世の中にそんなに悪いひとはいないのではないでしょうか、と私があることを報告すると、そう反応される方がいて、私はなるほどそれも、あるでしょう、とは思うのだけれど、私は、では悪とは何なのであろうか、と戸惑いもする。悪にいろいろ場面のあるうちに、すくなくともひとつは人を苦しめるのは端的に悪と言って、差し支えないではないかと思うのだけれども、では苦しみとは何なのであろうか。不愉快なこと、というのは生きていれば当然あるので、それは差し引くとして、苦しみとは、長い間続く悪夢のようなもの—―しばしば、覚醒しているはずの時にまざまざと体験する悪夢や疼痛のようなもの——それが自分や他人や世間にたいする信頼を失わせた結果、幸福を損なわせるもの、といったところだろうか。その苦しみを妄想であるとして封じ込めるひともいて、そういう場合もあろうけれども、そ言う行為が単なる方便になってしまったら、わたくしは信じないね。断じて。
事が家庭の、ひとつの家のなかで起きると、家庭内にはいろいろなベクトルがあるので、それがぶつかり合い、うまく行かないのでしょう、という人がおり、人の家のことを簡単に断定するのを避けるのは礼儀として正しいのかも知れないし、そもそも言ってしまう自分が、愚か者なのだとおもう。
事が家庭の、ひとつの家のなかで起きると、家庭内にはいろいろなベクトルがあるので、それがぶつかり合い、うまく行かないのでしょう、という人がおり、人の家のことを簡単に断定するのを避けるのは礼儀として正しいのかも知れないし、そもそも言ってしまう自分が、愚か者なのだとおもう。
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