Another Self Portrait..

2013年11月20日 音楽
ひとつのことに集中すると他のことは目に入らなくなる、という性質が、私にはあるらしい。生まれたときから私を知る人からそう分析されたのであるが、果たしてそうなのだろうか。それを〈どうにかする〉ためにそのひとはそのひとなりに骨を折ったらしいのだが、それって功を奏したのか、正しいことだったのか、よくわからなくってよ。
正直、私は私の性質に対し、私に優しい世界であって欲しかったわ。私の性質を美点と思って欲しかったわ。そんな世界じゃなかったようで、結局生き延びたのだから、そんな世界だったのかも知れないわ。でも私、苦しかったわ。あなたが骨を折ったのと、すくなくとも同じ程度には、私、たぶん苦しかったわ。

でも、もうどうでもいいのよ。あなたが私でなにかつじつま合わせをしようと躍起になっているようなのも、どうでもいいんだわ。あなたが苦しんだことや逃げたことを知ってあなたに優しくすべき、というので私はここ二日だけ精一杯やってみたけれど、やっぱり何か足りなかったような気がするのですが、どうでしょう。と、あなたは特に不満な顔をしたわけではないし、私は精一杯と言いながらぼんやりしている時間もあって、精勤した感じはしないのであった。

まあ、あなたが精一杯やったのはわかるけれど、私はあなたがやったようには、やらないの。あなたが犯した間違いのようなのは犯さないの。
私は家に帰る道すがら、ボブ・ディランを聴きましたよ。正確には歌詞をおもいだしながら、歌いながら歩いて帰りました。何かを取り戻すも取り返すもないように、歌いながら忘れさって思いだし、赤ん坊のように無知になるように仙人のような悟りが開けるように、とりあえずは空っぽになって受け入れられるように、定めた家に帰れるように、歌といっしょに帰ったの。帰り着いても、私のパーティーはあなたのパーティーじゃないよってまだ思っているから、効いてないかも知れないけれども、歌が。
器をみて想像することがただいまマイブームなのであった。

器がいろいろ気になりだしたのは、料理のことを考えているとそうなったからか、小鹿田焼の器をもらったからか、たぶん両方である。あと長尾智子の本や仕事でいろいろな名前を知った。
民藝をあつかう店やデパートの器売り場に行くと、とりあえず小鹿田焼が人気らしいのにおどろく。小鹿田は私の実家から車で20分くらい、おなじ市内なのであった。物心つくまえになんどか行ったことがあるし、うちにもいっぱい小鹿田の皿がある。だいたいが刷毛目の大皿で、煮物やら揚げ物やら、大人数で取り分けるような料理を盛っていた。自分がつかっているのもあるけれど、気に入っているのは飛び鉋の模様のもの。ベージュや白っぽい地に飛び鉋がはいると、モダンな感じすらあるので、人気なのだろうとおもう。
小鹿田よりもさらにモダンな感じがつよい気がするのが小石原焼。そういえば私は高校を卒業した春休みに、小石原焼を生業にしている友人の家で器を焼かせてもらったことがあるのだった。その器はなくしてしまったのか割ってしまったのか、行方しれずで、どんな器であったかさえ、正直いまおもいだせないくらいで、もったいないことをした。そのころは器と料理の関係性に気づかないくらい、まずしい食生活であったので、仕方のないことだとおもうけれど。

いろいろな器をみているのは楽しいし、自分でもちょっと買った。と言ってもそこまで背伸びせずに買える値段のものがいちばん楽しいのは、想像力を安心して働かせられるからである、なんてったってビンボー。(取り皿サイズで二千円、わりと大きめならもう四千円に届くくらいだとどきどきする)。とはいえ買ってみてもよく使い勝手のわからないものがある。島根の湯町窯の鉢はオレンジ色に一目惚れして買ったのだが、どんなものを盛るといちばんよいのかわからない。おなじ湯町窯の、取り皿サイズの四角いスリップウェアは、何にでも使いやすいうえに渋い茶色がテーブルを引き締めるのがいい感じ。しかし何も入っていないときは、高級な灰皿のたたずまいなのであった。
いまのところ、ほとんど日本の民藝の器にしか興味がないのだけれど、台湾の青磁もよさげ。ということはアジアの陶器も私にはいいものが多いのだろうか。そして九州は鹿児島や熊本の焼き物もよい。そして沖縄の器の、懐のふかい感じ。色合いがなんとなく鹿児島にも共通している。
日本にいろんな焼き物があって、その焼き物の豊かさがあること。世界中でいろんな器があるんだろうなあ、その器のような豊かさがあるんだろうなあ。すげー。
器で自分の郷里の豊かさに気づいた。いろんなお皿があって、世界ってすごいんだろうなあ。ああ。すげー。お皿。とりあえず自分のいまあるお皿で豊かさの勉強と発見をします。
総勢7人のパーティーで、T沢・某山で鍋焼きUDON一泊二日ツアーをしてきた。蓋をあけてみると、メインの鍋焼きうどんの印象もややかすれてしまうほどの食い倒れツアーであった。
出発して3時間で山頂に着いて、山頂の小屋で鍋焼きうどんを、とおもったら人が多いのにびっくりした。あまり考えていなかったけれど、三連休の初日で紅葉シーズンがはじまったばかりで、人が多くないわけはない。とはいえ三十分くらいでぶじにうどんをゲットできた。がんばれば小屋のなかの掘りごたつに席を確保できないことはなかったけれど、とにかく人が多いので外で食べることに。くもりがちで寒い、途中雨が細かい塩のようにぱらっと降ったり、それだけに器も持てないほどの温かいうどんがありがたい。写真も撮らずに無言で食べる。真ん中に落とされた卵が、寒中の太陽なのやー(ヒコマロ調)。汁も余さず派ではないけれど、汁も飲み干しました。
腹ごなしに散策程度で歩いたあとは、年長者のスイさんが中国茶をいれてくれた。いつも山頂ではコーヒーが多いのだけれど、中国茶も同様にすばらしいものですな。持ってきていたドライいちじくとよく合ってすばらしい。
山小屋での夕食は、山小屋だし、ということでさほど期待していなかったのだけれど、揚げ物、肉、炊き込みごはん、どんどん出てくる。パーティーの主催者が小屋の方と仲良しであったので、ご好意ゆえのサービスもあるらしい。残さぬようにとがんばってみたけれどすごく量が多かった。「おれ、クッキー職人なんだよねー」と言いながら小屋で働いていたひとが残ったからと言っていろんなクッキーをくれた。下界ではお菓子屋さんを営んでおられるということなのか? 訊きそびれて首を傾げながら、お菓子をおいしくいただいたりしていたらお腹がぽっこり、このお腹の子はみなさまのご好意によるものです。(ぽっ)。あんまり寝ていなかったので9時には就寝したけれど、ほかのひとは遅くまでお酒片手に話し込んでいたらしい。

朝には富士山がよくみえて、登るつもりはないけど眺めるのは大好きやー。朝食も汁物ごはんだけでなくおかず果物までついていて豪華、人の残したものもいただいたりして、お腹をさすりながら歩きはじめる。スイさんは別のルートを行くとのことなのでお別れ。T岳の山頂で、持ち寄ったお菓子でティータイム。だんだん晴れてきて、色づきはじめた山肌も色が鮮やかになってきた。重たくなったお尻を叩いて歩きはじめ、T沢に詳しいひとたちも通ったことがない道で下山。と、ハードなみちではないのだが林のなかでさほど踏みしめられていない土がちの、すごい悪路に神経をつかいながら歩きとおし、アスファルトの道にでてみると、シュールなことに、てんとう虫の群れに襲われた。

T沢に行ったときはS沢駅方面へ下りなくては!と思わせる中華料理屋で打ち上げ。家庭の味の料理をたらふく食べて紹興酒とビールをたらふく飲んで、笑顔のすてきな中国人のお母さんに申し訳ないほど安い。笑顔で送ってくださったあとに胃も気も大きくなっているので向いのコンビニでアイスを買い食いし、電車にのってかえりました。
大人数だとなにかと盛りだくさんな傾向だし、少人数だとしずかな山歩きを堪能できるし、いろいろがたのしいのね。おもしろい話をもりもり拝聴して、ごはんといっしょで消化しきれないほどだった。また参りましょう。
弓田亨やルネサンスごはんに興味があると言いながら、本を買ったり読んだりはしていないので、立ち読みした。んー、あんまりおいしくなさそう。炊き込みごはんの本だったのだけど、具が多すぎるとあんまりおいしそうにみえないですよね。出汁がらになってしまういりこも昆布も食べるという気概は買いたいが、私ならみそ汁や料理とは別に食べたい。出汁がらのいりこはポン酢に浸すとおいしい。
おいしそうにみえなかったのは、デザインや写真がいまいちなのもあるとおもう。

きょうは妹の家へ行ってきた。赤ん坊がでっぷりとはちきれんばかりであった。妹が「お皿なんてどうでもいいやとおもっていたけれど、料理がおいしそうにみえるお皿や盛りつけとかあるんだなあと最近おもうんだよね」と言っていて、そんなことを考えるようになったのねえ、とへんに感慨深かった。
食って産地とか栄養とかだけでできてるんじゃないんだよね。そしてもちろんお母さんの愛だけでもないっす、つくるひとだけいればできるものでもないっす。

とりあえず和食のユネスコ無形文化遺産登録には微妙に反対するものである。
弓田亨はやっぱりどうしてもヤバい感じがするけれど、料理研究家やそういう類いの仕事をしているひとの物言いには、けっきょくビミョーなところばかり感じてしまうことが多い。全幅の信頼を寄せることができない感じ。全幅の信頼、などと簡単に言ってはいけないことですが。
弓田亨といっしょにルネサンスごはんに取り組んでいるひとが、この号の弁当特集に参加していた。やっぱりタイ米使用。お弁当はふつうにおいしそうだったけれど。
暮しの手帖は、わりといろいろなひとを取り上げるのが、商魂たくましさを感じてしまうときがある。というのは私が意地悪だからなのかな。NHKのきょうの料理にSHIORIが登場したときのビミョーさとはまたちがったところで、ことばにならないビミョーさがある。

負け戦

2013年10月18日 読書
いやいや、負けるとおもおうよ、そこは。

震災後に発行された雑誌の「栄養と料理」でも放射能に負けなーい!みたいな特集があったと記憶している。画像に出した本もその雑誌も、料理がどういうふうに汚染に対処するつもりなのかなあというぼんやりした興味から、古本で安かったら手に入れたい(新刊で買って売り上げには貢献したくないっす)。矢部史郎が「発酵食品が放射能にいい、みたいな言説がぜったい出てくる」と言っていたのはもはや予言ですらなかった。
弓田亨は、まだブログでしか読んだことがないが、とにかく威勢がいい。〈砂糖・みりん不使用〉〈灰汁抜き下茹でしない〉〈煮干し・オリーブオイルばんさい〉ということの是非はともかく、もう日本の食品はぜんぶダメだ!味がしない!と本気で怒っていたり、幕内秀夫や辰巳芳子も批判したり、ラディカルでおもしろい。エッセンス的に長尾智子に通じるようなところも感じます。なんでも甘くすることや柔らかい食感を礼賛してしまうことに対する懐疑とか。

和食回帰や本物志向やマクロビというものがラディカルなようでありながらけっきょくおおきなものを補完していくだけのようにみえるんだけれど、けっきょくラディカルってなんなのだろう。ラディカル貝垣くんに教えていただきたい。
「ルネサンスご飯で難病や不妊が治る」と誤解されそうな言い回しをしたり、いりこ好きがこうじていりこサプリメントつくっちゃうこところはだいぶアカンです。国産や和食を礼賛しないのはよいけれど、日本の米はぜんぜんダメになってしまった!と言ってタイ米(日本の米なら玄米)を推奨しているが、なかなか取り入れるのむずかしいよね。しかし、幕内秀夫と同じで威勢がよすぎて文章下手になってしまうようなので、興味がないと読むのはかなりキツそうです。

ところでいまのトレンドは、減塩ダサい!むしろ減塩ヨクない!という方向だと感じているのだが、どうでしょうか。あと栄養学はまだまだ完成されていない学問だというのは、肝に銘じていたほうがいいらしい。
それにしてもこんなものばかり読んでいると自分のつくるものが不安になり、料理がブレてしまうのー。きのうつくったキャベツのサブジも、ブレてしまった。
先日上京していた叔母たちと、叔母たちの逗留先である娘=従姉の夫婦に、エネさんといっしょに会いに行った。エネさんと叔母たちは初対面であったのに、従姉夫婦の子どもが好き嫌いが多いものだから、回転寿司屋で会食だった。初対面で回転寿司、しかも回らないところのテーブルで、注文しなきゃ出てこない、ハードル高すぎます。
お料理が上手で、とエネさんが私についてお世辞を言ってくれたのだが、叔母がすかさず「この子へんなものつくるでしょ! いつだったかね、水菜に酢をかけて食べてたの! 酢!」と言っていた。水菜に酢のみをかけることの是非はともかく、私は叔母に手料理を振る舞ったことはあまりないので、へんなものをつくるというイメージはどこからきたのか、というか、彼女だけでなく、母も妹も、なんで私の料理がへんなものだというイメージがあるのだろうか。と憤ったけれど、たぶんほんとうにへんなんだとおもいます。エネさんかわいそう。

暮しの手帖社からでている「吉兆味ばなし」を読んでいる。と、わりに〈ちょっとここで味の素をくわえますと味がきまってよいでしょう〉みたいな記述が散見される。味の素なんてゲー! とおもうことはせず、あえてスルーして読むことにしているが、やっぱり多用にはおどろく。筆者の湯木貞一によれば、料理屋で化学調味料をとりいれたのは吉兆がはしりだそう。あんまり使いすぎるのもよくない、と苦言を呈してはいるし、なにより昔のひとだしと大目にみつつ、やっぱり自分の料理のなかで化学調味料ってどういう位置づけをしたらよいのかは考えたほうがよい気がする。とはいえ、料理屋だけれどもアドバイスは家庭の味ややり方に配慮しつつ、季節に沿って提示される料理は読んでいておいしそうで、小話も興味深いのでおもしろく読んでいます。箸はかわいていてはいけないので、あえて湿らせる、というのがすごいなあとおもった。(たぶん昔ながらの漆の箸かなにか)
と、エネさんが古本屋で「辻留・料理のコツ」や、沢村貞子の「わたしの献立日記」なども買ってきてくれたので、浮気しつつ読む。ただ、三つともおもしろく読みながらおもうことは、これらはあまり真似できそうにないなあということ。料理はわりと好きだけれどきほん注意力散漫なので、というのもあるけれど、農業や農作物にまつわる事柄や料理や生活がいろんな事象を取り込みながらあらゆる面でどんどん複雑になっていくなかでの、幸福な部分というか幸福な時代の残滓という気がしてしまうのであった。
辻留の本では、なんにでも砂糖をいれてしまうのはあまり感心いたしませんなあ、戦後の味覚の混乱に乗じて培われた悪しき風習、と書いてあり、(砂糖を全否定するのではなくて必要に応じて使えということ)、それは卵焼きをはじめ私の母方の料理にそのままあてはまることであった。砂糖にトラウマがあるのかというくらいなんでも甘かったような気がしてくる。いまはあまり真似しないけれど、食べていたときはおいしく食べていた。

いまは化学調味料のはいったものはなるべく避けよう、というのは健康や本物志向よりも、そんなんで味がきまってしまうのは癪だという理由から、ミツカン的なぽん酢にも手がのびず、濃縮還元でないゆず果汁を買い求め(高い)、醤油と混ぜている。味ぽんよりやっぱりおいしいのだけれど、自分の経済状況にはまったく見合っていない。
へんなものは食べたくない! とおもいながらへんな料理をつくり、たまに食材をあまらせたりして棄ててしまうのがいちばんよくない。気候が不安定なせいか、人参がすぐにダメになってしまったのにはびっくりしたが。
これぞという一枚か、これぞというアーティストをあげよ、と言われたら、いまはこのアルバムもニュートラル・ミルク・ホテルも挙げないであろう。5枚か5アーティストでも挙げない。20くらいだったら、挙げるとおもう。けれどもときどき、このアルバムだけで私にとっての音楽というものは十分なのではないか、と思うときがあるし、実際1年くらいそんな時期があった。このアルバムはそういうふうにおもわれやすいアルバムなのかも知れず、それが紹介の際に〈カルト的な人気を誇る〉とだいたいくっついてくる所以であろうし、ほそぼそとしかし息長く語り継がれる所以なのかも知れない。
知ったときには傑作だとおもったので、それからいろんなひとにNMHを知っていますか? と聴いたものの、どんな音楽好きに聴いても知らないし、それどころか、趣味のあうだろう人に音楽を聴かせてもはかばかしい反応は得られない。これは90年代の米国の最重要音楽のひとつらしいですよと言って聴かせても、「ごめんその重要性、全然ピンとこない」と言われてしまう。著名な、あるいは手堅い日本の音楽評論家がなにか言ってやしないかと、ネットで探してみるけれど、ない。日本にはこのアルバムに対するツボがあまりないらしい。フロントマンのジェフ・マンガムがもともと関わっていたエレファント6というレーベルの他のバンドは、ちっちゃいブームがあったようだが、NHMについてはまったくといっていいほどない。
では、と、ジェフ・マンガムやNMH周辺の、エレファント6関連のバンドを聴いてみるけれど、まったくつまらないのであった。たとえばロバート・ワイアットからソフトマシーンへ、それからケヴィン・エアーズへ、デイヴィット・アレンもゴングもなんか面白そう、と人に教えられたり自分で探したりして音楽がひろがっていったりするが、このアルバムに関してはそれが通用しない。
実はジェフ・マンガムもNMHも、つまらないアーティストとバンドではないのか。このアルバムだけ奇跡の傑作で、ある意味一発屋とも言えるのではないか。このアルバムののちバンドは解散し、マンガムも00年代にはほそぼそとしか活動をしていない。商業的に大成功をしてしまって、そのプレッシャーもあって若死にしてしまったり、バンドが解散してしまったり、という例があるけれど、このアルバムは高い評価を得たにしろ、さほど商業的な成功はしていないらしい。このアルバムが奇跡で完璧すぎて、解散してしまったのではないか。

で、もはや賛否両論あるピッチフォークでは10点満点で、1996-2011のトップアルバムというアンケートでは堂々4位なんだに。(他のランク作品をみると?ってなったりしますけど)。で、目下の悩みは、再結成してホステスクラブに来日するのを、見に行こうかどうしようかということです、はい。つまらない話をしてしまった。
私はサタイアの精神が、体力が足りないとおもいました。ガリバーさまオーウェルさま、力を貸してください。サタイアは自分の喉元に刃を向けるくらいの気力がないと価値がない。ついでに右も左も、両翼について考えが足りないわ。
ラジオでオリンピックについての都知事の言を聴く、総動員ということはこういうことかしらん。ナチュラルに戦時体制。

なんにせよ、「俺らにうまみがあれば君らの生活もなんとのう楽になるよー」という考えは好きではない。

Electric Lady

2013年9月11日 音楽
 ジャネール・モネはなんとなく魔除けになりそうでいい。youtubeにでていた広告なんか、とくに力がありそうで。
 PVで踊る姿がとても好きなので応援はしているけれど、新譜を買うかはわからない。前のアルバムは買って、アメリカのSFのような世界観が興味深く、音の分厚さがすごいとおもったけれど、そのために逆にアルバムを通して聴くのがつらい、というか何を聴いたのか、聴いたあとにあまり覚えていられない。自分があんまりSFに向いてないせいがあるけれど。
 でも応援しております。
東京五輪が決まったそうで、みんな死ねばいいのに、とおもったけれど、それではあまり建設的ではないので、この先のことを、考える、考える。目玉は開会式である・・・といったところで、開会式にふさわしい、いい感じに空っぽな映画監督が、おもいあたらない。宮崎駿とかだったら海外のひとは喜ぶんじゃないかな。戦闘機をとばして賛否両論を呼ぶのね。でも引退してしまった・・・。

日本の代表的な作家をフューチャリングするなら、太宰が引用されて、「生まれてきて、すいません!」って言えば、アジア諸国にもなんとなく顔向けができるとおもう。なにげに「走れメロス」も取り入れて。で、田崎つくるが虹色のなにかを従えて(ロシアの同性愛嫌悪と国内での右傾化へのあてつけに)、「色彩ダー!」って言うの。で、派手な捕鯨を模したショーをして、ブーイングを浴びながら日本の男らしさを全面に押し出すのね、「これが文化だ!」って言って。どうしてもシャーマニックな雰囲気を出したいなら、ナデシコジャパンに大本教やってもらうんだ。天皇にももちろんおいでていただいて、エリザベス女王にひけをとらないパフォーマンスを・・・エノラゲイから降下してきて「ごめん、人間だった!」て言えばいいかな。よくわかんない。

Tim Buckleyって、なんていうジャンルなんだ。括りがわかりません。
初期は穏やかな感じだけれどだんだんプログレのように暴走していって裏声でさけんだりしておる。暴走というのもなにかちがう、へんな飛翔があるのねん。

息子のほうはあまり真面目に聴いていない。
これを読んでいて賢治を読み直したくなったけれど、ちくま文庫の全集のどれを持っていてどれを持っていないのかいまいち把握していない。本をあらかた実家に送ってしまったので。
若い頃は異稿とか改訂とかがいっぱいあるのが正直わずわらしかったのだけれど、何回か読んだり、半分くらいは作品に目を通したりしたからだろうか、興味ぶかく読めるようになりました。
だいたい、翻訳小説の注釈とかもうざったいのであまり真面目に読まないんだに。

どうでもいい感慨ですが、年を取って友人とだいぶ趣味がちがってきました。若い頃はおなじ作品をあがめて読んでいたような気がする、というまえに周りが崇める小説をすなおに読んでいた気がする、というのは、しばらくは男性が主体のグループに属していたからだとおもいます。そのとき学んだこともいろいろあるけれど、やはり読書やら文学体験やらはきほん孤独なものというか、どうしてもそこから外れた自分の嗜好があった気がする。女性のほうがアカデミックな流れから比較的自由に本を読める気もします。女性が本を選ぶときは、男性よりはきほんひとりのような気もするので。そのグループはしぜんに学問的なかたちを解体して、それが理由ではないけれど私もお付き合いしなくなった。それがいいことか悪いことかわからないけど、その学問的雰囲気のままずっとグループに属していたら、切磋琢磨されはしただろうけれど、自分のことばがなくなっていったかも知れない、というかそれはそれで気持ちわるかったかも知れない、ともおもう。というのは一般的な状況に還元するのはためらわれることだけれども。
いや、ただ単に、いい本のよさをひとに説明するのが、私はひどく不得手だというだけかも知れない。しどろもどろになりやすい。

8月14日の日記

2013年8月14日 読書
帰郷から帰京したらにわかにエンゲル係数があがったような気がする。
きょうニース風サラダをつくらんとスーパーに行き、ほしいものが安売りなのもあっていろいろ買ったのだけれど、レシピに対して葉もの野菜を買いすぎたよう。きょう明日あさってはもううさぎのようにむしゃむしゃしなければならない。

母の手料理が、むかしよろこんで食べていたほどには、おいしくなかったのは、私の舌が肥えたのか嗜好がかわったのか、どちらもあるだろうけれど、母が料理じたいによろこびを感じていないようなのが、原因であるような気がする。こどもたちはみな家を出てしまい、祖母も父もお世辞にも洗練された舌ではないので、(素朴な料理に対する感性も、ない)、やる気がなくなっていくのは当然なのかも知れない。夕食をつくって食べるともう気力がなくなって(というのは、暑さのせいもあるけれど)、皿洗いも片付けも明日やるからと言い出すので、ほとんど全部私がやった。(妹はたとえ息子の世話がなくても、無論オムロンほとんどやらない)。片付けを率先してやるひとがいなくなるというので、帰京の際はえらく惜しまれた。

畑のできがよろしくないというので、意外に野菜を食べる機会がなかったのが残念で、だからこう買い込んでしまった、と言い訳の用意。

この本はほとんど観賞用だけど好きだお。
長尾智子は台所の孤独というものを知っている、うまく付き合っている気がしています。台所にたつひと(特に/主に主婦)はきほん孤独なのね、というのは「ナチスのキッチン」を読んで「おおおなんで知っていたのに知らなかったんだ」とあほの衝撃を受けた。こどものころ、料理を手伝ったり台所で宿題をしたりすることで、私は母の孤独の軽減にささやかながら寄与していたのだとおもいます。やっほ。
父は岩波の日本古典文学全集を購入していて、全集を全巻揃えたにも関わらず父がする古典の話といえば伊勢物語の東下りのみで、それを何度も繰り返す、そんなとき東下りはぜつぼうてきに死んでいた。東下りの主人公はぜつぼうしてメランコリックになっていたが、聞かされる私はぜつぼうしてさむくなった。「かきつばたって知っているか」と言って語りだすのが決まりであった。インテリ崩れほど死んでいることばをはく人間もいないのかも知れない。
そんな父が母との口論の際に「豚!豚!」と何年か前から言いはじめて、そんな語彙をどこから仕入れてきたのか、学生運動の残滓のような時代に学生時代を送った残滓であったのか、興味深くおもったけれど、繰り返されればそのことばもぜつぼうてきに死んでいた。「豚!」以外に、なぜ豚であるのか注釈のようなものもなく、なにも文章がでてこないので、ほんとうにことばの出てくるところが死んでいるのだとおもった。

在特会もことばが死んでいて、内容もひどいけれどそれより先にことばが死んでいることにおどろいてさむくなってしまったりする。
ああ、ことばが死んでいる、というところにときおり遭遇してしまい、言っている端から私のことばも死臭を放っているのかも知れないけれど、ことばとはもともと生きているも死んでいるもないのかも知れない。ことばは事実を言い当てればよいのだということでもなくて、真理のようなことばもそれが消臭剤のように置かれるだけなら、それでは私は用がない、生きていかれない。

伊勢物語ではわりと有名な話かも知れないが、つゆと答えて消えなましものを、という歌のある話がすきです。
帰ってからご飯をつくり、または、つくってもらい、たらふく食べて片付けもしないでしあわせに寝てしまい、いっしょに食べたひとがきれいに片付けたあとを翌朝みせつけられる、ということをよく繰り返している。
食べたらすぐ眠くなる。牛である。

高山なおみには「食べたいものを食べる」という自由さと気ままさがあふれていてよいとおもう。蒸し鶏の展開の仕方や塩もみ人参や、ナンプラーの多用などはよくまねしている。だけどエッセイなどの語りくちが苦手で本は買ったことがなく、もっぱらネットや立ち読み、雑誌で参照するだけである。
なぜか最近ミネラルウォーターの炭酸水が飲みたくなる傾向があり、コンビニで買えるそれといえばゲロルシュタイナーなので、何回も買っているのだけれど、おまけでいちいちムーミン谷の缶バッヂがついてきて、そうなるともう毎回ちがう柄を選んでしまうものだから、もうコンプリートしそうな勢いで困っている。

軟水はもともと苦手で、硬水の炭酸水が好きなので、ときおり炭酸ではないけどエビアンも買ってみる。エビアンの1.5リットルボトルには、ポールアンドジョーのテープがおまけでついていて、それはうれしかった。そのキャンペーンはもう終わったのかな。

職場のひとに缶バッヂをみせていたら、あなたはスナフキンだよね、と言われたが、まるきりハズれなので悲しくなったけれど、ぼんやりしているところがそうおもわせるんだとおもいます。
八ヶ岳連峰の赤岳、阿弥陀岳に登った。

登ってる途中で当然のことながら至るところに土があり、というかいろんなものは土から出て来るというか派生して来るのだから、いま絶賛闘病中の、職業としては土木に携わる父親のことをおもいだし、父は土が好きとまではいかなくても、親しみを覚えているのには間違いなかろうが、関わり方として土木は間違っていたかも知れないとおもった。土を掘り起こすにしても考古学とか、そういう関わり方もできように、土木という資本主義的な、というのが間違っているなら、ひどく文明的な?ものに関わったのが、運のツキであったような気がする。学者であれば土木の学問的なおもしろさに単純に埋没できようけれども、職業としてまして自営業であればわずわらしい人間関係もこなさなければならないが、基本人間が好きではないので、そこがうまくいかなかったかとおもう。(談合などは当たり前と聞いた)。しかしそもそも学者のように勉強好きでもないし、考古学に必要そうな辛抱強さもないだろうから、けっきょく、彼はいろいろ間違ったというだけで、私もまたあるはずだった父の幸せな姿について、思い違いをしているはずだ。
中上の「枯木灘」にあるような、土をあたる労働の単純なよろこびは、私の家の家業とは遠くあるようにおもえた。

まあ、山に登ったらいいんじゃないですかね、と自分が登山を楽しんだのでおもった。よくなったら尾瀬に行ったりしたらいいんじゃないですかね、私は旅費を負担するつもりはさらさらないんだけども。お金さえだせばいっしょに行ってやってもいいかもね、とおもったけれど、ところかまわず立ちションし唾を吐き捨てるような反文明的な性をつぎにおもいだして、やっぱないわ、ぜったい連れて行かないわ、と私のなかの優しさのようなものは瞬時に立ち消えた。
父の近況を聴き及び、ラ・グロイールみたいじゃん! と興奮した。

自分を見放し神からも見放されたような人にこそ神がいるのかも知れない。よく考えたらラ・グロイールとちがうんだが。やーだあたしのロマンティックが走りすぎたわ。
このマンガはリアルタイムでみたときには、りぼんにしては絵が気持ちわるく、また作者のテンションも気持ちわるく、あまりのりこめなかったのだけれど、逆にその気持ちわるさが強烈で忘れがたく、何年か前に友人に借りて読み直したときは、ひじょうにおもしろく読めて、自分がおとなになったような気がした。

私の父は心配性ではなく、父にたいして心配性を発揮するのも甲斐ないことであり、とりあえずは人間らしい母のことをときどき心配してみる。その母は空振りしまくりでもいまだに父のことを心配している。といえども母は、献身的ではあれども立派な人間ではないので、保守主義者が膝をうってよろこぶような美談はなきに等しい。
あらたに父に関して心配ごとが浮上したけれど、けっきょくのところ、おなじみの上塗りに上塗りされただけであるような気がして、その重大事にふさわしく騒いでいるのはまた母だけであり、私と妹は母に合わせるように心配のまねごとをしてみるけれど、熱がはいらない。私たちの家はなぜ普通でないのだろうか、とおなじみの嘆きにうつってしまう。

心配症の人間といえば、まっさきに大江健三郎がおもいだされるのは、私の恣意的なおもいこみなのか。大江健三郎が核戦争の可能性を倦むことなく訴えるのを、友人は、大江ってさけっきょく核戦争が起こってほしいっておもってるんじゃないかとおもうんだよね、と笑っていた。とはいえ、大江が真にすぐれた作家となるならば、それは核戦争が起こらなかったときで、大江は予言をはずした偉大な予言者として、少なくとも私のなかでは偉大になるだろう。わるい予言があたって喜ぶのは三流の予言者だ、というのが言い過ぎなら、すくなくとも善良さには欠ける予言者だろう。そんなひとならいくらでもいる。

母は心配性ではあるけれどあまり頭がよくないので、予言的な人間ではないのだが、ただこの家は呪われていると警告を発しつづけていたのは、人間の所行として正しいのかも知れない。でもげんなりするような事柄を押しとどめることはできないので、ますます苦悩が深まるらしい。でも阿呆だから。

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