「妖木犬山椒」という短編集を古本で手に入れたので、読んでいる。読んでる自分がどこにいるのかと不安になるような感じがあって、それは文体からくるものなのかなとおもう。「無妙記」はすごかった。慣れない船にのって、船酔いさせられた感じ。ぐらぐらと。
なんとなく町田康や、富岡多恵子を思い出した。ただ町田康は、酔いはするのだけどぐらぐらはこない、世代が近いせいでしょうか。
深沢の場合は、このリズムはどこから来るのだろうとおもった。解説を読むと、民謡にすごく関心を寄せていたようなことが書いてあるが、そのせいもあるのかな。それをこういうふうに書けるのは、すぐれて近代的ということなのか。

読書、昔にくらべて、立ち止まって読めるになったような、そのぶん、スピードが落ちて、タタタッと、いっぺんには読めない。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索