わたしは〈できない人〉なので、イライラするほうよどうせ! ぐすぐす。

くるり岸田のツイッターをみていたら、石原息子の発言や鈴木都議のヤジについて、「精神年齢が低すぎる」として「不愉快極まりない」と言った後、「怒りを原動力にはしたくないけど。。」とあったので、考え込む。そうかー、別に原動力でもいいんじゃないかな。と思った。私は怒ってばかりいる田舎のチンピラ、かたや成功しちゃった育ちのいい良識派の坊ちゃんという図式が浮かんで、若い頃すごく好きだったので複雑な心境になった、あたしたち、だいたいもともと合わなかったんだ・・・お別れパーティーしよ。
「精神年齢が低すぎる」とかいう政治家かコメンテーターみたいな表現が気の抜けたサイダー、いやジンジャーエールみたいだよ、精神年齢の高低よりも、人格を否定していいんじゃないかとおもうんだが。精神年齢の高い人はそういうことを思っても、黙っているよ!ともとられかねない。

震災後の発言をすこし追ったときも、「怒りを原動力にはしたくない」的な行儀の良さにがっかりした。そもそも、怒ってない人に怒れ、と言うのは無理だとしても、わざわざ怒りについて触れてみせ、「怒りを原動力にはしたくない」とかぶりっ子すんなや。「けど」ってようわからん保留すんなや。(わたしもようやる、けどな。)

こないだ友人と飲み会をしたときも、酒の肴のように女性蔑視ヤジの話がでたが、岸田の行儀のよさとは別に、友人が鈴木が悪いというよりも塩村さんに対して否定的見解を述べていたのが気になった。というのは、塩村さんの過去についてこき下ろしていたのではなくて、塩村さんの喧嘩のやり方がなっていない、プロらしく振る舞えという結論になっていた。そんな格闘技みたいな振る舞いを期待する前に、鈴木が悪いというだけの話じゃないかな?
私は独身女性だから、どちらかと言えば言われて傷つく側であるから、この件を友人のようには俯瞰できない。そして彼は、どちらかと言えばたぶん言う側に回りやすいであろう、わりと強い立場だと思うけれど、まったくイノセントに事件を俯瞰することに戸惑いがないのに、私はちょっと引いた・・・言われた方の嫌な気持ちを、考えないで話するのってよくないんじゃない? っていうことなんだけど。
こういう酒の肴として話をするならば、ながながと分析されやすいのはたいてい塩村さんであるのだろう。そして私はあとで楽しい雰囲気をぶち壊しにしてでも反論すべきだったと後悔した・・・と思ったけどぶち壊さずに落ち着いて反論するようにしたい。

岸田の、集団的自衛権に対する嘆きも、要らないな、と思ってしまった。このところ、たぶん若者の「あべしね」とか「あべお前が戦争に行けや」とか言う、〈精神年齢の低い〉ツイッターを何個もみたあとでは、「この国へんな国になった。自分の暮しや幸せにちゃんと執着するようにして大事にしようと思う」という岸田のコメントが、間違ったことは言っていないのだが、すごく他人事としてとらえているように聞こえて、黙ってれば?と思ってしまう。

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