伯父がなくなったので従姉や妹と帰郷。私は一週間休みをもらってほとんど伯母の家に滞在していた。何かしら役に立たなければ! という気持ちを抱いて動き回り、たいして役に立ってないし機敏に動いたわけでもないのだけれど、疲れた。とはいえ仲のよい母方の親戚なので、たとえば昨年や一昨年自分の父方の家族が亡くなった時よりは、ひとりでやきもきすることもなく過ごした。従姉や妹が子どもの世話のためにそれほど手伝えなくてもまったく気にしていなかった。そしたら私が動き回っているのをみて、大叔母が「鮎ちゃんもね、子どもができたら、そんなに働かなくて済むよ」と言ったのに、なにそれ意味わかんねえ、と思ったけれど、「そうなのー? まー、早く欲しいわあ」と適当に返しておいた。大叔母には、そう言われる前にも、「鮎ちゃんは、つくるつもりあるの?」と訊かれたりして、とっさに「あー.........具体的な行動には、うつしていない......かなあ」とよくわからない答えをしてしまい、その場に居合わせた兄に「下ネタかよ」と指摘された。
大叔母は私の実家のある同じ市に住んでいたこともあり、小さな頃からよく面倒をみてもらったりして仲がよいのだけれど、この物言いや質問にすんなり反応することができなかったので、いくぶん濃密な愛と親切の空間からはみ出している繊細な自分をあらためて意識してしまった。微妙な感情を抱いても大叔母に対する感謝や親愛の念が揺らいだりしたわけではなかったし、伯母の家でも実家よりはたいへんリラックスして過ごしたのだけれど、東京に帰ってきてしまうと、ほっとした。電車の中などで、そこに居合わせているひとがそれぞれまったく関係なくあるような、濃密さがないことに。なんていうのは、私の願望のような幻想で、みなさんどろどろした濃密さが、家に帰ればあるのだろうが、とりあえず東京は、熱帯のような湿っぽい田舎よりは、空気の感じは砂漠のイメージなので。
昔読んだSonsを読み返してみたら、読書のアタリを引いたようだ。読みたいと思って読んだ本でも、感動したり感激したり感銘を受けたりした名作でも、その時分に胸の詰まるようなアタリってそうそうないような気がするけれど、アタラれた自分がいやしく恥ずかしく感じるほど、アタった。
私には愛情や親切というものが、天性で欠けているような、と思ってしまうのは、愛情をあらわさなければ、という義務に押さえつけられているような気が、ときどきしてしまって、とりわけそれはある女性たちにとってはとても重たい生の要請のようなものだけれど、私の場合は恥ずかしいほど軽い気がしている。単なる八方美人の延長のような。
って、このマンガはそれとは関係なく、すごくいいマンガですだよ。
大叔母は私の実家のある同じ市に住んでいたこともあり、小さな頃からよく面倒をみてもらったりして仲がよいのだけれど、この物言いや質問にすんなり反応することができなかったので、いくぶん濃密な愛と親切の空間からはみ出している繊細な自分をあらためて意識してしまった。微妙な感情を抱いても大叔母に対する感謝や親愛の念が揺らいだりしたわけではなかったし、伯母の家でも実家よりはたいへんリラックスして過ごしたのだけれど、東京に帰ってきてしまうと、ほっとした。電車の中などで、そこに居合わせているひとがそれぞれまったく関係なくあるような、濃密さがないことに。なんていうのは、私の願望のような幻想で、みなさんどろどろした濃密さが、家に帰ればあるのだろうが、とりあえず東京は、熱帯のような湿っぽい田舎よりは、空気の感じは砂漠のイメージなので。
昔読んだSonsを読み返してみたら、読書のアタリを引いたようだ。読みたいと思って読んだ本でも、感動したり感激したり感銘を受けたりした名作でも、その時分に胸の詰まるようなアタリってそうそうないような気がするけれど、アタラれた自分がいやしく恥ずかしく感じるほど、アタった。
私には愛情や親切というものが、天性で欠けているような、と思ってしまうのは、愛情をあらわさなければ、という義務に押さえつけられているような気が、ときどきしてしまって、とりわけそれはある女性たちにとってはとても重たい生の要請のようなものだけれど、私の場合は恥ずかしいほど軽い気がしている。単なる八方美人の延長のような。
って、このマンガはそれとは関係なく、すごくいいマンガですだよ。
コメント