祈りのないひと

2013年5月6日
やりたい放題で、という形容のしかたしかおもいつかない祖父が、いま、死なんとしている、と聞いた後に、やや持ちこたえていると情報が改められて、安心ともつかないようなほっと息をついたのだが、それでも付き添っている祖母が、ときおり握り返す手がひどく弱々しいので、もうだめだ、帰って来れるなら帰って来てほしいと、兄を経由して私に連絡をしてきた。帰って来れないようなら、意識のあるうちになにか言づてはないか、と、ついでに寄越してきた。けれど、何も言うことが浮かんでこないので、なにも言って寄越さないままである。祖父はともかく、祖母にはなにか、言ってあげたいような気がするけれど。

妹も、何も言うことがないという。悲しくないの?と夫に訊かれたので、私たちはあの人に、たいへん迷惑をかけられたと返したの、とやりとりを報告された。小さい頃はかわいがられた気がするね、とふたりで懸命におもいだしてみるが、しかし、あのひとは私たちが大きくなってからは興味がなくなっていたような気がする。自我が目覚めはじめるととたんにかわいくなくなったらしい、まあそういうものかも知らない、年の離れた人間というものは。けれども犬はいつまでたっても人間にはならないのでいつまでもかわいがっており、なでるような高い声で呼びかけているのを聞いて、祖父の気持ちわるさに気づいたのは、大人になってから。人間にたいしてはいつもどことなく敵意を含んだ、というのが言い過ぎならば、どことなく一枚なにかあるような堅い声でしゃべっていた。
町内のあの家に、愛人が住んでいたとか、酒をのむと火をつけてやると恫喝し暴れ回ったとか、彼には逸話が付きないけれど、ほとんど母から聞き及んでいる伝説のようなもので、実際にみてはいない私には、そしてこうして書き起こしてみる段になれば、いくらか牧歌的でさえある。わりにまめに働いて家業をおこし繁盛させたけれど、基本的に金に興味はなかったとおもう。稼いだ金は生涯のうちに使い尽くすときめていたのか、稼いださきからどんどん使い(というのは母が言っていた)、バブルがはじけてのち家業が緩やかに傾きだしても、やっぱり使っていた。とはいえ風雅を知らない田舎の人間であり、目に見えるような贅沢をたのしむというよりは、壊れたものをあっさり棄てて買い替えたりしているうちに、お金がなくなっていったようだ。そのくせ自分の寿命には敏感だったので、浴びるように飲んでいた酒も煙草も年齢を経るととともにきっぱりやめ、こまめに病院に通い薬をのんだ。遠くなった耳に合わせるようにテレビの音量をどんどん大きくして、家の外まで漏れるほどだったのが、好きではなかった。

やっぱり言うことが、ない。もうすぐ妹の子が生まれるので、その子が生まれる前に死んでしまったら生まれ変わりのようで嫌だよね、と妹と、言うことがないので笑っている。私には彼の呪いも祈りもよく聞こえてこないようにおもわれるのは、私の耳がわるいせいかも知れないし、彼にはそんなものないのかも知れない。

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