エネさんが古本で手に入れてくれた。

いまのところ堀井和子のレシピで田舎パンを焼いており、(準強力粉使用ではないので、なんとなくパン・ド・カンパーニュとは呼ぶのが憚られる)、最初の2回はうまく行ったのだけれど、最近2回ほど焼いたときはいまいちうまくいかなかった。私はビギナーズラックということが、たいへん多いような気がする。
3年前くらい製パンブームだった頃は、いろんな粉を試してみた。そのころレシピをよく参照していたひとが、いろんな粉を使うひとであったせい。最近はもっぱらカメリヤと、たまにスーパーカメリヤで、それにパン用の全粒粉、ライ麦粉をいくらかブレンドする。私のレベルでは、いろいろ使うのがなんだかはしたないような気がするので。

製菓材料店に行ったりすると、いろんな粉があるのがわかる。薄力粉、強力粉、準強力粉、というだけでなくて、それぞれでいろんな特性があって、最近のパンのレシピもそれにあわせて細分化がはげしい。レシピ本でフランスパン一種類だけとっても、それぞれの粉で気泡が入りかたがちがう!と例を示していたりする。粉によって、そして気泡の入りかたで、食感や味がちがってきて、おいしさもちがってくるのはわかるのだが、だから、何?と問いたいような気のするときもある。パン屋を開くのならともかく、家で食べるものに、そのような細分化は必要なのだろうか。とおもうのは、田舎パンをうまく焼けない腹いせだろうか。

パンのレシピ本を読みはじめて5年、だいたい立ち読みばかりの雑感でしかないけれど、国産小麦粉が一般家庭での製パン、製菓にも使えるようになってから、国産のみならず外国産の小麦粉にたいしても嗜好の細分化がすすんできたようにも思える・・・ここ十年くらいのこと? ネットで気軽にいろんな種類の粉が買えるようになったせいもあるだろう。いろんな粉の説明を読んでいると、たしかに興味はそそられるのだが、こんなにいろいろ、必要なの?と思ってしまう。

お菓子はなくてもいいものだ、と長尾智子が指摘していたのを拝借するならば、パンもなきゃないでいいもの、ではあろう。お菓子よりも食事に寄り添うものではあるけれど。そして菓子よりパンはやや職人的な見極めが必要になるし、時間がかかるというのでストイックさも要るから、ハマるひとは職人になれるくらいハマるのであろう。

・・・何が言いたいのか、自分でもわかんなくなってきたけれど、細分化って豊かさの証明にはならないよね、と漠然とおもってしまうのだが、それは私が豊かさを定義しかねているせいか、私のおもう豊かさとちがうニャアとおもってしまうせいか、ニャー、歯切れ悪くさようなら。

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