結婚をしたら「結婚は?」と言われなくなって、何かなかなか終わらなかった宿題がいきなりなくなったようで、そういうことを気にされるあたりの社会生活では快適に過ごしていた。結婚して2年経つと、今度は「子どもは?」という人がぼちぼち出てきたのであった。おお新たな宿題。
 私がたとえば相手に話を振るほうだとしたら、結婚だとか出産だとかは、相手からその語がでないかぎり、なるべく慎重にしたいなと思っているけれど(しかし阿呆なので軽々しく振ってしまう可能性もないではないのよ)、私をだいじにしてくれたおばたちなどがそういう予定や希望についてきいてきたら仕方なく丁重に返答したいしもし生まれたりしたならばよろこんで顔をみせちゃうよ、と思ってもいる。
 こないだ所用があって帰郷したら4人くらいに「子どもはどんな具合?」「子どもはまだ?」「まだできないのか?」と訊かれた。「まだできないのか?」と訊いてきたおっさんは糞みたいな九州男児だったのでとっとと死ねばいいのだけれど、祖母が「子どもは?」と訊いてきて私が「まあそのうちね」と答えると、祖母が「子どもひとりくらいつくらなきゃ」と言って寄越してきて、私はもう死ねばいいのにという呪詛のことばすら出なくなりそうになった。

 私は産むことはともかく、育てることを考えるととても気が遠くなったりする。まだ孕んでもいないし産んでもいないのに、私は自分が取り返しのつかないことをして、子どもを死なせたりするのではないかと考えてしまう。私がみていない間に池に落ちる。私が子どもについて想像をめぐらすとたいていゲームオーバーで暗転する。気分が落ち込んでるときにそういう想像をするとたまらない。ああ、ほらだめだったじゃない。だめになるのになんで産む必要があるのかしらね。私の想像と過去と未来が入り乱れて、失われた子に、というより私の過失に泣く。

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