なにかというと本能を持ち出す人は、あまり信用しない事にしている。世界はもっと多様だし複雑だし、なにかを本能で片付けるひとは、人類のこれまでの歴史とか、社会や教育が人間に与える影響とかに無頓着っていうか、勉強してないっていうか、怠慢なのではないだろうか。おまけに個人的なミソジニーを当たり前とするのって、恥ずかしいと思えないのかな。なんて。
妹が私のマンションから歩いて40分くらいのところに引っ越してきて、産休から仕事に復帰した。今週は妹の代理で、保育園へ何度か甥をお迎えに行った。都心のビルの一室に、子どもがわんさかいるのがシュールだった。小さいくせに生命力にあふれており、満員電車にわんさか大人がいるのとは、断然ちがう群れ。
子どもというのは不意に現れた大人を凝視してきたりするので、ナンダコノヤロー、などと言ってみたりするけれど、たぶんそんなお愛想のようなことをしているのは親ではない私だけのようで、たいていのおかあさんは先生に挨拶しつつ自分の子どものもとへまっしぐらに進んでいっているような気がする。私はちいさな子どもに色目を使うのに夢中で、帰り道によく先生にちゃんと挨拶できてない気がする!お世話になってますとか、言ってなかった気がする!などと思ったりして、妙に疲れる。そしてなんだか保育園の先生の安定感が落ち着かないなあと思ったりする、のは、私がやはり親ではないせいかしらん。
甥とは大分仲良しになったけれど、それって私自身が遊ぶときに全く子どもだからであって、なんか大人の余裕とはちがうのであるる。甥とあうあうあ、ぎゃはぎゃはぎゃはと意味のない会話をしていると、仕事中にもあうあうあ、などと言うようになりそう、私は笹舟よりも流されやすい。
子どもというのは不意に現れた大人を凝視してきたりするので、ナンダコノヤロー、などと言ってみたりするけれど、たぶんそんなお愛想のようなことをしているのは親ではない私だけのようで、たいていのおかあさんは先生に挨拶しつつ自分の子どものもとへまっしぐらに進んでいっているような気がする。私はちいさな子どもに色目を使うのに夢中で、帰り道によく先生にちゃんと挨拶できてない気がする!お世話になってますとか、言ってなかった気がする!などと思ったりして、妙に疲れる。そしてなんだか保育園の先生の安定感が落ち着かないなあと思ったりする、のは、私がやはり親ではないせいかしらん。
甥とは大分仲良しになったけれど、それって私自身が遊ぶときに全く子どもだからであって、なんか大人の余裕とはちがうのであるる。甥とあうあうあ、ぎゃはぎゃはぎゃはと意味のない会話をしていると、仕事中にもあうあうあ、などと言うようになりそう、私は笹舟よりも流されやすい。
愛の妖精 (岩波文庫)
2015年4月1日 読書
私、愛情が足りなかったのじゃないかしら、と思ったりする、というのは、与えるほう。ただ、幼い頃、もしくは子どもが家庭の年長者にあげられる愛情なんて、けっきょく、お返しでしかないのじゃないかしら。
私が子ども生むかどうかそれは神のみぞ知るだけど、子どもに、お前のくれる愛情はこれっぽっちなのかい?などとは、死んでも言わない。
死んだひとのことをおもいだすとき、私はあのようには生きるものか! と何回もおもった。それもひとつの親子のあり方として正しいのだろうが、やはり他の美しいことがないかなあ、と踏ん切りが悪い。
私が子ども生むかどうかそれは神のみぞ知るだけど、子どもに、お前のくれる愛情はこれっぽっちなのかい?などとは、死んでも言わない。
死んだひとのことをおもいだすとき、私はあのようには生きるものか! と何回もおもった。それもひとつの親子のあり方として正しいのだろうが、やはり他の美しいことがないかなあ、と踏ん切りが悪い。
こういう文章は好きではないぜ! などと思いながら頁をめくっていたけど、なんとか、ノってきましたよ。
小学生くらいのときだったか、エンターテイメントものや大衆文学しか読まなかった私の母が、「本はね、つまらなくても我慢して50頁くらい読んだらね、おもしろくなるのよ」と言っていた。それを聞いていたおかげで、私は本を読むのに慣れたようだ。そういうことを、読書の好きだった父からは教わらなかったと記憶している。
大岡昇平はクリスチャンだったのだろうか。時折はさまれる聖書の引用と、神の存在が、なんか不思議です。この小説を書くために、神の存在が必要だったのではないか、と思ってしまった。でも、まだ途中でーす。なはははは。
小学生くらいのときだったか、エンターテイメントものや大衆文学しか読まなかった私の母が、「本はね、つまらなくても我慢して50頁くらい読んだらね、おもしろくなるのよ」と言っていた。それを聞いていたおかげで、私は本を読むのに慣れたようだ。そういうことを、読書の好きだった父からは教わらなかったと記憶している。
大岡昇平はクリスチャンだったのだろうか。時折はさまれる聖書の引用と、神の存在が、なんか不思議です。この小説を書くために、神の存在が必要だったのではないか、と思ってしまった。でも、まだ途中でーす。なはははは。
世の中にそんなに悪いひとはいないのではないでしょうか、と私があることを報告すると、そう反応される方がいて、私はなるほどそれも、あるでしょう、とは思うのだけれど、私は、では悪とは何なのであろうか、と戸惑いもする。悪にいろいろ場面のあるうちに、すくなくともひとつは人を苦しめるのは端的に悪と言って、差し支えないではないかと思うのだけれども、では苦しみとは何なのであろうか。不愉快なこと、というのは生きていれば当然あるので、それは差し引くとして、苦しみとは、長い間続く悪夢のようなもの—―しばしば、覚醒しているはずの時にまざまざと体験する悪夢や疼痛のようなもの——それが自分や他人や世間にたいする信頼を失わせた結果、幸福を損なわせるもの、といったところだろうか。その苦しみを妄想であるとして封じ込めるひともいて、そういう場合もあろうけれども、そ言う行為が単なる方便になってしまったら、わたくしは信じないね。断じて。
事が家庭の、ひとつの家のなかで起きると、家庭内にはいろいろなベクトルがあるので、それがぶつかり合い、うまく行かないのでしょう、という人がおり、人の家のことを簡単に断定するのを避けるのは礼儀として正しいのかも知れないし、そもそも言ってしまう自分が、愚か者なのだとおもう。
事が家庭の、ひとつの家のなかで起きると、家庭内にはいろいろなベクトルがあるので、それがぶつかり合い、うまく行かないのでしょう、という人がおり、人の家のことを簡単に断定するのを避けるのは礼儀として正しいのかも知れないし、そもそも言ってしまう自分が、愚か者なのだとおもう。
この表紙、パソコンの画面でみるぶんにはなんか可愛いですね。
誕生日祝いに植物を買った。先祖は熱帯アメリカから来たのさ。名前はモンステラさ。
買ってみるまでは、観葉植物なんて金持ちぶった趣味で、なんだかおどろおどろしい形のものが多いな、という認識しかなかった。
園芸屋さんに行ってみるといろんなものがあって面白かった。私ははじめての種類のお店ではキンチョーしてしまってお店の人にすすんで何か尋ねるということができないのだけれど、お客さんが他にいなかったので、話しかけてくださって、助かった。だけど初心者ですとは最初に白状できなかった。どんだけチキンなのか。
いざ家に連れてきてみると、緑がうれしかった。そしていざ育て方などを調べてみると、ケミカルな感じ...いや肥料や土が百パー自然由来のものではないだろうとか、そういうことではないんだけど、やっぱりこういうのって、農業もそうだろうけど、ケミカルというか、人工的なんですね。枯らさないようにして、できれば大きく育てて、人工的とはどのようなものか、という勉強をしようとおもう。
行ってみた園芸やさんはデパートの屋上階にあったのだけれど、店員さんのひとりが宮崎アニメにでてきそうな、穏やかなのに腹黒そうな、なんかあんまり「自然」な臭いのしないおじさんだった。そのおじさんの流れるようなトークに魅せられて、というか負けて、栄養液を買ってしまった。(もうひとつ激オシされた霧吹きボトルだけはなんとかするっと辞退した)。
誕生日祝いに植物を買った。先祖は熱帯アメリカから来たのさ。名前はモンステラさ。
買ってみるまでは、観葉植物なんて金持ちぶった趣味で、なんだかおどろおどろしい形のものが多いな、という認識しかなかった。
園芸屋さんに行ってみるといろんなものがあって面白かった。私ははじめての種類のお店ではキンチョーしてしまってお店の人にすすんで何か尋ねるということができないのだけれど、お客さんが他にいなかったので、話しかけてくださって、助かった。だけど初心者ですとは最初に白状できなかった。どんだけチキンなのか。
いざ家に連れてきてみると、緑がうれしかった。そしていざ育て方などを調べてみると、ケミカルな感じ...いや肥料や土が百パー自然由来のものではないだろうとか、そういうことではないんだけど、やっぱりこういうのって、農業もそうだろうけど、ケミカルというか、人工的なんですね。枯らさないようにして、できれば大きく育てて、人工的とはどのようなものか、という勉強をしようとおもう。
行ってみた園芸やさんはデパートの屋上階にあったのだけれど、店員さんのひとりが宮崎アニメにでてきそうな、穏やかなのに腹黒そうな、なんかあんまり「自然」な臭いのしないおじさんだった。そのおじさんの流れるようなトークに魅せられて、というか負けて、栄養液を買ってしまった。(もうひとつ激オシされた霧吹きボトルだけはなんとかするっと辞退した)。
さいごの食べもの、飲みもの
2015年1月9日 読書
父が年の瀬に亡くなった。亡くなる1カ月前くらいは、のどを切開したために、点滴で栄養を摂取していた。
夏頃からのどが痛んで刺激のあるものが沁みるというので、辛いものや酸っぱいものを敬遠しだした。妹の姑が気をきかせて、添加物のないレトルトのスープの詰め合わせを送ってくれたのだが、胡椒が使われているものが多く、とくに病のない私たちからすればたいした量の胡椒ではないけれど、父ののどにはこたえるようで、せっかくのスープも一口のんでは要らないと言った。刺激がなくてそれほど咀嚼を要するものでなければわりと何でもよいというので、私がトマトと卵の炒め物をつくったりすると、全部平らげていた。では、とそれを翌日も出すと、「また同じものか」と言いつつ、食べていた。
10月に帰ったときは、パンをよく牛乳にひたして食べていた。もともとパンと牛乳が好きだったので、米よりもそれをよく食べていた。私が東京にもどり、病状が悪化すると、パンを飲み込むのもつらくなったらしい。しばらくして母から何にも食べない、と嘆かれたので、ゼリー飲料のようなものはどうなの?と提案してみたところ、もう与えてみた後でダメだったと言った。ゼリーも飲み込めないなんて、と言っている間にどんどん悪化していき、母が焦りで震えるような声で電話してきたときには、のどを切開して点滴で栄養をとるしかないということになった。
初夏のころ、病が再発してすぐに、のどを切開するという提案はあった。何にも食べられなくなったらかわいそうだし、死期が早まるのではないかと家族のなかで意見が一致して、担当医もたいそう消極的だったので、見送られたのだった。亡くなった後からすると、あ、結局のどはいずれ切らなきゃいけなかったんだ、とおもい至った。いずれ、食べられなくなったのだ。それが遅いか早いかというだけの話だった。のどの切開を見送ったことが、そのときはすこし後ろめたいような気もしたのだけれど、とどのつまり、遅いか早いかという話だったのだ。そしてそれは、死というものの話ではないだろうか。遅いか早いか、いずれ訪れてしまうという話。
のどを切開したあとは食べることも飲むこともできず、話すこともできない。父が何か言いたいとき、用事があるときのために、ホワイトボードとマーカー、スケッチブックと太いマジックが用意された。切開のあと2週間ほどすると、母が「お父さんはきょう、コーヒーが飲みたい、コーラが飲みたい、と書いてたよ」と明るい声で報告してきた。もうコーヒーやコーラが飲めなくなったのがかわいそうというより、言いたいことを父が書いて寄越したのが楽しかったらしい。私も、かわいそうというよりは、うれしいとか楽しいとか、むしろポジティブな気分だった。いろんなことがままならなくなった父が、自分の欲望を書いた、というのは、たとえば赤ん坊がハイハイしたとか立ったとか歩いたとか、それを目の当たりにした喜びに似ていた。歩き回っていた父は私にとっては、ときに忌々しいほどの存在だったけれど、何もできなくなった父がこちらに反応してみせたりするだけで、赤ん坊の初々しい生態に触れることができたような素朴な喜びを覚えた。と同時に、父が所望したのが、あれほど飲んでいた酒ではなかったことに、驚かない。亡くなってから祭壇に一升瓶が供えられているのをみると、父は、もうたくさん! と言っているのじゃないかと思った。
父と言えば、とうに中年太りが板についてもよい年だったのに、痩せているほうだった。それは酒のせいだったのか煙草のせいだったのか、あるいは意外に労働で体を動かすのが好きで、摂取したエネルギーをほとんど使ってしまうからだったのか、あるいは太りにくい性質だったのかも知れない。のどを切開する直前は虐待された囚人みたいにやせ細っていたそうだが、点滴をはじめると福の神のようにふっくらした、というのはうそで、血の巡りが悪くなって顔がむくんでいて、あまりみたことがない顔だわね、と私はぼんやりした頭で思っていた。
夏頃からのどが痛んで刺激のあるものが沁みるというので、辛いものや酸っぱいものを敬遠しだした。妹の姑が気をきかせて、添加物のないレトルトのスープの詰め合わせを送ってくれたのだが、胡椒が使われているものが多く、とくに病のない私たちからすればたいした量の胡椒ではないけれど、父ののどにはこたえるようで、せっかくのスープも一口のんでは要らないと言った。刺激がなくてそれほど咀嚼を要するものでなければわりと何でもよいというので、私がトマトと卵の炒め物をつくったりすると、全部平らげていた。では、とそれを翌日も出すと、「また同じものか」と言いつつ、食べていた。
10月に帰ったときは、パンをよく牛乳にひたして食べていた。もともとパンと牛乳が好きだったので、米よりもそれをよく食べていた。私が東京にもどり、病状が悪化すると、パンを飲み込むのもつらくなったらしい。しばらくして母から何にも食べない、と嘆かれたので、ゼリー飲料のようなものはどうなの?と提案してみたところ、もう与えてみた後でダメだったと言った。ゼリーも飲み込めないなんて、と言っている間にどんどん悪化していき、母が焦りで震えるような声で電話してきたときには、のどを切開して点滴で栄養をとるしかないということになった。
初夏のころ、病が再発してすぐに、のどを切開するという提案はあった。何にも食べられなくなったらかわいそうだし、死期が早まるのではないかと家族のなかで意見が一致して、担当医もたいそう消極的だったので、見送られたのだった。亡くなった後からすると、あ、結局のどはいずれ切らなきゃいけなかったんだ、とおもい至った。いずれ、食べられなくなったのだ。それが遅いか早いかというだけの話だった。のどの切開を見送ったことが、そのときはすこし後ろめたいような気もしたのだけれど、とどのつまり、遅いか早いかという話だったのだ。そしてそれは、死というものの話ではないだろうか。遅いか早いか、いずれ訪れてしまうという話。
のどを切開したあとは食べることも飲むこともできず、話すこともできない。父が何か言いたいとき、用事があるときのために、ホワイトボードとマーカー、スケッチブックと太いマジックが用意された。切開のあと2週間ほどすると、母が「お父さんはきょう、コーヒーが飲みたい、コーラが飲みたい、と書いてたよ」と明るい声で報告してきた。もうコーヒーやコーラが飲めなくなったのがかわいそうというより、言いたいことを父が書いて寄越したのが楽しかったらしい。私も、かわいそうというよりは、うれしいとか楽しいとか、むしろポジティブな気分だった。いろんなことがままならなくなった父が、自分の欲望を書いた、というのは、たとえば赤ん坊がハイハイしたとか立ったとか歩いたとか、それを目の当たりにした喜びに似ていた。歩き回っていた父は私にとっては、ときに忌々しいほどの存在だったけれど、何もできなくなった父がこちらに反応してみせたりするだけで、赤ん坊の初々しい生態に触れることができたような素朴な喜びを覚えた。と同時に、父が所望したのが、あれほど飲んでいた酒ではなかったことに、驚かない。亡くなってから祭壇に一升瓶が供えられているのをみると、父は、もうたくさん! と言っているのじゃないかと思った。
父と言えば、とうに中年太りが板についてもよい年だったのに、痩せているほうだった。それは酒のせいだったのか煙草のせいだったのか、あるいは意外に労働で体を動かすのが好きで、摂取したエネルギーをほとんど使ってしまうからだったのか、あるいは太りにくい性質だったのかも知れない。のどを切開する直前は虐待された囚人みたいにやせ細っていたそうだが、点滴をはじめると福の神のようにふっくらした、というのはうそで、血の巡りが悪くなって顔がむくんでいて、あまりみたことがない顔だわね、と私はぼんやりした頭で思っていた。
クリスマスってなあに?
2014年12月22日 読書
クリスマス礼拝に参加してきた。
キリストは神と人との和解のために遣わされたんです、と牧師さんが言ってた、わかってるつもりでいたけど、そうなんだ! 和解のためなんだ!とそもそものところに、驚いた。
和解ってなあに?
キリストは神と人との和解のために遣わされたんです、と牧師さんが言ってた、わかってるつもりでいたけど、そうなんだ! 和解のためなんだ!とそもそものところに、驚いた。
和解ってなあに?
音楽は何のためにーなりひびきゃいいのうー
フィッシュマンズすごく聴いているほうではないけれど、なんかあったときにほわっと浮かんでくるのはすごいなあ。
あ、別に政治のために鳴ってろとか、そういうことを言いたいのではないです。
フィッシュマンズすごく聴いているほうではないけれど、なんかあったときにほわっと浮かんでくるのはすごいなあ。
あ、別に政治のために鳴ってろとか、そういうことを言いたいのではないです。
小型聖書 - 新共同訳
2014年12月16日 読書
聖書が読みたい。持ってはいるのだけれど、引っ越しのとき実家に送って以来、行方不明。
同僚の方に敬虔なクリスチャンの方がいらっしゃって、ミサに誘われて完全にミーハー気分で参列させていただくつもりなのだが、「祈りはどこででもできるものですが、不二さんといっしょにお父様のことをお祈りできるのはうれしいです」とメールで言っていただいた。そもそも私は父のことを祈ったことがないということに気づいて、恐縮した。
祈りがなければ、そこから行いが生まれるわけがないのであった。だから私はなにも父にしていない。
でも、聖書が読みたいのは、お祈りのためではなく、聖書のなかのなんだか不条理におもわれる話を読みたいからである。たしかキリストが、果実を落としてくれない木に、枯れてしまえ!と言ってほんとに枯れた話があったような気がするのだが。なにか意味があるのかも知れないがひどい話にしか思えない。
同僚の方に敬虔なクリスチャンの方がいらっしゃって、ミサに誘われて完全にミーハー気分で参列させていただくつもりなのだが、「祈りはどこででもできるものですが、不二さんといっしょにお父様のことをお祈りできるのはうれしいです」とメールで言っていただいた。そもそも私は父のことを祈ったことがないということに気づいて、恐縮した。
祈りがなければ、そこから行いが生まれるわけがないのであった。だから私はなにも父にしていない。
でも、聖書が読みたいのは、お祈りのためではなく、聖書のなかのなんだか不条理におもわれる話を読みたいからである。たしかキリストが、果実を落としてくれない木に、枯れてしまえ!と言ってほんとに枯れた話があったような気がするのだが。なにか意味があるのかも知れないがひどい話にしか思えない。
神さまの話 (新潮文庫)
2014年10月31日 読書 コメント (4)
顔合わせのためにエネさんといっしょに帰郷した。エネさんのご両親に関西から田舎に出向いていただいた。母はそんな顔合わせの席でさえ祖母への敵意を包み隠せないので、すこしヒヤヒヤした。祖母はノンシャランとつまらない話をし、しかもそれがへんな自慢話のようだし、誇張があるし、私の話っていうより、自分の話だし!――そのつまらない話に顔を背けて苦笑をかみ殺している兄に救われたような気もする。それを妹にみせて笑い転げたかった。祖母はなぜか自分の嫁いだときの話をしだして、しかも自分が遠方から来たるように話すので、兄が「まあ、すぐそこの歩いて2、3分くらいの家から嫁に来たんですけどね、祖母は」とさすがに注釈を入れていた。顔合わせのあとのお食事会では、父はハブられるようにして来ず(最初は行かないと言ったのに、お食事会の店に行く直前に「やっぱりおれも言った方がいいんじゃないか」などと言い出したけれど、私たちは車に乗っていて、「そんなーおそいよー料理がないよーー」と窓から身を乗り出して言い捨てて出かけていった)、代理を兄がつとめた。私は父もしいて連れて行けばよかったとおもった。なんてったって、老い先みじかい病人なのだし。料理なんて行ってからむりやり頼めばいいんだし。病気のせいで食べ方が汚いから、それをみせるのもね、と母は言っていたけれど、なんだって言うの。でも、父は健康なときから、ぜつぼう的に食べ方が汚かった。じぶんの食べ方が汚いなんて自覚できないくらい。兄はエネさんのご両親相手によくしゃべって、お兄ちゃん頼りになるなあと私は感心してしまったけれど、やや詐欺師っぽかったかも知れない。
帰郷はやはり、そんなに楽しくないのであった。帰るときにはなにか後悔を感じたり、実家のこれからについての不安をまざまざと思い知らされたり、すっきりした気分で帰ったことがない、のは、私だけではなく、妹もそうだと前に言っていた。でも兄の子どもたちにドヤ!と言わんばかりのお土産をあげたり、いっしょに遊んだりして、楽しかったし、エネさんが犬の散歩をほとんど毎日してくれて、犬にもよかった。でも私が結婚すると言ったってやはり母は祖母を許せない—―許せないにしても、なにかしらの心のよゆうが生まれないものか、憎んでもいっこうに甲斐のないことからすこしでも目をそらすことはできないか。とおもいつつ、ほらやっぱり、私の人生と母の人生は別個なものだった! 母がいくら子どもらの幸せでじぶんの籠を満たしたいっておもっても、私には私じしんの籠があるのよ! とさけびたい。
私はじぶんの人生をつくらなくては。そのついでに、祖母の神さまともちがう、神さまの話をしなくては。
私や母や祖母との関係性と、母方の元気なおばたちに振り回されたエネさんは、九州みやげに風邪を引いた。って、6月の妹の結婚式後の観光ツアーでも、エネさんは風邪を引いたのである。私たち、ちょっとした疫病神なんだわー。
帰郷はやはり、そんなに楽しくないのであった。帰るときにはなにか後悔を感じたり、実家のこれからについての不安をまざまざと思い知らされたり、すっきりした気分で帰ったことがない、のは、私だけではなく、妹もそうだと前に言っていた。でも兄の子どもたちにドヤ!と言わんばかりのお土産をあげたり、いっしょに遊んだりして、楽しかったし、エネさんが犬の散歩をほとんど毎日してくれて、犬にもよかった。でも私が結婚すると言ったってやはり母は祖母を許せない—―許せないにしても、なにかしらの心のよゆうが生まれないものか、憎んでもいっこうに甲斐のないことからすこしでも目をそらすことはできないか。とおもいつつ、ほらやっぱり、私の人生と母の人生は別個なものだった! 母がいくら子どもらの幸せでじぶんの籠を満たしたいっておもっても、私には私じしんの籠があるのよ! とさけびたい。
私はじぶんの人生をつくらなくては。そのついでに、祖母の神さまともちがう、神さまの話をしなくては。
私や母や祖母との関係性と、母方の元気なおばたちに振り回されたエネさんは、九州みやげに風邪を引いた。って、6月の妹の結婚式後の観光ツアーでも、エネさんは風邪を引いたのである。私たち、ちょっとした疫病神なんだわー。
ゼクシィ首都圏 2014年 12月号
2014年10月29日 読書
おみぃーよ。
水2リットル三個買って、持って帰ったりするのに慣れてるのに、なぜこの雑誌がそれよりおみぃーのか。密度の違いかな。
いま、ふと思いついて、重さをはかってみました。とはいえ調理用のはかりでは、最大重量をオーバーしてしまうおそれがあるので、ゼクシィを抱えて体重計に乗りました。先にはかった自分の体重を差し引いたところ、3.7キロありました、ひどい。
水2リットル三個買って、持って帰ったりするのに慣れてるのに、なぜこの雑誌がそれよりおみぃーのか。密度の違いかな。
いま、ふと思いついて、重さをはかってみました。とはいえ調理用のはかりでは、最大重量をオーバーしてしまうおそれがあるので、ゼクシィを抱えて体重計に乗りました。先にはかった自分の体重を差し引いたところ、3.7キロありました、ひどい。
English EX―Grammar & Usage
2014年10月2日 読書
最近、なんかことばが出ない、というか、文章を組み立てるのに、非常な苦労を覚える。ただ質問に対する答えを言えばいいだけの場合でも、この答えをどういうふうに言えば、納得してもらえるだろうか、などと考えて、ことばに詰まる。
というのは、英語の話でもなくて、こういうふうに文章を書く場合でもなくて、ひとと話す場合に、そのような困難をひどく意識してしまう。こないだ友人と話したときも、きのう妹と長電話したときでも感じて、言語中枢がへんなことになったのか、それとも話す元気がないだけなのか、何なんだこれは。
と、英語の勉強を少しはじめて、日記などを付けてみはじめると、最初はあほみたいな文章しか書けなかったんだが、エンジンがかかったようで、そこそこいろんなことが書けるようになった。頭が固くなってたのかな。
この本はわりとよいです。中級以上向き。
でも、なんだか自分がふよふよ定まらないのにも、原因があるように思う。私のことを話すのに、私って何なんかなあ、などと考えてしまい、「私は、」と言い出しにくくなる、ようなー。
というのは、英語の話でもなくて、こういうふうに文章を書く場合でもなくて、ひとと話す場合に、そのような困難をひどく意識してしまう。こないだ友人と話したときも、きのう妹と長電話したときでも感じて、言語中枢がへんなことになったのか、それとも話す元気がないだけなのか、何なんだこれは。
と、英語の勉強を少しはじめて、日記などを付けてみはじめると、最初はあほみたいな文章しか書けなかったんだが、エンジンがかかったようで、そこそこいろんなことが書けるようになった。頭が固くなってたのかな。
この本はわりとよいです。中級以上向き。
でも、なんだか自分がふよふよ定まらないのにも、原因があるように思う。私のことを話すのに、私って何なんかなあ、などと考えてしまい、「私は、」と言い出しにくくなる、ようなー。
バージニア・ウルフなんかこわくない [DVD]
2014年9月16日 映画
関西のほうへでかけました。
目的はエネさんのおばあさまたちにお会いするためで、足腰が弱っていたりなさっているけれど、すごくいろんなお話をしてくださって、お元気だった。おばあさまたちとほぼ同い年なのに、どんどん元気のなくなってゆく母方の祖母をおもいだすとなんだか切なかった。でもお会いできてうれしかった。
京都でいろんな買い物をしたり、エネさんのおかあさんといろんなお話をしたり、エネさんのおかあさん経由でたいそうなものを戴いたりした。そのたいそうなものをびくびくしながら抱えて二泊三日で帰京した。
エネさんのおかあさんとお話ししていると、とある詩人の話がでてきて、おかあさんが本を出してきてくださった。読んでみたら、ちょっと腹の立つ箇所があったのだが、私はその詩人が以前から苦手なのであった。おかあさん自身からは大事なお友達の話やエネさんの話や、(エネさんはそのとき昼寝していた)、すごくいいお話をしていただいて、これからももっといろいろなお話をしたいなあと心底おもったのだけれど、それとは関係なく、その偉大とうたわれる女性詩人のビミョーな文章が忘れがたく、私はきのうから、〈イバラ木のり子なんかこわくない〉っていう作品があったら、ぜひ読みたい、と夢想している・・・自分より前の世代に、ベルンハルト並みに文句申し立てる、という。
目的はエネさんのおばあさまたちにお会いするためで、足腰が弱っていたりなさっているけれど、すごくいろんなお話をしてくださって、お元気だった。おばあさまたちとほぼ同い年なのに、どんどん元気のなくなってゆく母方の祖母をおもいだすとなんだか切なかった。でもお会いできてうれしかった。
京都でいろんな買い物をしたり、エネさんのおかあさんといろんなお話をしたり、エネさんのおかあさん経由でたいそうなものを戴いたりした。そのたいそうなものをびくびくしながら抱えて二泊三日で帰京した。
エネさんのおかあさんとお話ししていると、とある詩人の話がでてきて、おかあさんが本を出してきてくださった。読んでみたら、ちょっと腹の立つ箇所があったのだが、私はその詩人が以前から苦手なのであった。おかあさん自身からは大事なお友達の話やエネさんの話や、(エネさんはそのとき昼寝していた)、すごくいいお話をしていただいて、これからももっといろいろなお話をしたいなあと心底おもったのだけれど、それとは関係なく、その偉大とうたわれる女性詩人のビミョーな文章が忘れがたく、私はきのうから、〈イバラ木のり子なんかこわくない〉っていう作品があったら、ぜひ読みたい、と夢想している・・・自分より前の世代に、ベルンハルト並みに文句申し立てる、という。
Lovestrong.
2014年9月8日 音楽ハーレム・スクエア・クラブ1963
2014年9月8日 音楽
今年はサム・クックが死んで、50年なんだねえ、とこないだ気づいた。
33で死んだひとはサムクックと、ダニハサですね。と死んだ人の年齢になにかを託すのはよくないのだが、しかもサムクックは他殺のような事故死なのだが、エイミーは27だったのは、それだけロケンロー寄りだったのかな。
私はわざわざ言うまでもなく、怠け者なので、本の奥付に作者の年表なんかが載っていたりすると真面目に読んで、この歳でこのひとはこんなことをやっているのか!と打ちのめされたり、このひとは遅咲きなのだなあ、と安心を覚えたりしてしまうのだが、遅咲きのひとでも、若い頃から着実に積み上げたことがあるのであるのであるので・・・
最近はわりと息の長いひとのものを読むことが多いので、あたくしもまだまだまだ!とおもえる。
33で死んだひとはサムクックと、ダニハサですね。と死んだ人の年齢になにかを託すのはよくないのだが、しかもサムクックは他殺のような事故死なのだが、エイミーは27だったのは、それだけロケンロー寄りだったのかな。
私はわざわざ言うまでもなく、怠け者なので、本の奥付に作者の年表なんかが載っていたりすると真面目に読んで、この歳でこのひとはこんなことをやっているのか!と打ちのめされたり、このひとは遅咲きなのだなあ、と安心を覚えたりしてしまうのだが、遅咲きのひとでも、若い頃から着実に積み上げたことがあるのであるのであるので・・・
最近はわりと息の長いひとのものを読むことが多いので、あたくしもまだまだまだ!とおもえる。
チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫)
2014年9月5日 読書
こないだ、私は、すごい発見をしたので、エネさんに息巻いて言ったのです。「エネさん、今年ってさあ、第一次世界大戦の開戦からね、ちょうど百年なんだよ!」そしたらエネさんは「知ってるよ、だから本がいっぱい出てるんでしょ」と答えたのでした。私はそれでやっと、岩波からなぜ分厚い第一次世界大戦についての研究本がでていたのか、合点がいったのでした。私ってアホなんだー。
そんな会話の手前に、第一次大戦がタイムリーというのとは関係なく、藤原辰史の「カブラの冬」を読んだ。第一次世界大戦中ドイツは、著しい食料不足に見舞われ、76万人もの餓死者を出した。政府中枢の戦況と食料事情の見通しの甘さ(短期決戦だとおもっていた)、ジャガイモの不作、イギリスによる海上封鎖などが重なってそんな大変なことになったらしい。敗戦後、帝政は崩壊したものの資本主義体制は温存され、食べ物の恨み/飢餓への恐怖は解消されず煮詰まってナチス繁栄の下支えになる。イギリスの海上封鎖を、ユダヤ人を究極的に効率のいい=食べ物/燃料の要らない労働者として扱ったともいえるホロコーストにつながる「食糧テロリズム」である、と捉えているのが興味深い示唆だった。そして第一次世界大戦というものの、〈総力戦〉という性質や、ヨーロッパにおける衝撃というのが、なんとなく話に聴いていただけなのが、なんかすっごく大ごとだったのね、というのだけは、わかった。
「死ねばいい」という、暴力なのかもしらん。
第一次世界大戦といえばー、文学ではー、何なのかなー、とぼんやり考えていて、「チャタレイ夫人の恋人」に行き当たる。昔読んだときに、コニー(=チャタレイ夫人)でもなく、森番でもなく、クリフォードは(=ミスターチャタレイ)のほうが、不気味過ぎて気になった。教養もあって文学もたしなむ俗物なのですが、クリフォードはほんとうにリアルな存在に感じられて、コニーや森番よりも、私にはブンガク的であった。そのクリフォードは冒頭第一次大戦で負傷して障害を負ったと示されるのであった(ややうろおぼえ)。そこから読んでみてもいいのかも知れないニャー、いまいっぱい借りてきた本を読み終えたら。(ちなみにウィキペディアのこの作品の項目はわりと間違っている)。ウルフのダロウェイ夫人も、そうなのだろうか。
と、まじめに考えていたけど、昔私が熱心にこの本を薦めた際に、コニーと森番のいちゃつき場面を読み上げて、「あっはっは、お前のけつはよう、だって! あっはっは」と笑っていたタネコさんばかりがおもい浮かんでしまう。
そんな会話の手前に、第一次大戦がタイムリーというのとは関係なく、藤原辰史の「カブラの冬」を読んだ。第一次世界大戦中ドイツは、著しい食料不足に見舞われ、76万人もの餓死者を出した。政府中枢の戦況と食料事情の見通しの甘さ(短期決戦だとおもっていた)、ジャガイモの不作、イギリスによる海上封鎖などが重なってそんな大変なことになったらしい。敗戦後、帝政は崩壊したものの資本主義体制は温存され、食べ物の恨み/飢餓への恐怖は解消されず煮詰まってナチス繁栄の下支えになる。イギリスの海上封鎖を、ユダヤ人を究極的に効率のいい=食べ物/燃料の要らない労働者として扱ったともいえるホロコーストにつながる「食糧テロリズム」である、と捉えているのが興味深い示唆だった。そして第一次世界大戦というものの、〈総力戦〉という性質や、ヨーロッパにおける衝撃というのが、なんとなく話に聴いていただけなのが、なんかすっごく大ごとだったのね、というのだけは、わかった。
「死ねばいい」という、暴力なのかもしらん。
第一次世界大戦といえばー、文学ではー、何なのかなー、とぼんやり考えていて、「チャタレイ夫人の恋人」に行き当たる。昔読んだときに、コニー(=チャタレイ夫人)でもなく、森番でもなく、クリフォードは(=ミスターチャタレイ)のほうが、不気味過ぎて気になった。教養もあって文学もたしなむ俗物なのですが、クリフォードはほんとうにリアルな存在に感じられて、コニーや森番よりも、私にはブンガク的であった。そのクリフォードは冒頭第一次大戦で負傷して障害を負ったと示されるのであった(ややうろおぼえ)。そこから読んでみてもいいのかも知れないニャー、いまいっぱい借りてきた本を読み終えたら。(ちなみにウィキペディアのこの作品の項目はわりと間違っている)。ウルフのダロウェイ夫人も、そうなのだろうか。
と、まじめに考えていたけど、昔私が熱心にこの本を薦めた際に、コニーと森番のいちゃつき場面を読み上げて、「あっはっは、お前のけつはよう、だって! あっはっは」と笑っていたタネコさんばかりがおもい浮かんでしまう。
(500)日のサマー [Blu-ray]
2014年8月5日 映画
次の日の大事な用事=友人の結婚式、ちょっとしたことを頼まれていたりして、それをうまくやり果せたかどうかはなはだ巨大なクエスチョンマークなのであったが、友人はきれいにドレスアップして、また楽しい和やかな披露宴&二次会で、ようござんした。初めて会う人ともちょこちょことお話しできて、楽しかった。と私と楽しく話してくださる優しい人がいるというのが、友人の人間関係の賜物ですが。
縁の下の力持ちであった魔亜子ちゃんのスキルに感服し、また二次会にやって来た海ちゃんのハイファッションに、「海ちゃんは我々の想定のつねに斜め上を行くね」とエネさんと感心した宵でもあった。
縁の下の力持ちであった魔亜子ちゃんのスキルに感服し、また二次会にやって来た海ちゃんのハイファッションに、「海ちゃんは我々の想定のつねに斜め上を行くね」とエネさんと感心した宵でもあった。
8.2の怒りのブルドーザーデモに行った。非常に暑くて、途中で二、三回くらい、抜けようかな、という考えがちらついたけれど、(次の日に大事な大事な予定が控えていたので)、なんとか歩いた。
学生が有志でやってる団体のサウンドカーがラップとコールしながらゆくのにずっと唱和していたのだけど、後半の後半で「move on up」が流れたので、カーーーーーーティス!となって疲れが吹き飛んで声が出るようになり、ふりふり踊ってしまいました。
(次の日にとても重要な用事があったので)、デモ終わった後の飲み会もウーロン茶一杯くらいでオサラバだ、とおもっていたけれど結局店を替えるまでずるずるご一緒してしまいました。流されやすいことといったら笹舟のごとしよ。
学生が有志でやってる団体のサウンドカーがラップとコールしながらゆくのにずっと唱和していたのだけど、後半の後半で「move on up」が流れたので、カーーーーーーティス!となって疲れが吹き飛んで声が出るようになり、ふりふり踊ってしまいました。
(次の日にとても重要な用事があったので)、デモ終わった後の飲み会もウーロン茶一杯くらいでオサラバだ、とおもっていたけれど結局店を替えるまでずるずるご一緒してしまいました。流されやすいことといったら笹舟のごとしよ。