お父さんは心配症 1 (りぼんマスコットコミックス (351))
2013年7月5日 読書
このマンガはリアルタイムでみたときには、りぼんにしては絵が気持ちわるく、また作者のテンションも気持ちわるく、あまりのりこめなかったのだけれど、逆にその気持ちわるさが強烈で忘れがたく、何年か前に友人に借りて読み直したときは、ひじょうにおもしろく読めて、自分がおとなになったような気がした。
私の父は心配性ではなく、父にたいして心配性を発揮するのも甲斐ないことであり、とりあえずは人間らしい母のことをときどき心配してみる。その母は空振りしまくりでもいまだに父のことを心配している。といえども母は、献身的ではあれども立派な人間ではないので、保守主義者が膝をうってよろこぶような美談はなきに等しい。
あらたに父に関して心配ごとが浮上したけれど、けっきょくのところ、おなじみの上塗りに上塗りされただけであるような気がして、その重大事にふさわしく騒いでいるのはまた母だけであり、私と妹は母に合わせるように心配のまねごとをしてみるけれど、熱がはいらない。私たちの家はなぜ普通でないのだろうか、とおなじみの嘆きにうつってしまう。
心配症の人間といえば、まっさきに大江健三郎がおもいだされるのは、私の恣意的なおもいこみなのか。大江健三郎が核戦争の可能性を倦むことなく訴えるのを、友人は、大江ってさけっきょく核戦争が起こってほしいっておもってるんじゃないかとおもうんだよね、と笑っていた。とはいえ、大江が真にすぐれた作家となるならば、それは核戦争が起こらなかったときで、大江は予言をはずした偉大な予言者として、少なくとも私のなかでは偉大になるだろう。わるい予言があたって喜ぶのは三流の予言者だ、というのが言い過ぎなら、すくなくとも善良さには欠ける予言者だろう。そんなひとならいくらでもいる。
母は心配性ではあるけれどあまり頭がよくないので、予言的な人間ではないのだが、ただこの家は呪われていると警告を発しつづけていたのは、人間の所行として正しいのかも知れない。でもげんなりするような事柄を押しとどめることはできないので、ますます苦悩が深まるらしい。でも阿呆だから。
私の父は心配性ではなく、父にたいして心配性を発揮するのも甲斐ないことであり、とりあえずは人間らしい母のことをときどき心配してみる。その母は空振りしまくりでもいまだに父のことを心配している。といえども母は、献身的ではあれども立派な人間ではないので、保守主義者が膝をうってよろこぶような美談はなきに等しい。
あらたに父に関して心配ごとが浮上したけれど、けっきょくのところ、おなじみの上塗りに上塗りされただけであるような気がして、その重大事にふさわしく騒いでいるのはまた母だけであり、私と妹は母に合わせるように心配のまねごとをしてみるけれど、熱がはいらない。私たちの家はなぜ普通でないのだろうか、とおなじみの嘆きにうつってしまう。
心配症の人間といえば、まっさきに大江健三郎がおもいだされるのは、私の恣意的なおもいこみなのか。大江健三郎が核戦争の可能性を倦むことなく訴えるのを、友人は、大江ってさけっきょく核戦争が起こってほしいっておもってるんじゃないかとおもうんだよね、と笑っていた。とはいえ、大江が真にすぐれた作家となるならば、それは核戦争が起こらなかったときで、大江は予言をはずした偉大な予言者として、少なくとも私のなかでは偉大になるだろう。わるい予言があたって喜ぶのは三流の予言者だ、というのが言い過ぎなら、すくなくとも善良さには欠ける予言者だろう。そんなひとならいくらでもいる。
母は心配性ではあるけれどあまり頭がよくないので、予言的な人間ではないのだが、ただこの家は呪われていると警告を発しつづけていたのは、人間の所行として正しいのかも知れない。でもげんなりするような事柄を押しとどめることはできないので、ますます苦悩が深まるらしい。でも阿呆だから。
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