禁じ手

2014年7月16日 読書
明日から帰郷します。
料理を母に任せていたら、たぶん太るであろうので、積極的にやらなければ…とおもうのだけれども、おもいつく料理(ルーをつかわないカレー、とら豆のサラダ、高山なおみの丸パン、とか)が、ことごとく病身の父には禁じ手なのだった。(唐辛子と酢はのどに沁みるからダメで、噛み締めなければならないものがダメ、という)…あ、ラタトゥイユでもつくろうー。

その前に私には実家を大掃除するという使命を妹から託されているのであった。(冷蔵庫含む)

Midnight Love

2014年7月11日 音楽
karaoke versionを探してitunesに首ったけ?岡っ引き?
itunesって何でもあるのね。

Sexual Healingが歌えたら、格好いいと思うんだ。ほんとは「悪いうわさ」のほうがまだ歌えるんだー。でも愛し合っている歌じゃなきゃだめなんだー。制約ー。

でも、いい歌っていうか、ぎゅっとくる歌っていうか・・・だいたい歌全体がさ、目の前にいない〈あなた〉を嘆く歌のほうが、圧倒的に多い気が。ふしぎー。
do the right thingが25周年というので、若い頃みた懐かしー、と思ったら、さきほど私が観たのはget on the busのほうだったと判明した。年をとると勘違いが多くなる。
みんなで貸し切りマイクロバスにのってどこかに行きたい。たぶん座席とかお尻が痛くなっちゃうと思うけど。電車は貸し切りバスの濃密さにはかなわないよねー。

Do the Right Thing

2014年7月5日 音楽
デモに行って来たぴょ。あべやめてください。

最初、別々のコールの間にいたので、ちょっと戸惑ってなかなか声がでなかった。先導でないひとがちっちゃい拡声器でマイペースでしかも眠たげな声でコールしているので困った。
道行くひとは戸惑いがあったかも知れないけれど、そんなに嫌な顔もしていなかった印象で、ところどころ本当に通りすがりの人が手を振ったりドラムに合わせて手拍子していた。(本当に通りすがりの人、とわざわざ言うのは、どう考えても身内っぽいひとがすごく応援っぽく手を振っていたりしたのに、何回も遭遇したから。しかもそういうひとが3、4人はいた)。あとたぶん中国とか韓国とかから来たっぽい観光客っぽい人たちがほんわか安心したような顔をしていた、と思う。デモをすることになんか意味があるのか、と問う人もいるけれど、そういう外国の人や、内心反対しているけど行動に移しにくい・周囲に話しにくい人にアピールするという点だけでも、だいぶ意味があるわよ。

最後は声がいっぱい出てよかった。私は直接は見かけなかったけれど、わりと若い人がいたみたいです。

今月また帰郷するので、死にかけの父に、「私デモに行て来たばい。若い頃あんたが学生運動にかぶれっしもて健三郎とか読んでからいい気になっちょったんに、最近の愛読雑誌はサピオとか抜かしよる間に、私は安倍に反対して来たつばい!」と報告して発奮させるつもり。
あべはよやめちくれ。
わたしは〈できない人〉なので、イライラするほうよどうせ! ぐすぐす。

くるり岸田のツイッターをみていたら、石原息子の発言や鈴木都議のヤジについて、「精神年齢が低すぎる」として「不愉快極まりない」と言った後、「怒りを原動力にはしたくないけど。。」とあったので、考え込む。そうかー、別に原動力でもいいんじゃないかな。と思った。私は怒ってばかりいる田舎のチンピラ、かたや成功しちゃった育ちのいい良識派の坊ちゃんという図式が浮かんで、若い頃すごく好きだったので複雑な心境になった、あたしたち、だいたいもともと合わなかったんだ・・・お別れパーティーしよ。
「精神年齢が低すぎる」とかいう政治家かコメンテーターみたいな表現が気の抜けたサイダー、いやジンジャーエールみたいだよ、精神年齢の高低よりも、人格を否定していいんじゃないかとおもうんだが。精神年齢の高い人はそういうことを思っても、黙っているよ!ともとられかねない。

震災後の発言をすこし追ったときも、「怒りを原動力にはしたくない」的な行儀の良さにがっかりした。そもそも、怒ってない人に怒れ、と言うのは無理だとしても、わざわざ怒りについて触れてみせ、「怒りを原動力にはしたくない」とかぶりっ子すんなや。「けど」ってようわからん保留すんなや。(わたしもようやる、けどな。)

こないだ友人と飲み会をしたときも、酒の肴のように女性蔑視ヤジの話がでたが、岸田の行儀のよさとは別に、友人が鈴木が悪いというよりも塩村さんに対して否定的見解を述べていたのが気になった。というのは、塩村さんの過去についてこき下ろしていたのではなくて、塩村さんの喧嘩のやり方がなっていない、プロらしく振る舞えという結論になっていた。そんな格闘技みたいな振る舞いを期待する前に、鈴木が悪いというだけの話じゃないかな?
私は独身女性だから、どちらかと言えば言われて傷つく側であるから、この件を友人のようには俯瞰できない。そして彼は、どちらかと言えばたぶん言う側に回りやすいであろう、わりと強い立場だと思うけれど、まったくイノセントに事件を俯瞰することに戸惑いがないのに、私はちょっと引いた・・・言われた方の嫌な気持ちを、考えないで話するのってよくないんじゃない? っていうことなんだけど。
こういう酒の肴として話をするならば、ながながと分析されやすいのはたいてい塩村さんであるのだろう。そして私はあとで楽しい雰囲気をぶち壊しにしてでも反論すべきだったと後悔した・・・と思ったけどぶち壊さずに落ち着いて反論するようにしたい。

岸田の、集団的自衛権に対する嘆きも、要らないな、と思ってしまった。このところ、たぶん若者の「あべしね」とか「あべお前が戦争に行けや」とか言う、〈精神年齢の低い〉ツイッターを何個もみたあとでは、「この国へんな国になった。自分の暮しや幸せにちゃんと執着するようにして大事にしようと思う」という岸田のコメントが、間違ったことは言っていないのだが、すごく他人事としてとらえているように聞こえて、黙ってれば?と思ってしまう。
何をしたらいいのかしら、神さま仏さま、金光様やーい。と、今日とりわけそんななってるのは仕事で疲れたからか、血が少ないからからかしらん。イヤン・不健康!

大切なことを話し合うために母か妹へ電話をしなければならないのだけれど、妹はお得意の皮肉と諧謔的な表現に逃げて話が進まず、母は泣いて同じことを繰り返しそう、と考えると億劫なのであった。

「エミール」は、中巻の途中までしか読んでいないんだけど、たぶんルソーがこういう教育を受けたかったっていう話なのではないか、と勝手に思っている。教育についてこれだけ書き残したのに、実生活では愛人?に産ませた子どもを次々五人くらい里子に出したらしいという逸話を知ってショックを受けたのだったが、別に父になりたいわけではなかったのだろうし、そもそも「エミール」の〈わたし〉はエミールの父ではなかったんだっけ・・・。


私は橋の前に、車の中にいて、隣には父親。兄は遠くの病院に、入院していて、おかあさんがいっしょにいるの、ひろ兄と。おとうさんはやく連れていってよ、おかあさんのとこに。こんな橋の前とかに止まっていないでさ。父の面倒くさがりはこんなときから発揮されていて、母がいないのを寂しがってぐずる私は、家から車で3分もかからない橋の手前で、車の中で足止めされて母のところにたどり着けない。
私がおもいだせる限りでいちばん古い記憶をたどるとこうなるのであるが、記憶は思い込みや強い願望なんかで改竄されるらしいと聴いたので、当てにならない記憶ではある。
私はアイデンティティが、記憶喪失している、というより、記憶喪失したい。そのあとの父親の記憶を、いまは忘れたい、みたい。遠くしたい。遠いというより、いま現在の事実は、遅い、ということなんだった。遅い、遅すぎる、取り返しがつかない。取り返しがつかないことを、私(たち)はしたようだ。きょうは、「したようだ」、と言いたい。きょうは「した」と言って、責任に付随する行動を、とることができない。私は遅すぎたことに、後悔が先に立たないことに、きょうはもうどうしていいかわかんない感じ。だからアイデンティティの記憶喪失を望んでいる私は父を叱責しているのだった、なんでおかあさんのとこに連れて行ってくれないの? きょうはそれしか言えない。なんでおかあさんのとこに連れて行ってくれないの? だから妹とも母とも話せない。
これ、何の画像?絵?なの??

読み返してみたいな、とおもうと手元になく、文庫本も売っていないのであった。いちばん好きな大江の本はこれだな、とおもうけれどよく内容を覚えていない、という。

私はいま、人生の親戚の正体を、よく見極めたいな、とおもっているところ。あんたのさあ、フットボールとか、叫び声とか、何だったのかな。あんた、だいぶ人生の黄昏よ、黄昏どころか、もうすぐ午前0時かも知れない。でも、そうでもないかも知れない。核戦争へのカウントダウン時計というのを、おもいだした。間近になったり、遠くなったり。
それにしても、天国のエコーって、縁起でもない訳だな。あんたは天国でも地獄でもない、連獄だったけ、ちがう、漢字が出てこない、とにかくそこに行くんだろうなあ。救われないなあ。蜘蛛の糸なら、たぶん十本くらいはでてくるけど、あんたは気づかないんだろうなあ。

なかったものを、代替はできないのだ、たとえどんなにすばらしいものに恵まれていても。私はなかなかのものに出会えた。おそらくいい感じになるとおもうし、いい感じにするつもり。幸福とはある意味決意だとおもうわ。
でも、私がどんなに幸福になろうとも、あんたの幸福には関係がない。私のパーティーとあんたのパーティーはちがうのだ。そして私の魂が損なわれるときがあれば私のせいなのだ、あんたの魂がなくなるのはあんたのせい。あんたはあんたの人生の王であることを放棄したのだ。

それでも、なんかできることってなかったのかな?とおもう。あんたとの関わりにおいて、私ができたこともあったかも知れないけれど、私はそれを放棄してしまったのかも知れない。私は魂と人生を、すこし亡くしたらしい。私はそうして生き延びた、たぶん間違ったやり方で。
 これを読む前に四方田犬彦の「ひと皿の記憶」を読んだのであったが、全然乗れなかった。世界中を旅して、いろんなところに住んでいただけあって、いろんな食べ物や固有名詞が出てきて、読んでいると知識が増えるようで面白くはあるが、正直、おっさんの話をひたすら聴かされてこっちの話は聴いてもらえない・・・という感じがよろしくなかったのかも知れない。そして料理を頻繁に作っているだろうわりには、あまり生活感のないのも。これは私がなんとなく、男性の書いた料理エッセイを避けてしまう理由になるかな、と思った。この本を読んだだけで勝手に四方田犬彦があんまり信用ならない人として記憶されそうである。(かててくわえて、文章がうまくない、というのが間違いなら、魅力的ではない。学者と作家を兼ねているような人の文章って、松浦寿輝しかり池内紀しかり、あんまり乗れないんだな)。

 料理をつくるのが楽しいとおもえる性質ではあるが、それでも毎日料理をつくっていると、料理つくる中毒、みたいなものに陥ってしまいそうにはなる。料理したい、食べたい、と思わないときでも、しなければ、食べなければ、というのでつくるときがあるからだろうと思う。そんなにレパートリーもないし、基本食べたいものしかつくらないのだけれど。食べるひとの方はどうなのだろうか、と心配になったり。

 このFAX書簡集は料理というよりも、食べたものと食欲の話、そして恋愛とセックスするぜーというあけすけな話があって、気楽に読めた。そしてふたりのやり取りを読むそばから、私はね、私はね、といっしょに話しているような気になった。そういう本のほうが、好きかもしれません。料理研究家である枝元の、家で料理をつくっているそばから仕事のことを考えてしまう職業病にやや疲れていたり、家族のいる伊藤が不安定になると甘いものばかり食べていたり、手抜き料理したり、あるいは子どもたちにつくってもらったり、(子どもが外食じゃなくて自分でつくるーと言い出すのが、すごくいいなと思った)、そして両者ともけっこう市販のジャンクな菓子を食べていたり、(そしてそのからだに悪そうなのが美味しそう)、生活感満載で、ぜんぜんオシャレーじゃなくって、よかった。
 伊藤の「食べ物を食べさせるっていうのは、ある程度相手を性的に取り込むことかも知れない」という言に頷いた。性的という限定なしでも、つくったものではなく買ったものの場合でも、私は食べさせたがりのような気がする。私の伯母たちも食べさせたがりではあった。食べてもらうと安心するのであろう。いっしょに食べると、(というのは、会食というよりは、与えたり与えられたりして)、すごく近しくなった気がするー。
 あー、魔亜子さんのサラダと捧さんのカレーとタネコさんの肉料理が食べたいすー。

In the Right Place

2014年6月5日 音楽

 気合いの入った妹の結婚式、私は嫌な感じで気合いが入っていたので、疲れた。いまさらになって、ああすればよかったこうすればよかったと、後悔があるのであった。あんまり写真をとれませんでした。余裕がなかったんだと思います。その代わりにエネさんがバシャバシャ撮ってくれて何より。


 エネさんにはへんな肩書でいっしょに式にも披露宴にも出席してもらった。みんながエネさんを誉めていた。エネさんがいっしょにいてくれて私は何を身につけているよりも誇らしかった、て、自己愛。そして私と私の家族に振り回されたエネさんは風邪をひいてしまった。すいません。


 TDLより、鴨シーのシャチとベルーガのショーが楽しかった。私はシャチに水をぶっかけられ、会場の他の人たちの哀れを誘いました。


 甥っ子(2歳半)が、玩具をみて3秒後くらいに、「じいちゃん!」と父に駆け寄っていくのをみて、知恵がつくってこういうことよね・・・とおもった。


 きょうはこの歌がやけに沁みました。
Dr.John - Just the Same
http://www.youtube.com/watch?v=X1gy-fDlWCQ

Unorthodox Jukebox

2014年6月4日 音楽
 妹の結婚式が滞りなく済んで何より。

・・・って言いたいのだけれども、滞りありまくり。両親と兄夫婦は前日に上京したのだけれども、当日朝に上京した叔母たちが荷物を持ちながら親族控え室/チャペル/庭園/披露宴会場をわらわら移動して、空襲下で避難する人とか、戦時難民とか、こんな感じだろうなあ、と思った、そしてあまりに統率がとれていないので、私たちは空襲なんか起きたときにはみんな死んじゃうかも知れないなあと思った。なので戦争はんたーい。集団自衛権の行使容認には激しくはんたーい。というか荷物のことはぜんぜん考慮しておらず、考慮するのは私くらいしかいなかっただろうから、もっと考えるべきだったと思いました。

 チャペルで父と妹がバージンロードを歩くのをみていると、泣きそうになりました。直前まで妹と「お兄ちゃんが歩いたほうが様になるよねえ」と言っていたのに、この陳腐さよ。あとは妹の幼なじみ(保育園から高校まで一緒)がスピーチをしているときはこみ上げるものがありました。そして妹の肌がやたらきれいになっていたので尋ねると「エステで十万かけたよ!十万!」との答えでした。妹の生涯最大の目標が達成されてよかったですが、終わったあとは「もう何を支えに生きて行けばよいかわからない」と言っていました。叔母たちはみな涙が止まらないと泣いていました。私はホテルの美容室でセットしてもらった髪が気に食わなくて泣きそうでした。
 翌日からは余韻に浸る暇も余裕もなく、睡眠不足で怒濤の観光ツアーになだれ込む。スカイツリーやTDLや鴨シーに行ったあと、旅館で大宴会し、叔父の裕次郎に合わせて梅沢富美男みたいな踊りをする母や叔母たち。合間にチェックアウトしたホテルの鍵を持って帰ってしまったり、連絡がとれなかったり、携帯電話がないと騒いだり(→私)、集合したはずなのにひとり欠けていたり、のトラブル続き。最終日になると妹の子どもはよく笑う子のはずなのに終始固い表情で、兄の子どもたちはハイテンションのあまり怪獣と化して笑い狂い泣きわめく。貧乏人の旅行には余裕という文字がないのであった。次は鮎ちゃんね!と言われたけれど、これがまた繰り返されるとなるとしばらくは遠慮したいとおもった。

 結婚式のBGMではブルーノ・マーズを3曲くらいかけました。
前号で日田の寶屋が取り上げられていて、今号は〈今月の買い物〉で日田が取り上げられていて、日田キテるのかなー。
私の実家はだいぶ山のほうなので、いい感じに取り上げられている温泉街や三隈川沿いにはあまり思い出がないのだけれど、宇治山哲平についての記事は興味深く読みました。あと、映画館のリベルテは私がいたころは全然よくなかったのに、いまの経営者の方が頑張っているのに感動した。上映作品も頑張っているけれど、上映以外にも器など扱っているらしい。

食堂がいくつか短い文とともに挙げられていて、そのなかのひとつには何回か行ったことがある。高校生のとき友人と行ったときに、お店の人と話していたら、「最近は外国人が多くなって、治安が悪くなって嫌だわ」と言っていて、お店をでたあと友人とポカンとしたあと、憤慨したのであった。今は15年前よりも外国人のひとが増えたのだろうかどうだろうか、私の同級生で家業の農業をついだひとが、アジア系のひとを雇っていると母から聴いたりした。


自分の最寄り駅の隣の駅に、オンタ焼き専門のお店があると知った。近いー。たぶん帰郷してオンタに行くよりはいいものがあるのだろう、正直。


妹の結婚式のBGMをエネさんとともに作成した。

乾杯直後のBGM、ロバと王女のこの曲↓が却下され
http://www.youtube.com/watch?v=-9dQysBGyPw
では!とディズニーの「魔法にかけられて」↓はどうだ!とおもったらそれも却下され、
That’s How You Know-http://www.youtube.com/watch?v=q7Z8IdVwK5Y
「魔法にかけられて」のつまんないテーマソングのほうになりました。



 高校生のときに、とくにアカデミズム寄りというわけではない読書好きの友人に奨められ読んで、自己愛というタームだけを覚えた。

 私は連休を利用しての帰郷を楽しみにしていた。で、実際楽しかった。それはエネさんがいたからであったが、自分では愛憎半ばする対象の郷里をみせて、エネさんに素直に愛していただきたい、そしてエネさんのラブ/ライクをあわよくば己のものとしたい、というような心の動きを感じて、それって自己愛かもねむ、と思った。
 私は子どもである。近頃はひどく精神年齢が下がったような気がしている。たまに中学生のような気持ちの情景を、まざまざと眼前にしている。

なんてぼんやりしていたら、やるべきことを先延ばしにしていて、あわてて連絡を取りまくって平謝りするはめになった。
とても重いテーマなのに、ページの縁取りの色などをいちいち替えてあったりして、本のつくりが丁寧なのが、とっつきにくさを軽減してくれているような。おしゃれ。おしゃれでも、やっぱり重いテーマなので、やや斜め読み。
実際の犯行に加担した人や目撃した人の証言はもちろんショッキングなのだが、子どもたちの日記/作文にそれが当たり前の風景のように書かれてあって、何の驚きも痛痒も覚えていないようなのが、怖い。いたるところで犯行が起こってから習志野に韓国人を保護する施設ができたようなのだが、その中からも何人かのひとがこっそり連れ出されて殺されていたのではないか、という証言もあって、怖い。
当時の犯行現場が現在どんなふうか、写真がちいさく添えられていて、もちろんその写真だけでは到底、そのような惨劇があったのを伺い知ることはできない。実際そこに行ったとしても手がかりがなければ何も感じることはできないだろう。頭が痛くなるまで、想像してみるしかない。そして犯行現場として、北関東の、妹の家の最寄り駅の名前もあがっていたのには、びっくりした。こないだ休みの日にそこに行ったばかりで、アホみたいにでかい、便利なショッピングモールは醜悪なほど平凡で(ある意味散文的なようで、ゾクゾクとはした)、よくある田舎にちかい郊外の風景だなーと改めて思ったばかりだった。そのあたり東京ほど壊滅的な被害を受けたわけではないらしく、ただ不安と流言が電車にのるなりして伝播していったゆえの顛末で。

私は三流のインテリゲンチャンなので、無粋な非インテリゲンチャンな発言をして失笑されることがある。震災のときに日本であんなに人が死んだのに、私の暮らしが平凡なままでよいのだろうかとおもった、私の故郷もまったく痛手を受けず、よいのだろうかとおもった、と言ったら、失笑されたのであった。そんな日本でたくさん人が死んだからって悲しむのはおかしい、それならば世界の他のどこかでそうなったときにも悲しむべきだよ、と私の意識の狭さを笑われたのであった。私が笑われるのは、正しいことだと思う。乗客に日本人はいませんでした! と海外の事故/事件のニュースの終わりに付け加えるようなことだから。だから私の書くことに覚悟が足りないのだろうと思う。
で、私にそう言った人についても、正しい。彼は常から、世界中の事柄に等しく悲しみや憂慮を覚えているのだろうから。それらのことを自分から遠ざけるために、ほとんど定型のような真実を吐いたのではないだろうから。そうでなければ、私がその言についてたまに思い出して、咀嚼や熟考を重ねる価値もない。

で、やっぱり私は圧倒的に、かっこういいノンポリというよりは、ださいナショナリストとかパトリオティストとかだと思う。カタカナで書いてしまうのはだささを払拭せんとするのではなく、そういうひとってグローバルにいるよねということではなく、日本語ではどう正確に言うかわからないのである。言葉と定義を探さなくてはならないのね。
で、その定義の最初には、ジェノサイドの国の人、と置かねばならない。


エネさんが古本で手に入れてくれた。

いまのところ堀井和子のレシピで田舎パンを焼いており、(準強力粉使用ではないので、なんとなくパン・ド・カンパーニュとは呼ぶのが憚られる)、最初の2回はうまく行ったのだけれど、最近2回ほど焼いたときはいまいちうまくいかなかった。私はビギナーズラックということが、たいへん多いような気がする。
3年前くらい製パンブームだった頃は、いろんな粉を試してみた。そのころレシピをよく参照していたひとが、いろんな粉を使うひとであったせい。最近はもっぱらカメリヤと、たまにスーパーカメリヤで、それにパン用の全粒粉、ライ麦粉をいくらかブレンドする。私のレベルでは、いろいろ使うのがなんだかはしたないような気がするので。

製菓材料店に行ったりすると、いろんな粉があるのがわかる。薄力粉、強力粉、準強力粉、というだけでなくて、それぞれでいろんな特性があって、最近のパンのレシピもそれにあわせて細分化がはげしい。レシピ本でフランスパン一種類だけとっても、それぞれの粉で気泡が入りかたがちがう!と例を示していたりする。粉によって、そして気泡の入りかたで、食感や味がちがってきて、おいしさもちがってくるのはわかるのだが、だから、何?と問いたいような気のするときもある。パン屋を開くのならともかく、家で食べるものに、そのような細分化は必要なのだろうか。とおもうのは、田舎パンをうまく焼けない腹いせだろうか。

パンのレシピ本を読みはじめて5年、だいたい立ち読みばかりの雑感でしかないけれど、国産小麦粉が一般家庭での製パン、製菓にも使えるようになってから、国産のみならず外国産の小麦粉にたいしても嗜好の細分化がすすんできたようにも思える・・・ここ十年くらいのこと? ネットで気軽にいろんな種類の粉が買えるようになったせいもあるだろう。いろんな粉の説明を読んでいると、たしかに興味はそそられるのだが、こんなにいろいろ、必要なの?と思ってしまう。

お菓子はなくてもいいものだ、と長尾智子が指摘していたのを拝借するならば、パンもなきゃないでいいもの、ではあろう。お菓子よりも食事に寄り添うものではあるけれど。そして菓子よりパンはやや職人的な見極めが必要になるし、時間がかかるというのでストイックさも要るから、ハマるひとは職人になれるくらいハマるのであろう。

・・・何が言いたいのか、自分でもわかんなくなってきたけれど、細分化って豊かさの証明にはならないよね、と漠然とおもってしまうのだが、それは私が豊かさを定義しかねているせいか、私のおもう豊かさとちがうニャアとおもってしまうせいか、ニャー、歯切れ悪くさようなら。
妹の披露宴でのドレス選びに付き合う。和装と白いウエディングドレスは決まっているので、カラードレス選び。アカデミー賞にはじめて出席したティーンか?プロムか?みたいな真っ赤なドレスとか、水着か!?と言いたくなるような紺色に花柄のプリントのドレスとかの試着をみて、カラードレスの壷がわからない・・・と途方に暮れていたら、最後のミントアイスみたいな色が基調の花柄のはいったドレスにほっとした。そしてそれに決定。カーテンみたいだったけど素敵だった、でもカーテンみたい。でも欧米のいけてる女子はカーテンで服つくるからいいんじゃないかな、映画でみたことあるよ。
試着のあと打ち合わせしている妹をよそに、ブライダルサロンの待ち合い室で居眠りしたのが恥ずかしい。

なんでのこのこついて行ったかといえば、9カ月の妹の子の守りをする必要があったからなのだが、ゴッドスピードユー!くんは私の顔を覚えたのか、おとなしく抱かれるし、あまつさえ私の腕の中で眠ったのだ。寝たよ!と勝訴した原告よろしく毛筆の紙を掲げたいくらいだった。しかしユー!くんはとても重いので、明日は筋肉痛が必至でしてよ。
妹と別れて帰る途中、兄の2番目の小鳥ちゃんがちょうど1歳なのをおもいだし、おめでとうとメールしたのだが、ユー!くんはおそらく小鳥ちゃんより重いのである。
兄が寄越した写真のなかの、きょうの小鳥ちゃんはヒジョーに髪がうすくて、寂聴先生に似ていて、おもわず合掌したくなるようなありがたい頭をしている。
破るなんてヒドい。
アンネの日記が破られたことについて、どこかの図書館で保守系学者?の図書が閲覧禁止?廃棄?(どっちだったか覚えていない、すいません)されたたこととならべて、多様な意見が封じこめられるのはイカンよね、としたり顔に批判しているひとがいた。

どんな本も破ってはいけないものかも知れない。けれどなんでこんなヒドいもんが売れているのか、と破りたくなる本も、私にとりましては、ままある、破らないけれど。
なんでこんなことが、西欧圏ならばいざ知らず、日本で起こったのか、と、事件についてひとと話せば、まず薄気味悪く感じたと表明されるのだが、私には、アンネを軸として破いていった、というのが、やりきれないような気持ちにさせる。

破いた人は、アンネの本を読んだことがあるのか、ないのか。アンネの日記には、連れ去られるユダヤ人が窓からみえる、というような記述があるものの、ホロコーストのことを書いている、とは言えない。書かれているのは、なにか大きなものに脅かされてびくびく狭い空間で過ごしながら、それでも生きている女の子の話である。家族やまわりがなかなか理解してくれないと言って嘆いていたり、諍いや事件をおもしろおかしく、理路整然と書こうと格闘していたり。アンネはたしかに頭がよく、文章もうまいけれど、アンネの日記否定論者が唱えるほど、年の割に不自然ではない。って、アタシだってこんなに頭よかったって言うつもりないっす。はっとするのは、アンネの精神が自由だということ。自由に明晰さが必要ならば、アンネはアタシなんかより遥かに頭がよかったし、自由でないひとからみたらば、不自然なのだろう。
アンネの日記ってブンガク的にすごいのかな、と訊かれて、私はことばに詰まりました。もしかしたら無数のアンネがいたのかも知れず、無数の自由があったのかも知れない。アンネはただのワンノブアンネで、ブンガク的にすごいひとならまだいたかも知れない。しかしそれらは残ることができなかった。戦争が跡形もなく、アンネたち自身とアンネたちの自由の痕跡も消してしまったからです。アンネの日記だけが運良く残り、運良く生き残った父親がこれを受け取り、出版した。

本屋で買って読み返していると、これを書いている間アンネはとても自由だったんだと思う。そんなちっさい自由に希望を見いだしたくなる。それがただしい読み方かどうか、わからないけれど。

学者の本を破るとかより、アンネの日記を破るのは格段にヒドい、と思う。ベストセラーで生意気な口調が鼻につくかも知れないけれど、所詮ティーネージャーの書いたことですよ、と言いたくなる。こんなちっさいささやかな日記を破るのって、オッサンの堅い本を破るよりも、良心の呵責を覚えるべきじゃないか。破ったやつはまちがいなく人でなしであろう。
今年はなにかテーマを決めて本を読まないと、と思いながら、もう2月になった。やっぱり冬は苦手さあ。買いものもひときわ億劫になってくる、そしてやっとこさ買い物に行くと、すれ違う人に荷物があたるくらい買い込むので、やっぱり買い物が億劫でしてよ。

ちくまの渡辺一夫を読んでみたら、カルヴァンやロヨラの話が面白かった。寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか、というようなタイトルの文章をぜひ読まなければ、と思いながら、うっちゃったままで、今週中には読むのよ、宿題よ。
いつでもどこでも、不寛容なひとというのはいるのであろうが、不寛容ってなんのことでしょうというひともおなじくらいいるのであろうが、そういうひとたちもけっきょく不寛容に加担しているのであろうか。

実体験を披露した後に、だから中国人は嫌いなんですよ、と言ってみせる女子がいたけど、私はそこがふしぎでたまんないのよね、とおもったあと、あー、私のほうがふしぎなのかな、と思った。というのも、私は職場に中国人や韓国人がいて、ちょっと気に入らないことも合わないこともあるし、実際嫌いな人もいたけれど、だからって中国人や韓国人を総体として嫌いにはならないんだよね、なぜだろう、と考えていたら、ああ、まんべんなく人間嫌いだからだ!と思い当たった、それもどうなんだろう。私はたいして寛容ではないのよね。しかしそうやって不寛容を避ける手もあるのかも知れず、かといってそれを積極的に採用するのもどうかとおもうけれど。
しかし実体験があるのはお気の毒として、それで鬼の首をとったように何何人は嫌いというのは、間違っているし、論法もおかしくってよ。そしてそれを宣伝するのもね。て、私はそういうことを個人にたいしてやってしまうときがあるので、気をつけるわ。
自分に関して、料理が好きと言い放って差し支えがないとおもっているのだけれど、いやいやほうれん草を洗っていたり、いやいや筑前煮にする野菜の皮を剥いたり切ったりしていると、はて、と懐疑的になるのである。料理が好きと言うのの、料理、っていったいどんな行為をさすのかしら?
ほうれん草を洗うのは嫌いである。筑前煮にする野菜の下ごしらえも手がかかるので嫌いである。豆を浸すのは好きである、膨らんだ豆をみるのも好きである。米を洗うのも、そんなに好きではないのでちゃっちゃっとやる。千切りはなんでも好き。ごぼうのささがきはいまだ得意でないので、あまりごぼうを買わない。じゃがいもをまるごとゆでるのは好きだが、そのあとに皮を剥かなければならないのは好きでない。
子どもの頃手伝いをするときは、なによりも混ぜるという行為が好きであった。母が泡立て器を手に取ったり、卵をボウルに割ったりすると、ハイハイハイ!と駆けつけたようにおもう。

料理に付随する皿洗いもむろん嫌いなのだけれど、ここ一年で目をつぶるようにちゃちゃちゃとやることができるようになった。というのが言い過ぎならば、きれいに拭き上げて元の場所に戻すのは気持ちいい、ということを覚えた。というのは、同居人がきれい好きだからであるけれど、圧倒的に洗ってもらっているので申し訳ない。料理の前後にあることをきっちりやってのけるのが、道楽で料理していない、ということになるのだろうか。ひい。

そこいくと森茉莉はやっぱり圧倒的に道楽料理の大家であったのだろうなー。そこから森茉莉を読んでも面白いかもしれない。と、年明けに平松洋子の本をちょっと読んで、合わないな、と思って、考えていた。平松洋子のエッセイは、たぶん酒飲みの文章っぽいのが、とりわけ私にはあわないのだと思います。お酒よりも断然お菓子が好きです。お酒は飲むものではなく、料理に入れるものです。


きのうはハンバーグ。合い挽き肉と別に、牛だけの挽き肉も買い、タネをつくる。参考にしたレシピは、ソースを和風にも洋風にもできるよう、その味を邪魔しないために臭み消しのスパイスは入れない、ということでしたが、ケチャップを利用したソースだし、ナツメグを入れた。というか和風でも、ナツメグを入れたい。ナツメグを入れると、おまじないをかけたようで私の気が済むのだった。
おもえば母のつくるハンバーグのタネにも、ナツメグかオールスパイスが振りかけられる一瞬があった。それらのスパイスはハンバーグのときにのみ使用されるもので、母の扱いがずさんなので、口のところで粉末が固まってこびりつき、たぶん賞味期限ぎれになっていたりしたのだろうけど。

ハンバーグはひさしぶりにつくった。私は肉の臭みなどはあまり気にしないので、もしかしたらナツメグなんて全く必要ないのかもしれないが、ナツメグを入れる瞬間がいちばん好きなような気がしている。いまではナツメグの用途については、ぼんやりわかっているのだけれど、振り入れるときに子どもの頃「なんだろこの茶色い粉は」と不思議に思ったのを、もういちど擬似体験しておるような気がするのかもしれない。
と、そんな、おまじないのような、〈道楽〉じみたことをするのは、正しい料理には要らぬことなのでしょう。道楽として行われる料理は、料理ではない、というようなことを、今年どこかで読んで、なるほど、と姿勢を正される気がして、いままでの自分の道楽的料理の数々を反省したくなった。でも、道楽的要素って職業で料理するひとには不要かも知れないけれど、毎日家庭で料理する人ならば多少は必要なのじゃないかしらね、とすこし疑わしくおもったところで読んだ石牟礼道子のエッセイでは、著者がわりとたのしげに道楽を交えながら料理していてよかった。そして水俣が独自の豊かさを持っていたことも知れた。そのいくらかはもう取り戻せないものになってしまったのでしょうか、どうなのだろうか。

そして祖母のつくっていた変わった野菜――ちょっと高級なスーパーにしか置いていないような野菜が、祖母の懐を潤しはしたけれど、祖母の食文化を豊かにすることはなかったことが、なんだかね、とおもう。食べ物を粗末にするな、と言いながら、おいしく料理することには興味のない人だった。

それにつけても、ハンバーグ。食べる直前更に盛りつけたときの様は強烈なものがあったのに、食べ終わってみると余韻のようなものが何もないのにびっくりした。牛肉ってそんなものかな。お腹は十二分に満たされたのだが。

1 2 3 4 5 6 7 8 9

 

最新の日記 一覧

<<  2025年7月  >>
293012345
6789101112
13141516171819
20212223242526
272829303112

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索