9月1日の日記

2016年9月1日 日常

 昨日今日といろんな人の人生の話を聞いた(その本人からではないのだが)。わりとドラマティックだった。


 来月には新しい町で生活してる予定。決定したあとに地盤が緩いとか、もしかしたら一年以内に日当たり悪くなるかもとか、いろんなことを知った。引っ越しが無事済むとよいのだが。

6月22日の日記

2016年6月22日 日常
 玉ねぎが高くなっていることに悲鳴を上げている庶民の皆さんを尻目に、うちにはたくさん玉ねぎがありましてよ! というわけで私は別の悲鳴を上げている。こないだ妹が用事で帰郷したときに伯母たちと玉ねぎ狩りに行ってきたのだそうで、その成果が私のところへやってきたのである。10個ちょっとくらい。ちなみに妹は玉ねぎがあまり好きではなく、玉ねぎのあの独特の臭いも好きではないため、イベントに参加したにも拘らず「要らない」ときっぱり言い放ったそうで、そうすると私も「要らない」とは言いにくかったのであるるる…
 と、現在玉ねぎ価格の高騰に喘いでいる人たちには何の役にも立たないが玉ねぎの活用法を書いてみる。
①酢玉ねぎをつくる。焼いた肉に添える。そこからポテトサラダをつくってもよいかも。
②スライスして水にさらした玉ねぎに柑橘酢をぶっかけて、サバやサケなど脂の多めな焼き魚に添える。大根おろしの代わりにいいですが、新玉ねぎ限定かも…
③とりあえず玉ねぎ多めのカレーにしてみる。
④スライスして冷凍。甘味が増すので、そのまま炒めると飴色玉ねぎをつくりやすくなる。(←きょう雑誌で仕入れたばかりの知識。まだ試していない)
⑤とりあえず玉ねぎのみで味噌汁をつくる。
⑥とりあえず豚のポットローストをつくるとき、豚の下にたくさん敷いてみる。(←まだやってない)
⑦みじん切りにしてくったりするまで炒める。焼き色をつけた鶏手羽といっしょに蒸し焼きにしてみる。(昔人に教えてもらってやってみたけどおいしかったよ)


6月2日の日記

2016年6月2日 日常
 職場の大ボスが川端康成の話をしていたので興味を惹かれてひさびさに読んでみたけれど、全然わかんないのねーん。大ボスに「『伊豆の踊子』わかりませんでした…全然ピンときませんでした…どう楽しむものなんですか?」と訊いたら目をひんむいて驚かれて、「ええっ!…そうねー。とりあえず青春小説だと思えばいいんじゃないかな」と言われた。そう言われて、私そういえば青春小説って苦手だった気がする…とおもった。あるいは川端康成が苦手なのかもしれない。鬼門なのかもしれない。教えて、だれか何か、私に。
 単に今は川端の気分ではない、ということかもしれないが、一生川端の気分になることなんてない気もしている。あるいは日本語や日本文化のネイティブじゃなかったら、面白くなったりするのかしら。

 そういえばカミュもサリンジャーも、苦手なんであるる。

5月24日の日記

2016年5月24日 日常
*
 友人の赤ん坊を見に行った。私が抱いてみたらギャーと泣くのであった。実のところ甥っ子も首が座るか座らないかくらいのときはおそるおそる抱っこしてたので、あんまりそのへん練習していないのよね…。たぶんあなたが1歳になるころ私のこと友達だと思えるようになるでよう。ヨロ。

*
 働く日数が増えたら夫とけんかすることが少なくなった。というか4月後半には結婚のお食事会したので、その前は喧嘩をさかんにしていたのであった、今思えば。重大事が終わったので今は落ち着いたというかんじなのかも……。
 そして働く日数が増えたら家事がおろそかになって、よく部屋の隅っこのある椅子に取り込んだ洗濯物の山がわさっとできているありがちな風景になっている。
 こないだ、何人かの人とおしゃべりしてて、自分の家族ってどうよ?どうだった? という話になった。いっしょに嘆きたくなるようなひどい親の話とかがあり、そうでない親の話もあり、私も手短に話をして、いろんな家族がありますよね、となったけど、そのときとある人から「不二さんは結婚してるのに、たとえば今の自分の夫についての話にはならないんだね」と指摘された。そのときは「確かに! 自分の家族にも問題がありすぎたので、この話の流れで、ウエイトがそっちのほうに行ってしまったんですね」と答えた。しかし後から考えると、私が私たち夫婦のことだけをさす場合は家族と呼ぶのにためらいがあったので、夫の話にならなかったのだな、と思った。
 家族は何人ですか?と訊かれれば、夫一人です、と答えるし、そのときの話題によっては家族と呼ぶときもあるけれど、私たちふたりのことは基本家族とは言わないで夫婦と言う。それは他の人も結構そうで、私たち夫婦に「連休はご夫婦で出かけましたか?」と訊く人はいるだろうけど、「ご家族で…」とは言わないだろうな。
 そして私たち夫婦が家族になるとすれば、それは子どもが加わったときなんだなあ。私たち夫婦の子が生まれるか、もしかして養子をもらったりするかも知れないけど。あるいは親と同居したとき。血のつながり、と言い切るのも正確ではないので、世代の違う人と一緒に暮らし、その人をお客さんでなくメンバーとみなすときなんだなあ。
 もちろん、〈親1人と子1人〉は家族だろうし、兄弟/姉妹2人で住んでます、という人たちも家族だろうし。そのときは婚姻以外のつながりによる家族だよね。などと思った。

 自民党の改正憲法案24条1項で、「家族とは…」みたいな定義が出てきたけど、私ら夫婦は家族ではないのだ! そのくせ次の項では婚姻に関する規定がくるんだね…変なのねえ。

 家族って逃れがたいものだと言う。たしかに婚姻は自分の意志で選択・決定したものだけど、後から加わった子どもにとっては、ほとんど選べないものだし、そこに偶然あったものなのね…家族って変なの。とおもったところで眠いので昼寝します。さよなら。

5月8日の日記

2016年5月8日 日常
 パソコンを新しく買ったので、音楽CDのデータをせっせと取り込んでいるわけだけれど、スロットにCDを入れてインポートして取り出して、というのを延々と繰り返しながら、この行為には全く色気というものがないね、と萎えた。そのCDがどんな傑作であってもまったく関係ない、色気も情緒も粋もくそもない営み。
 ぎじゅつが発達して便利になると色気というものがなくなるのかもしれないなんてことはとっくに誰かが言っているのでしょう。
 CDをカセットにダビングしていたころでも、一度は全部かけなければいけないので、一応全部を一度は聞く機会があるわけである。MDを使っていたころも、はじめのころは全部流す必要があったような。今はあっという間なので、全部どころか一曲も聞かないときだって、あるわけで。

 とはいえこれでiphoneに入れることができる、携帯できるのでよかったです。そしてDVDも観れるので映画もちゃんと観ようと思った。いや映画館に行くのがいちばんいいのですけど。

何かひとつは

2016年4月28日 日常
一か月くらい前から、洗顔後顔につけるものを3つから5つに増やした。5つもつけたら何かひとつは効いてるだろう!と思いながら毎日過ごしている。

4月22日の日記

2016年4月22日 日常
デマについての補足。

強姦は起きない、と断言することはできないのだが、たとえ善意であってもその危険を言い立てるのって、逆に被害を受けうる女性の気持ちに立っていないのではないかしら。一人で行動するなとか、めっちゃ気をつけてね!とか、エスカレートすると、なるべく女っぽい格好はしないで!きたない格好して!とか、なにそれ、そういうこと言ってるあんたはいざ被害にあったらあれだけ言ったのに気をつけなかったほうが悪いとか言うんでないの? てかお前の言ってることってセカンドレイプと何が違うの?

犯罪デマは、たとえ善意から拡散されたものであっても、ネガティブな効果しか生み出さない気がする。というのもそうやって不安を掻き立てられた人はとても支配に屈しやすくなるからだ。あるいは従順になる。あるいは、多少のことには文句を言わずおとなしくなる。

眠いのでまた今度。

4月21日の日記

2016年4月21日 日常
私なら他人には絶対言わない、たとえそう思いはしても口には出さないというようなことを、言われる。世のなかにはいろんな人がいるのやなぁ。それとも私がそう言わせる才能に長けているのか。

4月20日の日記

2016年4月20日 日常
疲れてるんだ!とドヤ顔で私も言いたいので仕事を増やしました。
 はやく地震が落ち着きますように。そして被災地のかたがゆっくり休めますように。
 
 大きな災害の直後にレイプが急増するとか多発するとかいうのは、災害時に昔からよく言われるデマです。窃盗も然り。外国人犯罪が急増というのも全く根拠がない。だいたい被災地の外国人も日本人と同じように被災している。最悪にこわいのはこういうデマがエスカレートして自警団まがいの集団がヘイトクライムを引き起こすこと。このようなデマは被災された方々によけいな不安を与えるだけで何の役にも立たない。ということがわからない輩をよく見かける。

4月10日の日記

2016年4月10日 日常
 妹が北関東へ引っ越して私の東京生活がだいぶ静かになった。週1か2回の頻度で妹の代わりに保育園へ、甥っ子の迎えに行っていたら、ちびっ子たちに顔を覚えられて、あ、ユー!くんの!などと言われたり(私が迎えに行く時はだいたい早い時間に行くので目立ったらしい)、事情をよく知らないお母さんとママと勘違いされたまま会話をしたり、とファニーな日常だったわ。チーちゃんという、いつもボーイッシュな格好をしていた女の子と会えないのがさびしい。

 昨日妹と用事のために会ったら、甥っ子の新しい保育園の近くにあるという「えーさい教育の幼稚園」の話になった。その幼稚園について妹が夫と話していると、ユー!くんもそこに通わせたら頭よくなるのかなあ、と言われたので、「ユー!くんは電車が好きで車掌さんになりそうだから、えーさい教育なんて必要ないとおもう」と返したそう。そしたら夫は「いや車掌さんになっても、出世して管理職になることもあるから、えーさい教育が必要でしょ」と言ったらしい。でも管理職ってエリートがなるんじゃないのとおもったんだけど、どう?と訊かれた。
 別にふつうの車掌さんでもえーさい教育は必要でしょ、というか、そういう幼稚園的なえーさい教育が必要ということもないけど、不要ということもないんじゃない? だいたい教育を受けていないと安全な運転できないとおもうよ。と返して、まあそこのえーさい教育というものがどういうものかわからないけれど、あんまり小さい頃からこうさせようと考えないほうがいいんじゃない?とにかく詰め込みいくない。などと言って、その話はおわった。
 妹と別れたあとももやもや考えていたけれど、私ははき違えたところがあるなと気づいた。それは妹もその夫もそうなんだけれど、教育というものを、将来受験に成功したりいわゆるいい仕事についたり出世したりしてお金を稼ぐためのもの、というふうにとらえて話をしていた気がしたけど、教育ってそもそも「よい生活」「豊かな人生」を送るためとか「よりよい社会」をつくるために学んだり考えたりすることではないのか? と思った。その一部として生活の安定のためにその個人にとってよい仕事に就くための教育ということもあるだろうけれど、そのためだけというわけではないよねと思った。
 wikiをみたら、能力を引き出すということが語源、と書いてあって、うむむむ、となった。
 

 体の中に異物をお迎えした。というと妊娠か何かと勘違いされそうなのだけれど、有機物ではないです。無機物です。口のなかにお迎えしました。毎日私が寝るときだけ、その子は口のなかから出て行きます。だいたいその子のことを忘れているけれど、朝それを〈装着〉したばかりの時に噛む動作をするとすこしぞわぞわする。小さいころ板チョコレートの銀紙を噛んだときのキーーンという痛みの、だいぶだいぶ手前なのだけれど、すこし似ている。
 それにつけてもあのころはなぜ、しばしばチョコレートの銀紙を噛むはめに陥ったのだろうか。今でもたまーに銀紙に包まれた板チョコを食べるけれど、まったくあのキーンという痛みを味わっていない。ちいさなころは急いでいたので銀紙をうまく剥がす余裕がなかったのであろうか。私にもそれだけの余裕は芽生えたようである。けれど基本、余裕がない。そして基本毎日、というか基本もクソもなく毎日欠かさず甘いもの食べている。そのためか口内の健康が著しく損なわれ、(中略)、歯医者に通うはめになった。その歯医者通いもなんとか一段落ついたので何よりであります。


 通う歯医者を決めるのに悩んでいたら、妹が同僚のおすすめの歯医者があると教えてくれた。その同僚はたまたま私の家の近所に住んでいて、その歯医者もうちから近かった。先生が女性だったこともあって、そこに決めて、初診の予約の電話を済ませてそれを夫に報告すると、夫は「そんな、カタカナばっかりの名前のところなんて辞めときなよ!あやしい!」と言い、さらには医院もぴかぴかで、HPもすごくきれいなつくりなのがアヤシイ!アヤシイ!と言って聴かない。ぴかぴかなのはすごく新しいところだから。夫がいろんな人からきいていたおすすめの歯医者は、HPをみるに治療や歯の健康についての解説がとても丁寧で、ちょっと古くさいつくりなのがいかにも良心的であったのだが、初診の予約は1カ月待ちと書いてあり、私の歯にはそんな猶予がない。しかもうちから2、3駅離れており、さらに駅から少し歩くので、何回も通いになると疲れてしまいそうなので断念。夫が「だまされたって知らないからね!」と言うのに私もぶち切れてその日は何も言わず寝た。

 次の日に「おまえは私が重い重い腰をあげてせっかく歯医者に通おうとしているのに、それを邪魔するのか。バカにしてるのか心配してるのか」と言ったら夫がごめんごめんと謝ってくれたので一応仲直りしたけれど、私たち夫婦はよく喧嘩するようになった。付き合いはじめた頃は「喧嘩なんかしなさそうね。お互いとても似てる感じ。柔らかい雰囲気というか」などと友人知人に言われたものだったけれど、私は育ちが悪いので叩けば乱暴なことばがぽんぽん出てくるし、夫は西のひとなのでツッコミ命のようなところがあるうえ思ったことはほとんどなんでも口に出すので、(そう、だいたい夫の周りの人は夫が関西人だって忘れている!)、こうなることは運命やったんやな・・・。負けへんで。


 親戚関係のデリケートなとこ、いまそこ触ったらヒリヒリします、というところ、嫌ー。
 おれは寝ていたい。これをヘッドフォンで聴きながら寝ていたい。


 1、2月はそんなに予定もなく、過ごしていたけれど、どうして3月って慌ただしいのかしらね。日にちが決まっていない約束事が2つある。あ、いや、ふつうなのか。ふつうの人はそうなのか。


 雑誌とか書籍とかのページで指をさくっと切ったりすることはあるとおもうのだが、きょう自分は厚紙でさくっと指を切った。(といっても、書籍送付用の、ちょっとしっかりした紙、て感じのやつ)。厚紙のせいかよくあるふうの傷よりなんだかやや深く、痛かった。まさかそんな厚紙で切るなんてという意外性がとても悲しく、堪えた。
 今その場で急いでつけた絆創膏をはがしてみると、傷が回復してる感じが薄いので、明日は立派な高い絆創膏を買ってやるー。

2月12日の日記

2016年2月12日
バレンタインってなくなってもいいと思うの。てか少なくともどっちからでもプレゼントあげる日にしたらええねん。

 この本はまだ読んでないけど石毛直道はおもしろい。こういう歴史と地理の合わさったような本を読むと、自分がちまちま家のなかでやってる、1回こっきりの、〈残らない〉くせに悩ましい料理というものが、世界という空間の縦や横に広がっているものの一部であるとたしかにわかり、自分だけのものではないように思われて、私にはよいんだぜ。



 スキレットを買った。(軟派!)。ちょうどふたり分かなあというサイズと、ふたり分にはすこし小さいかなというサイズで迷っていたら、「あんまり重たいと、使うのが億劫になってしまってお蔵入りになったりするので、物足りないかなというサイズのほうがいいと思いますよ」とお店の人に言われたので、小さいほうにした。お店の人、心得てるアドバイスだった。やっぱり小さいなあと思う時もあるのだけれど、たとえば卵2個分の卵焼きにはちょうどよいサイズで、熱の籠り具合がテフロンの卵焼きパン(母が余っていたのを送ってくれた)より断然良いので、おいしい卵焼きができて、銅の卵焼き器買おうかしらとときたま悩んでいたのがとりあえずぱっと晴れた気分。
 実家では10代の早いころくらい?に、母親に鉄のフライパンの心得を教わった。鉄は中華鍋だけになって、フライパンに関しては、テフロンは空焚き厳禁だという教えが取って代わった。そしてなかなか頭を切り替えられない祖母が洗ったあと乾かすためにガンガン空焚きしてダメにして母が怒りまくり、はなから話を聞かない父が蓋をしたテフロンフライパンの中で銀杏を煎るので母にとってはまた別の怒りの種であった。何度注意されてもフライパンで煎るので、母がテレビで聞きかじってきた電子レンジで銀杏を煎る方法を父に伝授したのであったが、母がいないときにまたフライパンを使い、またダメにしていた。

 スキレットを使うにあたり、がんがん熱して油を多めにひき、洗剤で洗わず、またがんがん空焚きして乾かし、思い出したときには油を塗布して、しばらくやったことない作業が新鮮でおもしろい。それにつけても、調理しているときはあまり動かさないので気にならないのだけれど、洗うときは片手で持ったり斜めに傾けたりするためか重みがとても堪え、お店の人の正しさをしみじみ噛み締めている。



 ご飯の鍋炊き、おいしいときもあれば、きょうはそうでもないね炊飯器でもいいんじゃないかなという時もあり。しばらく続けてみようと思うけれど、私のいまの無水鍋はでかいので、ちいさめの文化鍋でも買おうかしらと物欲がもたげてきている、あかん。
 小林カツ代が、炊飯は鍋でも炊飯器でもぎりぎりの容量でやったほうがおいしいのよ!と断言していたのが、私の背中を押すのである。
 しかしまた、大橋歩が「アルネ」で土鍋やふつうの鍋や炊飯器で炊き比べしたのち、〈とくにどれが、とか、優越なかったっす〉というような身も蓋もない結論を出していたのも頭にひっかかっているのであった。
 まあ私は自分でやってみるという行為が好きなんだと思う。

2月2日の日記

2016年2月2日
・やはりご飯、無水鍋で炊くとおいしい。米を洗って20分ほどザルにあげ水切り、その後30分ほど浸水させて炊く。沸騰するまで強めの中火で、それからごくごく弱火で12分で、13分蒸らしている。

・英語は同じことをちがう言い回しで何回か言う...とかって別に英語にかぎらず文章を読むときにも大事なポイントだとおもうけれど、きょうはそれが身にしみましたよね。
 すごくおもしろかった。勉強熱心なところもだけれど、本当に真面目というか、真剣に翻訳に打ち込んでいるんだなあというところに打たれた。


 こいつ適当に訳してるな、と思うときありますよね。

 きょうはほとほと疲れてしまったので、ふらふらと入った本屋で、これを買ってしまった。ふたつくらいエッセイを読んだら、著者がエプロンを自作したというお話がでてきた。エプロンは私みたいな手芸初心者にとっては取りかかりやすいもののひとつではあるかもなあ、と思いつつ、やっぱエプロンつけるのがピンと来ない。週3回働く以外はほぼ主婦なのに、エプロンをつけよう、という気にならない。
 以前結婚した友人の家にお邪魔してイタリアンみたいなフレンチみたいなお手製のお料理をごちそうになった時、友人はエプロンをつけていた。そのエプロンがいかにも、その友人らしく、たとえばクウネルや天然生活や、暮しの手帖の通販ページに出てくるような、リネンをつかった(あるいは一部リネンをつかってる)ような生成り色のエプロンとか、黒いギャルソン風とかではなくて、婦人画報にでてきそうな大ぶりの花がまぶしい柄であったなあ。



 2回ほど、ご飯を無水鍋で炊く練習をした。(2回目はわりとおいしく炊けました)。練習しているとこれまでさんざんお世話になってきた電気炊飯器が疎ましくなってきて、鍋炊きをマスターしたら用なんかないね!おさらばする!と鼻息荒く言っていたら、連れ合いに「でもね、まだ使えるんだからね、使ってあげようね」と釘を刺された。しかし私はいまほんとに鼻息が荒くて、いまの無水鍋より一回りちいさい無水鍋を買って炊飯用にして、おひつも買ってそれで保存して、いや無水鍋じゃないほうがいいのかなあ・・・と妄想しているのであった。
 新しい鍋とかおひつとか、しばらく実現の見込みはないけれど、炊飯器要らないんだなあという発見はこころに刻まれた。電子オーブンレンジはオーブン料理が好きなので手放せないけど、炊飯器はやっぱり、いずれ、卒業したい。

 翻訳ってムズカヒーよね。

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