これを読んでいて賢治を読み直したくなったけれど、ちくま文庫の全集のどれを持っていてどれを持っていないのかいまいち把握していない。本をあらかた実家に送ってしまったので。
若い頃は異稿とか改訂とかがいっぱいあるのが正直わずわらしかったのだけれど、何回か読んだり、半分くらいは作品に目を通したりしたからだろうか、興味ぶかく読めるようになりました。
だいたい、翻訳小説の注釈とかもうざったいのであまり真面目に読まないんだに。

どうでもいい感慨ですが、年を取って友人とだいぶ趣味がちがってきました。若い頃はおなじ作品をあがめて読んでいたような気がする、というまえに周りが崇める小説をすなおに読んでいた気がする、というのは、しばらくは男性が主体のグループに属していたからだとおもいます。そのとき学んだこともいろいろあるけれど、やはり読書やら文学体験やらはきほん孤独なものというか、どうしてもそこから外れた自分の嗜好があった気がする。女性のほうがアカデミックな流れから比較的自由に本を読める気もします。女性が本を選ぶときは、男性よりはきほんひとりのような気もするので。そのグループはしぜんに学問的なかたちを解体して、それが理由ではないけれど私もお付き合いしなくなった。それがいいことか悪いことかわからないけど、その学問的雰囲気のままずっとグループに属していたら、切磋琢磨されはしただろうけれど、自分のことばがなくなっていったかも知れない、というかそれはそれで気持ちわるかったかも知れない、ともおもう。というのは一般的な状況に還元するのはためらわれることだけれども。
いや、ただ単に、いい本のよさをひとに説明するのが、私はひどく不得手だというだけかも知れない。しどろもどろになりやすい。

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