祖父が死んだ。私が帰り着いたその日に死ぬ、というベストなタイミングを伺っていたところ、けっきょく間が悪く、死に目には会えなかった。
家に着くとさっそく、人が死んだ家の装いになっていたり、近所の親戚のひとが台所にいたり、経験したことのない家の雰囲気とせわしさに呑まれ、祖父の死んだ顔と対面させられてもなんとも発することばがない。投げつけたいことばを何ページも書き付けておいたはずが、よく読めないような心持ち。死んだねえようやく、と言ってみる。
祖父に言えるいろいろなことばは七割ほどは母から借りた恨み言であるけれど、残りは確実に私自身のものである。
あんたそんなに私が好きやなかったね、ほとんどだれも好きやなかったでしょ、人は老いるとそうなるのかね。

私はなかなか片付かない変わり者の娘だという評判がうすく流布しているだろうので、慌ただしい雰囲気に合わせて慌ただしく動き回り、愛想よく声をかけ、ご迷惑をかけますと頭を下げて回り、親戚のうつくしい思い出話にうんうんと頷いてやる。そんなふうに気が張っているなか、その場にいる人たち皆で食卓を囲んでいると、兄から私の現状と、そのとき私がしでかしたちょっとしたミスについて、突っ込みが二回くらいあり、二回目のそれに耐えられなくて、頭が痛いといって二階の空いている部屋にひきこもって、布団をかぶって嗚咽した。兄からすればサービスのつもりでお得意の毒舌を披露したのであろうけれど、お互いそれほど親しみも覚えない従兄弟たちは、どう笑ってよいものかわからなくて、はは、と力なく笑いを発しただけだった、今回ばかりは兄にセンスが欠けていた、と冷静に考えてみようとする端から、兄は私のことがうっすら嫌いなのだろうとおもいはじめるのを振り払えない。ついでに従兄弟の妻たちについても、居るだけでまったく働かないし、愛想も良くないのに、とくにだれも怒ってもいないのが、お門違いかも知れないけれど腹立たしく感じる。私は子どものころからずっとそういうことに関して言われてきたのに不公平だとおもい、かといってしゃかりきにそれに合わせて生きてきたわけでもないので、自分の中途半端さがばかばかしい。
兄の子どもはかわいがってやるけれど、私は死ぬまでこのことを忘れない、と誓いながら、でも私も兄のひどい火傷跡のことを笑ったことがあるかも知れず、兄もそのことを忘れられないのかも知れない、と考えだすと自分を心底見放したくなり、嗚咽がとまらない。やっぱり祖父は私のことが好きではなかったし、私はだから祖父が好きではなかった。自分のことだけ考えて泣く。
母が私の様子がおかしいのに気づいてやってきて、どうしたのよ、誰から何か言われたの? と問いつめられたので、ヒロキ兄が云々、と言ってしまう。お兄ちゃんも悪気はないんよ、許してやってね、寝ていなさいと布団をかけ直してくれる。しばらくして窓の外から母が、鮎美にいらんこと言ったでしょうと言っているのが聞こえたので、起き上がってそのほうをみやると、兄となにか話している。私はなんだか白けてしまい、丸ぎこえやぞ、と大きな声をだす。兄と母が振り返ったので、兄のほうに中指を立ててやる。
寝たままいるのはきまり悪いので、落ち着いてから台所へ降りてご飯を食べる。私が寝ていたのを頭痛のせいだと信じ込んで心配している親戚に、鼻炎アレルギーもあるから頭痛がひどいのかも知れない、と噓八百をならべたてていると、兄が子どもを連れてやって来て、アレルギーがひどいの? と訊くので、私鼻炎アレルギーよ多分、たまにくしゃみとか鼻水とかひどいときあるよ、今なんだっけ? ブタクサ? と言うと兄は、ブタクサは10月ごろですけど、といくぶん冷笑しながら突っ込みをいれてくる。そうなん、今もなんかあるよね、何だっけ? と話を合わせていると腹が立ってきて、てゆうか私、ひどい言葉に対してアレルギー持ちなんですよね、と兄を睨みつけてやる。兄の子どもは一才半なのに私の様子がおかしいのがわかって慰めようとしているのか、まるでチョウチョみたいに私の周りをばあ、ばあ、と言いながら飛び回る。私もばあ、ばああ、と言って調子を合わせてやる。ああそれはどうもすいませんでした、と兄は言い捨てて別の部屋へ行く。

コメント

nophoto
怪餓鬼
2013年5月24日22:12

わろた。おめえはほんと気難しいやつだぜ。そして心が狭いぜ!

nozak
2013年5月26日18:42

コメントどうも。なんか局所的に神経質なんですよね。そのわりに人に対しては無神経なんですよね。

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