レベッカ・ブラウンの「体の贈り物」の小説のコミュニティと「西瓜糖の日々」のアイデス[iDEATH]って似てる、とおもったので「西瓜糖の日々」を読み直す。(どこに行ったかわからないので買い直したのはお財布に痛みがはしる)。
 インボイルは怖い人のはずなのだが笑ってしまう。虎たちの振る舞いもまた然り。
 〈忘れられた世界〉のこときれいさっぱり忘れていた。あと、何もかも西瓜糖でできていたこと、言葉までもが。

 元カノ・マーガレット、私は幽霊じみたストーカーだと思っていたけど、読み直すとそれは正確ではなかった。〈わたし〉がマーガレットをしてストーキングさせているような感じした。彼女について最初に言及されるとき、(言葉が西瓜糖であるせいか)、ほんとうに幽霊みたいだった。だから実際に彼女が登場して言葉を発するとき、ちょっと頭が追いつかない感じがした。
 俗っぽいので振られるマーガレットと、「愛のゆくえ」の女性を偲ばせる、柔らかさと強さを持つポーリーンは、とりわけリアルな人物に思えた。それは私が女だからかな。そのリアルさは実際にブローティガンの周りにいた女性たちに端を発するではないだろうか、ってそれは下種のゲスなのかな。

 「アイデスでは、どこか脆いような、微妙な感じの平衡が保たれている」というアイデスの紹介に、やっぱり「体の贈り物」のコミュニティーを思い出してしまう。それは温度なのか空気感なのか、土地の感じなのかわからない。やっぱり私が妄想しすぎたかも知らない。…私が似てると吹聴したせいで読み直してくれている友人になんといえば良いのか。ごめんなさい。
 というわけで私の風景観に喧嘩を売らなくてはなるまい、あるいは私の心の風景を旅してきます。
 この作品が書かれたのは、訳者の藤本和子によれば「ヒッピーもフラワーチルドレンも登場していない時期」。ヒッピーやフラワーチルドレンが湧いてでてきて、アメリカの資本主義社会が身体の自由を謳うまでに飽和、その身体の自由を抑制したいというひとたち(私たち?)にとって、エイズの登場はまたとない天の声だっただろう。エイズへの不安と自由への不安が手をつないで、私たちの〈生=体〉がたやすく触れてはいけないものになり、「体の贈り物」のコミュニティーがあらわれる、
 …ごめんなさい次があったらまた今度。資本主義って3歩すすんで2歩さがる。

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