは、著しい食料不足に見舞われ、76万人もの餓死者を出した。政府中枢の戦況と食料事情の見通しの甘さ(短期決戦だとおもっていた)、ジャガイモの不作、イギリスによる海上封鎖などが重なってそんな大変なことになったらしい。敗戦後、帝政は崩壊したものの資本主義体制は温存され、食べ物の恨み/飢餓への恐怖は解消されず煮詰まってナチス繁栄の下支えになる。イギリスの海上封鎖を、ユダヤ人を究極的に効率のいい=食べ物/燃料の要らない労働者として扱ったともいえるホロコーストにつながる「食糧テロリズム」である、と捉えているのが興味深い示唆だった。そして第一次世界大戦というものの、〈総力戦〉という性質や、ヨーロッパにおける衝撃というのが、なんとなく話に聴いていただけなのが、なんかすっごく大ごとだったのね、というのだけは、わかった。
「死ねばいい」という、暴力なのかもしらん。
第一次世界大戦といえばー、文学ではー、何なのかなー、とぼんやり考えていて、「チャタレイ夫人の恋人」に行き当たる。昔読んだときに、コニー(=チャタレイ夫人)でもなく、森番でもなく、クリフォードは(=ミスターチャタレイ)のほうが、不気味過ぎて気になった。教養もあって文学もたしなむ俗物なのですが、クリフォードはほんとうにリアルな存在に感じられて、コニーや森番よりも、私にはブンガク的であった。そのクリフォードは冒頭第一次大戦で負傷して障害を負ったと示されるのであった(ややうろおぼえ)。そこから読んでみてもいいのかも知れないニャー、いまいっぱい借りてきた本を読み終えたら。(ちなみにウィキペディアのこの作品の項目はわりと間違っている)。ウルフのダロウェイ夫人も、そうなのだろうか。
と、まじめに考えていたけど、昔私が熱心にこの本を薦めた際に、コニーと森番のいちゃつき場面を読み上げて、「あっはっは、お前のけつはよう、だって! あっはっは」と笑っていたタネコさんばかりがおもい浮かんでしまう。
8月31日の日記
2014年8月31日・友人宅にお呼ばれされ沖縄料理を振る舞われ、あげくの果てに泊まらせていただいた。人ン家でだらだらするっていう、すごく無為な時間の過ごし方って、学生時代以来で、贅沢だなあとおもった。なんかいちばん夏休みっぽかったかもです。
・図書館に登録した・・・やっぱり図書館っていろんな本があって便利だなとおもう、(とはいえ、検索してみるとやっぱり置いてない本もあるのね・・・)。森崎和江やら藤原辰史やら、あと料理本やら、ストレッチの本を借りた。エネさんもストレッチしようよ!と本を借りたのだがあまり興味を示されなかった。ぐすぐす。
図書館では、ちょっとした展示コーナーにアンネの毀損本が展示されてあって、改めて実物をみると心が痛んだ。捜査でおそらく指紋をとるために薬品をかけたらしく、ページが紫っぽく変色していたりして。
・夏らしく、泊まりで山に行こう!としたら雨と強風のため途中でリタイアした。悲しかった。
・図書館に登録した・・・やっぱり図書館っていろんな本があって便利だなとおもう、(とはいえ、検索してみるとやっぱり置いてない本もあるのね・・・)。森崎和江やら藤原辰史やら、あと料理本やら、ストレッチの本を借りた。エネさんもストレッチしようよ!と本を借りたのだがあまり興味を示されなかった。ぐすぐす。
図書館では、ちょっとした展示コーナーにアンネの毀損本が展示されてあって、改めて実物をみると心が痛んだ。捜査でおそらく指紋をとるために薬品をかけたらしく、ページが紫っぽく変色していたりして。
・夏らしく、泊まりで山に行こう!としたら雨と強風のため途中でリタイアした。悲しかった。